第5目 転人にダイスはあつかえない

 転人は結局、ダイスを強引に押しつけられてしまっていた。


「まったく」


 「できることならなんでもするから」などという世迷よまよごとを言ってしまった結果だともいえた。

 どこまでも自分を呪わずにはいられない。

 そういう星のもとに生まれてしまったのだ、諦めるほかない。


 しかし、果たしてどうしたものか。


 自宅に戻り、机の上にケースを置く。蓋を開けると、さっきも見たとおりの銀色のダイスが眠っていた。


 もし仮に俺が間違っていて、彼女が正しかったとしたら。

 このダイスを使えば、俺もダイスダウンで勝てるのかもしれない。

 俺だって、勝てるのならば勝ちたい。

 変えられるものならば、一の目を変えてみたい。


 転人の心は、時間とともに揺らぎ始めていた。


 その揺らぎを断ち切るためにも、転人はそのダイスを手に取っていた。

 思ったよりもズシリとくる重さがある。

 軽い気持ちをよそおって、転がしてみる。

 コロコロと転がり、出た目は一だった。


 …………。


 “役目負いキャスティング”はできないんだろうか。

 そもそもあれは、どうやればできるんだろうか。


 何度も転がし、ときには声を出し、ポーズもつけてみたが、一向いっこうになにも起きない。

 一しか出ない。

 見て、降って、肌で感じて、深く考えてみても、世界をひっくり返す気配はどこにもなかった。


 俺は、このダイスを使いこなすことができない。

 仮に彼女の言い分が正しかったとしても、使えなければ意味がない。

 それが結論だった。


 やっぱり、これは返そう。


 こっちの話をろくに聞きもしない彼女が、強引に渡してきたものなのだ。つき返しても文句を言われる筋合すじあいはない。

 もちろん心苦しさはある。

 「彼女の期待に応えられないから」というだけではない。

 そういう気持ちがないわけではないが、それだけではない。

 単純に、彼女に会いたくないだけだった。

 連絡を取りたくない。

 彼女は自分のことを、喝采三儀だと名乗った。

 喝采白主の娘だと言ったのだ。

 彼女に会うためには、株式会社NOQSへと連絡をすることになる。

 そうすれば、最終的には彼女のところへと通じるだろう。

 通じてしまうのだろう。

 妹を殺したものたちへと、つながってしまうのだろう。

 彼女も……喝采三儀も、そのひとりだ。

 そのことがどうしても頭をもたげてしまう。


 転人の妹である巻菜は、転人の目の前でこの世から消えた。


 思い出したくもない記憶だったが、それでもどうしても、忘れることができない記憶だった。

 ふとした瞬間に、脳裏のうりに染み出してくる記憶だった。


 朧気おぼろげな景色の中で、真っ黒な炎が吹き荒れていた。

 炎はあらゆるものを飲みこまんと、口を大きく開け、荒風あらかせを巻き起こしていた。

 そこがどこなのかは、断片的だんぺんてき過ぎてわからない。

 ただ、そこには確かに喝采白主がいた。

 そして目の前には、今にも炎に吸いこまれそうになっている巻菜がいた。

 巻菜は転人に向かって、必死な思いで手を伸ばしていた。

 転人も巻菜に向かって、ありったけの力で手を伸ばす。

 ふたりの手はお互いの指先に触れて、そのままたぐりよせるように伸びていく――かのように見えた。

 しかし、幼いふたりの手は、お互いをつなぎとめるには小さすぎたのかもしれない。


――あ


 風が一層強くなった。

 巻菜の身体が浮き、転人から離れていく。

 ふたりの手の距離が遠ざかる。


――巻菜


 転人の手はなにもつかむことができず、彼はただ、闇に飲みこまれていく大切なものを見送ることしかできなかった。

 炎に消えていく妹を見ながら、転人は必死に名前を叫んだ。


「巻菜!」


 自分の叫び声で、転人は目を開けて身体を起こした。

 心臓が激しく脈打みゃくうち、汗がき出していた。

 いつの間にか、眠っていたらしい。

 息をととのえて、自分を落ち着かせようとする。

 そして、今まで何度もくり返し考えてきたことを、あらためて言葉にする。


「……妹を救えなかったのは、俺だ」


 妹を殺したのは、俺だ。


 転人にとって、この世界でもっとも許せないのは、他の誰でもない、自分自身だった。

 それでも、喝采白主のことを考えると心がざわつく。

 喝采三儀のことを考えると、胸が苦しくなる。


 そんな自分自身のことも、転人は大嫌いだった。


「……だめだだめだ」


 転人は頭をふって、嫌な考えをふりはらおうとする。

 眠る前にしていたことを、無理矢理にでも思い出そうとする。


「確か……ダイスを調べていたはずだ」


 かたわらに置かれたジュラルミンケースには、ダイス大のくぼみだけがあって、おさまるべき本体はなかった。

 両手をあらためて見てみるが、もちろんダイスの姿はない。開いたり閉じたりしてみても、ダイスは出てこない。

 机の上にも見当たらない。

 落としたのかもしれないと思い、机の下をのぞくと、あんじょう、転がっているダイスを見つけた。


 それも、ふたつも。

 …………。


 とりあえず、両方ともひろいあげて、机の上に置く。

 鏡で映したように、とてもよく似ていた。

 見分けがつかない。

 一つは、さっきまで手の中にあったダイスだろう。

 もう一つは、おそらく、落としたまま忘れ去ってしまっていたものなんだろう。

 ここまで似ているものを持っていた覚えはないが、こうして目の前にある。

 それこそが揺るぎない現実だった。


 落ち着こう。


 少しの特徴でいい、思い出すんだ。

 かすかな違いでいい、見つけ出すんだ。

 突破口を探すんだ。


 そう考えて、小一時間の格闘の末。

 結局、なにも成果をあげられずじまいに終わった。


 だから転人は、もうあきらめることにした。

 特徴とくちょうも違いも、まるで浮かんでこない。

 出口はどこにもなかった。

 ここまできたら、最後の手段しか残されていない。

 適当に選んで決めつけてしまう。

 それしかなかった。

 運がすべての世界。

 一しか出せない転人にはとんと縁のないものだったが、その道しかもう残されていなかった。


「……こっちだ」


 右側のダイスをつかみ、ケースにつっこみ、その勢いのままにふたを閉じる。

 もし間違っていたら、そのときは……そのときだ。

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