第7目 その手をつかむのは今なんだ

 一瞬いっしゅん、聞き間違えかと思った。

 今、願石は、喝采三儀のことを犯罪者と言ったように聞こえた。


 彼女がダイスを盗み出した?


 いやいや。


 確かに昨日の彼女は、ダイスを持っていた。

 だが彼女は、しつこいようだが喝采三儀なのだ。

 欲しいものは盗むまでもなく、なんでも手に入れられる。


「その顔は、どうやら彼女が喝采三儀であることを知っていたようだな」


「……そんなことはないですよ。彼女が喝采三儀様なわけがないでしょう。こんなところに、それも俺の目の前にあらわれることなんて、あるはずがないじゃないですか。それにですよ、もし仮に、彼女が喝采三儀様だったのだとしたら、それこそ犯罪者呼ばわりしてもいいんですか? あの喝采家のご令嬢れいじょうじゃないですか」


 転人はがらにもなく嘘をついた。

 そのはぐらかしは、お世辞せじにも上手だとは言えなかった。


 わざわざ相手から踏みこんできたのだから「知っています」と言ってしまったほうが、もしかしたらよかったのかもしれない。

 ただ、このときの転人は、言いようのない不信感ふしんかんを抱いていた。

 不安と言ってもいい、転人自身が説明のできないみょうな感覚だった。

 不運な人生だったからこそつちかわれてきた、危機感知ききかんち能力なのかもしれない。

 もちろん、感知できたとしても、回避かいひできるとはかぎらない。

 それこそが、もしかしたら、転人を『負け犬DOG』たらしめている要因よういんなのかもしれない。


「心配にはおよばん。少女が喝采三儀であることは確認済みだ」


 どうやって調べたのかは知らないが、願石はそれを確信している様子だった。


「そして、彼女を犯罪者と呼んだことについても、問題はない。なぜなら、彼女を犯罪者認定されたのは、なにを隠そう喝采白主様なのだから。つまり、彼女を犯罪者とすることこそ、株式会社NOQSの総意なのだ」


 喝采白主の名に、転人の心は自然と反応してしまう。

 そして、その名において奴がなにをしたのかを理解して、ある確かな感情を抱いてしまう。

 言葉にするのが難しい感情だったが、それでも言葉はあふれてしまう。


「ムカつく」


「なにか言ったか?」


「いえなにも」


「……まあいい。貴様の忠告ちゅうこくいたるが、今は優先すべきことがある。廻転人よ、喝采三儀はどこにいるのだ、正直に言え」


「知らないですよ。彼女が喝采三儀様であることも、今知ったくらいですから」


「本当か?」


「本当ですよ。俺は彼女がどこに行ったのか知らないし、行く先を見ても聞いてもいない。そもそも、呼びとめられたのは俺のほうなんです。彼女のことは、なにも知らない」


「そうか」


 願石は、転人を凝視ぎょうししたあと、納得なっとくしたようにうなずいた。


「貴様の言葉、ここは信じるとしよう。ただ、もう一つ。調べてわかっていることがある」


 そう言って、願石は人差し指で転人の手元を指し示す。


「喝采三儀は貴様に、なにかを渡したようなのだ。ちょうど今、貴様が持っている、そのケースのようなものをだ」


 転人は、ケースを持つ手に力をこめる。


「それは、喝采三儀が盗み出したダイスなのではないか?」


 その問いに、転人は答えない。

 答える必要のないことだったからだ。


「とても貴重なダイスだと聞いている。これからの世界に絶対に必要になるものなのだそうだ。だからこそ、どうしても返していただきたい。それに、貴様程度のものには到底あつかえる代物しろものではないはずだ。だから、もし持っているのだとしたら、素直すなおに渡してもらえないだろうか。もちろん対価たいかは払うつもりだ。なんなりと申しつけてくれ、特別に私のほうから上へとはからってやろう」


