第8目 ポケットの中のダイス

 ダイスダウンは絶対のおきてだ。

 勝敗の結果には、誰であろうとしたがわなければならない。

 それが、この世界のルールだ。


「私と貴様でダイスダウンをし、勝ったほうがこの少女とそのダイスを手に入れられる、ということだな?」


「違う」


 彼女をもののようにあつかうんじゃない。


「彼女たちの自由を賭けて勝負するんだ。俺が勝ったら、彼女たちをこれ以上追いかけ回すな」


「なるほど。では、私が勝った場合は、それらの自由をうばってもよいのだな?」


 転人は、三儀を見る。

 三儀も転人を見返して、強くうなずく。

 「それでいい」という意思表示だった。


「ああ、好きにしていい」


「ふむ」


 転人の大胆なもの言いを聞いて、願石はあごの下に手を当ててうつむく。

 少しの間を置き、背筋せすじを正し直して転人を見る。


「そちらの条件は承知した。だが、その条件は、貴様の理由であり、私の理由にはなりえない。私が闘うためには不十分だ。それらをこのまま力づくで奪っていくほうが、勝負を受けるよりもよほど簡単だろう」


 『負け犬DOG』の名を知っていてなお、願石はそんなことを言う。

 それだけ慎重しんちょうなのか、それとも別の意図いとがあるのか、転人にはわからなかった。


「じゃあ、そっちの条件はなんだ、俺にできることならなんでもやるし、用意できるものならなんでも用意してやる」


 三儀は、その言葉を聞いて「そんなのダメです!」という感じに、首をぶんぶんと横にふっている。

 それを見て、転人も小さく首をふる。

 乗りかかった船だ、死なばもろとも、とも言う。

 あのNOQSにさからったんだ、勝っても負けても、どうせ無事ではすまされないだろう。


「ほう、なんでもか」


「ああ、なんでもだ」


 願石はそれを聞いて、転人に人差し指を向ける。


「ならば、お前を貰い受けたい」


 …………。


 世界がとまるのは、昨日に引き続き二度目である。

 世界というものは、案外簡単にとまるものらしい。


「俺にそんな趣味はない!」


 転人は、引き気味にそう叫んだ。


「私だってそうだ! 勘違いをするな! お前の肉体と精神をダイスにささげ、私に忠誠ちゅうせいちかってもらうという意味だ。貴様には見どころがある、ぜひ私のもとで働いてもらいたい」


