第9目 転人vs願石

 願石は、雄叫おたけびをあげ、ダイスを降った。

 ダイスは、その大きさに似合わず、勢いよく転がっていく。


「これは、貴様への敬意けいいをこめての、手向たむけの話と思ってもらえればいい。私にも、貴様と同じように通り名があるのだ。『堅幸ROCK』、私はそう呼ばれている。私の名前が、“ガンセキ”であり“幸鉄”だから、ということもあるのだが、それだけではない」


 願石のダイスは、転人の前まで転がり、六を出してとまった。


「私がダイスを降ると、その多くが六となるのだ」


 ろくの目を常に出せるほどの幸運ラックから、『堅幸ROCK』。

 『負け犬DOG』とは、真逆まぎゃくと言っていいような名前だった。


「これで貴様も六を出さなければ、私の勝ちとなる。このまま放棄ほうきしても結果は同じ。だが、私としてはせめて闘いたい。もちろん強要きょうようするつもりはないのだが、どうする、廻転人よ」


 そんな願石のあわれみにも似た言葉は、転人にはまったく届いていなかった。


 これを降れば終わる。

 彼女も、あのダイスも、自分自身も、すべてが終わってしまう。

 結果は決まっているんだ。

 一しか出せない。

 だからこそ、手は動かない。

 ダイスは動かせない。

 守りたいものが。目の前でまた消えていく。

 また飲みこまれていく。

 結局俺は、なにも守れない。

 なにもつかめない。


〈――本当に?〉


 どこからか声が響いた。

 誰だ?

 まわりを見回しても、声のぬしらしき人間はいなかった。


〈――本当に、つかめていなかったのか?〉


 それでも声は響いてくる。

 誰なんだ。

 なんなんだ。


〈――その手は、本当に、なにもつかんでいないのか?〉


 声が響くたびに、転人のその疑問はかすれていき、段々と声の言わんとしていることに向かって、意識がまされていく。

 声のままに、転人は伸ばした手を握りしめる。


〈――主は、本当は、つかんでいたのではないのか?〉


 転人には、不思議な確信が芽生めばえていた。


 手の中のダイス。


 このダイスでなら、願石に勝てる。


 このダイスでなら、世界をひっくり返せる。


〈――本当に大切なものは、すでにその手の中にある〉


「うおおおおおお」


 このダイスで、願石に勝つ。


 転人は声に導かれるように、ダイスを大きくふりかぶる。

 そして、願石のダイスに向かって、そのダイスを降った。

 転人のダイスは、一直線に願石のダイスへと飛んでいき、その大きさをものともせず、願石のダイスをはじき飛ばした。


「貴様、なにをする!」


 転人はそれに答えない。


「……なるほど。出目では勝てないとわかって、私のダイスを場外へと飛ばすつもりだな。だが、そうはいかん! そちらがそのつもりならば、こちらも容赦ようしゃはせんぞ!」


 願石は、空中へと飛ばされた自身のダイスへ向け、腕をふりあげる。


「私が『堅幸ROCK』と呼ばれている、もう一つの理由を教えてやろう! 『堅幸ROCK』とはその名のとおり『岩』を表す名なのだ。それも『大岩』だ! 私のダイス、その名も『ROCKロック』は、鉄をも越える『巨岩』となるのだ!」