 慇懃無礼いんぎんぶれいな願石のもの言いに、反発心はんぱつしんがわかなかったわけではない。

 ただ転人は、願石の発した「貴様にこのダイスはあつかえない」という言葉に、悔しいが同意してしまっていた。

 転人自身がそう考えたからこそ、このケースを持ち歩いていたわけで、彼女に会ったら返そうと思っていたのだった。


 返す先が彼女じゃなくても、むしろ本来の持ち主ならば都合がいいんじゃないだろうか。

 その相手が、喝采白主だというのならば、尚更なおさらだ。

 だってそうすれば、もう妹のことを思い出さなくてすむのかもしれない。

 俺はもう、死んでいく妹を、見なくてすむのかもしれない。


「対価はなんでもいいんですか?」


「ああ、もちろん」


「それじゃあ」


 転人は、ケースを持つ腕を自分の前へと回す。願石によく見せるため、少し持ちあげる。

 これでいいんだ。

 これでようやく。

 転人の目は、そんな表面的な気持ちとは裏腹に、今まで見たことがないような、するどい光をびていて――


「ダメです!」


 女の子の悲痛な叫び声が聞こえた。

 そして、転人の持つケースに、何者かががばっとおおかぶさってきた。


 喝采三儀だった。


 いつの間に!?

 いったいなにをしてるんだ!?


 転人がケースを持ったままなので、彼女はまるで転人にぶらさがって遊んでいるように見えた。

 もちろん本人にそのつもりはまったくなく、必死になってケースを、ケースの中のダイスを守ろうとしているのだった。


「転人さん、このダイスを渡してはダメです! このダイスは希望なんです! 転人さんがダイスダウンで勝利するために、絶対に必要なんです! 私の……私の大切な家族を取り戻すために、絶対に必要なんです!」


 三儀は、ダイスなんかよりも転人を、転人の勝利を、家族を守ろうとしているのだった。


「飛んで火にいる夏の虫とはこのことだな。首絞役員よ、その少女を確保しろ」


 花道を作っていた生徒たちが、一斉いっせいに転人にむらがり、彼女を引きはがしにかかる。


「やめて! ……離して!」


 抵抗むなしく、彼女は腕を取られ、ケースから引きはがされていく。

 そのまま、数名の首絞役員によって強引に連れて行かれてしまう。

 残った役員は、転人のまわりを取り囲むようにしてかまえを取っていた。ケースの中身が目的のダイスだとわかったからだろう。


「転人さん!」


 三儀は、転人に手を伸ばす。


「渡しちゃ、ダメです!」


 彼女は、力のかぎり叫ぶ。


 転人さん!


 転人さん!


 彼女は、転人の名前をくり返し叫ぶ。


「転人お兄ちゃん!」


 三儀の声に混じって、巻菜の声が聞こえた気がした。

 転人は目を見開く。

 巻菜が、そこにいた。

 巻菜が、手を伸ばしていた。

 あのときつかめなかった手が、そこにあった。

 転人の頭に、心に、自分自身の声が響く。


――お前はまた、見放すのか?


――また、見殺すのか?


――もう少し手を伸ばしていれば。


――そんな後悔を、ずっとし続けるのか?


――意味のない懺悔ざんげを、このまま続けるのか?


「ちょっと……待ってくれませんか」


 自然と口から言葉がこぼれていた。


「なんだ? このにおよんで抵抗など、それこそ無意味というものだ」


 願石は、すごみをこめた声で、転人を威嚇いかくする。

 しかし、今の転人は、そんなものでひるむ覚悟を持ち合わせてはいなかった。


「抵抗なんてしませんよ。ただ、か弱い女の子に乱暴するなんて、あんたのような男がすることじゃないと、そう思っただけです。……それに、俺は一言も、これを渡さないとは言っていないんですよ」


「ほう? ならばそれを渡してもらえるのだな」


「ええ、お渡ししますよ。ただし、あんたが俺に勝てたら、ですけどね」


 願石は「なにを言っているんだ?」という顔をしていた。

 それはそうだろう。

 願石が転人を知らないわけがない。

 転人は、誰もが認める『負け犬DOG』なのだ。

 負けることは、生まれたときから約束されているのだ。

 だが、転人には関係がなかった。

 そんな考えこそが、無意味だった。

 彼女の手を、伸ばされた手をつかめるのは、転人だけだ。


――その手をつかむのは、今なんだ……。


――手を伸ばすのは、今なんだ……!


「俺は、あんたにダイスダウンを申しこむ。その少女とこのダイスをけて、俺と勝負しろ、願石幸鉄!」

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