第4目 喝采三儀は妹を――

「……ということで、『負け犬DOG』と呼ばれているのは、俺が負け続けているからで、『巻菜』はその……知り合いにそういう名前の子がいて、君をその知り合いと見間違えたんだ」


 転人は彼女に、大体そんな感じのことを説明した。

 説明を最後まで聞いた彼女は、再び立ちあがる。


「あらためて、かさねて、まことに、申し訳ないことをしてしまいました」


 また転人の前まで移動して、転人に深々と頭をさげた。

 地面についてしまうかというほどの深さで、緊迫感きんぱくかんのある声を出していた。


「気にしないで、間違いなんて誰にでもあることなんだから、ほら座って、大丈夫だから」


「……はい」


 彼女は転人の言葉にしたがって、おずおずともとの場所まで戻り、ちょこんと座った。

 そのままうつむき、目を閉じている。

 さっきまでの饒舌じょうぜつさはどこかに置き忘れてしまったようで、いっさい口を開こうとしない。


 転人は、今度こそ、自分が謝るべきだと思っていた。

 彼女の様子を見るかぎり、とても受け入れてもらえそうにはなかったが、そんなことは関係ない。

 むしろ受け入れてもらえるように、緊張きんちょうをほぐすところから始めるべきだ。


「……そうだ、確か君は、俺のことを最初から『転人さん』って呼んでたよね? やっぱり、俺と君はどこかで会ったことがあるんじゃないかな? そうなるとやっぱり俺が謝るべきなんだよ」


 無理矢理なことはわかっている。

 だが、これが精一杯だった。


 彼女は変わらず目をつむったままで、微動びどうだにしない。

 転人が「やっぱりダメか」と諦めかけた、そのとき。


「……わた……」


 彼女は小さく口を動かした。


「私は……、おっしゃるとおり、転人さんのことを知っています」


「そ、そっか。じゃあ、やっぱりどこかで会ったことがあるんだよね。それとも……もしかして、俺ってそんなに有名なのかな……? 嫌な噂が広まってることは知ってるんだけど」


「そう、じゃないんです……私が手ずから調べたんです」


 彼女は目を開ける。

 その目は、目の前に広がる赤い景色を映していた。


「……先ほどは、私の不徳ふとくいたすところで、転人さんに多大ただいなご迷惑をおかけしてしまいました。ただ私は……最初から、転人さんに会うために、ここに来たのです」


「え」


 意外な答えに、転人は少し驚いた。

 そういうことならば、彼女が最初から「転人さん」と呼んだことはうなずける。

 けれど、自分がわざわざ見知らぬ誰かに会いに来てもらえるほどの人間だとは、到底とうてい思えなかった。今日のあの三人のように、『負け犬DOG』であることを期待している様子は、もちろんまったく感じられない。


「私は、転人さんのことを知っているんです」


 名前は廻転人。

 株式会社NOQSノックスが経営する一ノ目高等学校にかよう一七才、男性。

 彼を知る人々は、彼のことを『負け犬DOG』と呼んでいる。

 ほとんどの科目かもく優秀ゆうしゅう成績せいせきをおさめている。ただ采学だけは、いつも最低点を叩き出してしまう。そのため、総合成績としては、いつも落第らくだいぎりぎりをさまよっている。

 幼いころに両親と妹を亡くしており、現在は叔父おじ援助えんじょのもと、ひとり暮らしをしながら学業にいそしんでいる。


「なんで……そんなことを」


 なんで、そんなことまで。


 通う学校までならば、調べる方法もあるだろう。しかし、その成績となると、簡単には開示されないはずだ。

 それになにより、家族や妹のことは、それこそ誰にも話していないことだ。


 内容は表面的なことだけではあったが、それだけで十分だった。

 さっきまでの顔を赤くする彼女は単なる仮面で、その裏にひそ得体えたいの知れないものが顔をのぞかせてきているような、そんな気さえし始めていた。


「ごめんなさい……。見ず知らずの私が、あなたのことを詮索せんさくしていいはずがありません。……ですが、私にはどうしても必要だったんです」


 私には、あなたが必要なんです。

 そう言う彼女は、ひざに乗せた両の手をぎゅっと握りしめていた。


「『負け犬DOG』の意味こそたがえていましたが、そう呼ばれることになった原因までは違えていませんでした。ですから、そのことを理解した上で、私は『あなたでなければならない』と、そう思っているのです」