 百歩ひゃっぽゆずって前半は勘違いかもしれなかったが、後半の私に忠誠というのは……どうなんだろうか……。


「ああもう、わかったよ! 忠誠でもなんでも誓ってやるよ!」


 三儀は、いまだとまった世界を抜け出せずにいたため、転人の承諾しょうだくをさえぎることができなかった。


「ならばよし! この願石幸鉄、貴様からのダイスダウンの申し出、しかとうけたまわった!」



 ◇◆◇◆◇◆



 転人と願石は、一ノ目高校に併設へいせつされたダイスダウンアリーナへと移動していた。

 三儀も同じように、首絞役に取り囲まれながら歩いてきた。


 ダイスダウンアリーナは、簡単に言うと、ドーム型の競技場だ。

 地面には、ダイスダウン用のラインが引かれている。


「では、早速さっそく始めようか」


 願石が、フィールドに立つ。

 転人も同じようにフィールドに移動し、願石と対峙たいじする位置に立った。


 大仰おおぎょう啖呵たんかを切ったはいいが、転人に勝ち目はほとんどなかった。

 ゼロと言っても過言かごんではない。

 そんな状況で、転人の希望は、その手に持っているダイスだけだった。


 なさけないことこの上なかったが、このダイスが“世界をひっくり返すダイス”であるという可能性に賭けるしかない。

 あれだけ疑ってかかっていた転人だったが、それ以外の勝つ可能性が思い浮かばなかった。

 転人と同じく、三儀もまた、失礼だとは思いつつも、そのダイスにこそ希望を見いだしていた。


「その前に」


 だから、願石の合図で動いた首絞役員に、ふたりは動揺どうようを隠せなかった。


「なにをするんだ」

「それは……卑怯ひきょうです!」


「なにを言っているのだ、廻転人に喝采三儀よ。当たり前のことをしているだけではないか」


 転人の持つダイスの入ったケースは、またたく間に首絞役員に奪われてしまった。

 ケースはそのまま、三儀を取り囲む首絞役員に手渡され、三儀ともども景品として丁重ていちょうにかかげられている。


「そのダイスも、このダイスダウンですえが決まる代物だ。それを貴様が軽々かるがるしく持っていてよい道理どうりなどないであろう」


 転人が出した条件を、うまく使われてしまった形となった。


「で、ですが、それを使わないと……」


「使うだと? それこそ言語同断ごんごどうだん! このダイスダウンが決着するまでは、そのダイスは誰のものでもない。いて言うなれば、ダイスの神のあずかりものだ。それを使用するなど、許されていいわけがなかろうが!」


 願石の言動には、ダイスダウンをけがすものへの敵意がありありと見て取れた。

 その気迫きはくに、三儀はそれ以上なにも言うことができなかった。


 これで、転人の勝利は絶望的になった。

 かろうじて残っていた勝利への道が、完全に閉ざされてしまった。


 ……どうすればいい。

 ……どうすれば勝てる。


 考えても、なにも出てこなかった。


 途方とほうれる転人をよそに、願石は、首絞役員が差し出した彼専用のダイスを片手でつかみあげる。


「貴様の状況は重々じゅうじゅう承知しょうちしているが、ダイスダウンで手を抜くことはできない。申し訳ないが、本気でいかせてもらおう」


 片手にゆうゆうとおさまっているダイスだが、持っているのが願石なのだ。見た目どおりの大きさではないだろう。


「貴様も早くダイスを出すのだ」


 願石は、転人にもダイスの準備をうながす。


 ……どうすれば……彼女を助けられる……。


 考え迷いながらも、転人は自分のダイスを取り出そうと、ポケットに手を入れようとして、ふと思い出した。


 ……そういえば、いつも使っていたダイスは、昨日の勝負で粉々こなごなになったんだった。


 ダイスがないからといって、あのダイスを使わせてはもらえないだろうが、どちらにしても降れるダイスがなければ始められない。


「願石」


「なんだ?」


「ダイスが」


 ないと言おうとしたところで、ポケットに入れた指の先に、堅くて冷たい感触を感じた。


「どうしたのだ」


「……いや、なんでもない」


 取り出したそれは、金属製と思われる銀色のダイスだった。

 昨日床から拾いあげた、もう一つのダイスだろうか。

 しかし、ポケットに入れた覚えがまったくなかった。


「ようやく出したか。まったく往生際おうじょうぎわの悪いやつだ」


 願石は、すでに勝ちほこったような顔をしている。


「では、開始の合図は首絞役員に……」


「――私が! 私がやります!」


 願石の言葉をさえぎって、三儀が叫んだ。

 それくらいはさせてほしいという、彼女の意志の表れだった。

 勝てる見込みこみがないとしても、この勝負は見届みとどけなければならないという、彼女なりの覚悟でもあった。


「……では、彼女におまかせしよう」


 願石は、しばし三儀の顔を見つめ、真意しんいをくみ取ったかのようにそう言った。

 そして、ダイスを降るためのかまえを取る。

 転人もダイスを降るために、手をあげようとする。


 しかし、動かすことができない。

 震えていた。

 少なくとも、転人自身はそう感じていた。


 重い……手が自分のものじゃないみたいだ……。


 転人の手は、ダイスを乗せたまま、固まってしまっていた。


「ふむ」


 その様子を見た願石は、声だけで三儀に話しかける。


「喝采三儀よ、彼はあのまま動けないかもしれない。結果が見えているからこその不動ふどうなのだと見受けられる。だからどうか、あなたのその一声で、彼を解放かいほうしてやってはくれまいか」


「……わかりました」


 自責じせきねんにかられていた三儀だったが、その言葉を発したときには、その身にふさわしい顔つきと姿勢に変わっていた。


「いきます」


 転人は、動けない。


「ダイス……ダウン!」

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