 願石の声に呼応するように、彼のダイスが肥大化ひだいかしていく。

 何倍にもふくれあがり、彼の名のとおりに、巨大な“ガンセキ”となった。


「貴様のダイスは、所詮しょせんただのサイコロだ! 私の『ROCK』ですりつぶしてくれる! くらうがよい!」


 『大岩成就たいがんじょうじゅ


 今までで最も大きな声で、願石は叫んだ。

 ダイスと同じように自身を何倍にも大きくし、地面にさんばかりに、拳とともに腕をふりおろす。

 その腕の動きに合わせて、巨岩となったダイス『ROCK』は、隕石いんせきとなって転人のダイスへと降り落ちていく。

 転人も三儀も首絞役員も、大地までもが、その迫力はくりょくに震えていた。


 このままでは、転人のダイスは、粉々こなごなくだかれてしまう。

 三儀は、そう思った。


 ただ転人は、違った。


 転人のダイスは、願石のダイスに比べてとても小さく、震えるほど弱々しい。

 だが、おびえることはない。

 勝てる。

 どんな強大な力だろうと、俺のダイスならば、ことができる。


 世界を


 一を六に、負けを勝ちに、


〈――ひっくり返すか。なるほど面白い〉


 声は、転人の考えを読みとったように、にやりと笑うようにそう言った。


「これで、私の勝ちだ!」


 願石がえる。

 願石のダイスが、転人のダイスを押し潰す。


 三儀は、気丈きじょうにも目をそらさずに、その光景を見ていた。

 強く両手を握り、見開いた目は潤んでいた。

 勝負の決着を、告げなければならない。

 それが私の役目であり、覚悟だ。

 そう三儀が決意けついし、口を開こうとしたとき。


「それはどうかな」


 転人の声は小さかったが、驚くほどクリアに響いた。


 願石のダイスの下から、光がまたたいた。

 放射状に広がった光は、となって、願石のダイスの下へと吸いこまれるように収縮しゅうそくする。


 次の瞬間、願石のダイスは弾かれるように上空へと飛ばされていた。

 鉄をもこえる大岩となったそれが、やわらかくゆがんで見えるほどの衝撃しょうげきだった。

 願石の頭上をはるかにこえて飛んでいき、フィールドをぐるりと取り囲む観客席の上空まで飛ばされていた。


 なにが起こったのか、誰にもわからなかった。


「どういうことだ!? なぜ私のダイスが!?」


 上空に舞いあがった願石のダイスは、そのまま観客席へと落下していく。

 落下とともにその身が削られ、まさしく隕石が成層圏せいそうけんで燃えつきるように、元のダイスへと戻っていく。

 アリーナにいる皆が、その様子を目でっていた。


「そ、そんな、バカな!」


 転人のダイスは、一の目を出して、フィールド上に鎮座ちんざしていた。

 対して願石のダイスは、目を出せずにフィールド外へと消えていった。


 一、対、出目なし。


「俺の勝ちだ、願石幸鉄。約束どおり、ダイスと彼女を自由にしてもらうぞ」


 願石は、転人をふり向き、心からの叫びをあげた。


「どうなっている! なにをやったというのだ……! そのダイスは……いったいなんなのだ!」


「このダイスは……世界をひっくり返すダイス、その名も……」


 そういえば、ダイスの名前を聞いていなかった。

 転人は三儀に、身ぶり手ぶり顔ぶりを使って、それを聞く。


 三儀はそれを見て、その思いをくみ取り、なにかを考えるような素ぶりをする。

 そのまま少し悩んでから、なにかをつかんだように、ぱっと顔をあげた。


「そのダイスの名前は、DOGです!」


 はずんだ声が木霊こだました。

 もちろん、三儀の声だった。

 得意満面とくいまんめんな顔をしていた。


 ……いやいや。

「そんなわけが……」


〈――ほう、私は『DOG』なのか。たしか『DOG』というのは、こういう生きもののことだったな〉


 どこからともなく聞こえてきた声とともに、転人のダイスは、まさしく犬へと姿を変えた。


「…………」


 犬となったダイスは三儀のところへとけより、しっぽをふっていた。

 三儀はかがんで、その頭を優しくなでている。


「とってもかわいいです」


 三儀は、満面の笑みを浮かべていた。

 その光景に、願石はもちろん、そのほかの首絞役員もなにも言えず、動けずにいた。


「……とりあえず、判定ジャッジだけは、お願いできないかな」


 転人は、彼女と同じように顔をほころばせながらも、遠慮えんりょがちにそう言った。


「そそそうでした、そうですよね」


 彼女はあわてて服装を正し、さっきまでのりんとした姿に戻った。

 ただ、その顔には、もう悲しみは浮かんでいなかった。


 喝采三儀は、澄みきった声で、その場にいる全員に告げる。


「勝者、廻転人。これにて、本ダイスダウンは決着とする」


 転人は、その伸ばした手で、ようやく大切なものをつかんだのかもしれなかった。


 そしてこれが、廻転人の負け続けの人生の終わりであり、後戻あともどりのできないダイスをめぐる闘いの始まりとなったのだった。

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