 彼女は、どこから取り出したのか、小型のジュラルミンケースを自身の膝の上に置いた。

 転人に中身を見せるように、ふたを開けてケースを回転させる。

 ケースの中には、手で軽く包めるくらいの小さな立方体が入っていた。

 金属を思わせる銀色をしていたが、表面が加工されているからなのか、光は反射していない。


「これは……ダイス?」


 見える面には、数字を示すと思われるドットが削り入れられていた。


「そうです。ですが、ただのダイスではありません。一般には流通していない、研究によって生み出された、世界でただ一つのダイスです」


 彼女の目は、転人に、それこそプロポーズのときよりも強く、そして悲壮感ひそうかんをもって向けられていた。


「これを、あなたに差しあげます」


「俺に?」


「はい。あなたの自由に使っていただいてかまいません。ただその代わりに、このダイスで、ある人物とダイスダウンをしていただきたいんです。そして、どうかその人物に勝利していただきたい。さきほどの非礼ひれい承知しょうちの上で、どうかお願いしたいのです」


「それは」


 彼女の言葉が終わる前に、転人は声を出していた。


「無理だよ」


「どうして……ですか」


「さっきも言ったとおり、俺はダイスダウンでは絶対に勝てない。……ダイスダウンだけじゃない、ダイスを使ったあらゆることで俺は結果を残せない。どうやっても一しか出せないんだ。一で勝てる相手なんか、この世界にはいないよ。だから、誰にも勝てないんだ。これは……受け取れないよ」


 転人はケースを返そうとするが、彼女は首を横にふって、さっきよりも強く、転人にそれを押しつけてくる。


「そんなあなただからこそ、これを使えば勝てるのです」


「だからこそ?」


「このダイスには、特別な力があるんです。世界のすべてを変えてしまうような、強大な力です。このダイスを作った人間は『世界をひっくり返す力がある』と言っていました。つまり、このダイスを使えば、一を六に、負けを勝ちに変えることができるんです。このダイスは、絶対に勝つことができない、一しか出すことのできない、そんなあなたが使うべきなんです。あなたが使えば、どんな相手だろうと必ず勝利できます」


 彼女の言葉からは、さげすみやあおりは感じられなかった。

 同情どうじょうあわれみもなかった。

 勝てるようになると信じてうたがわない、強い意志だけがあった。


 だが転人は、そんな彼女のことをいっさい信じられなかった。

 「ひっくり返す」という言葉は、おそらく彼女が考えているようなものではない。“世界の常識じょうしきくつがる”程度の、よくある常套句じょうとうくだ。


 それになにより。


 そもそも自分が勝てるだなんていう絵空事えそらごとを、微塵も信じることができなかった。

 そんなこと、できるわけがなかった。

 彼女の言葉は、彼女の勘違かんちがいでしかない。

 そうに違いない。

 だからこのダイスは、俺が使うべきものなんかじゃない。


「……このダイスを作ったのは誰なんだ?」


「それは……」


 少しの間を置いてから、彼女はくちびるを少しふるわせながら続ける。


「私の、父です」


 彼女は、転人から視線をそらす。


「なら、お父さんにもう一度、このダイスのことを聞いてみるといい。そうすれば、俺なんかよりもこのダイスにふさわしい人を見つけてくれるよ」


「それは……駄目なんです、無理……なんです」


 彼女は悲しそうな顔をしていた。


「どうして」


「それは……転人さんに倒していただきたい相手が、その父だからです」


 彼女の声は、静かながらも力強い語気をはらんでいた。


「私には、どうしても取り戻さなければならないものがあるんです。そのためには、どうしても父を倒さなければならない。たとえ世界を敵に回すことになっても。たとえ世界のことわりに背を向けることになっても。私は、そうしなければならないのです」


 転人たちを照らす夕日は、ゆっくりと地平線の向こうへと落ち、空が黒に染まっていく。その中でかろうじて映える橙は、まわりにわれまいとあがき、より一層輝いているように思えた。

 彼女は、その残光ざんこうを目に宿しながら、転人に告げる。


「私の父は、喝采白主かっさいはくしゅ。株式会社NOQSの代表取締役社長だいひょうとりしまりやくしゃちょうです」


 転人は、その名前をよく知っていた。

 現代に生きる人間で、彼の名前を聞いたことがない人間は存在しない。

 そういう意味では、誰もが知っている名前ではあった。


 ただ、転人にとっては、それだけの名ではなかった。

 その名を聞くだけで、鼓動こどうが早くなり、脳がきしみをあげる。

 その男は、転人にとって、それだけ特別な存在だった。


 だが、今はそれを表には出さない。

 出すわけにはいかない。


「……つまり君は」


 彼女は、


「私は……喝采白手の三女、喝采三儀さんぎです」


 目の前にいる小さな女の子は、


 ダイスの世界でトップシェアをほこる、株式会社NOQS代表の娘で、


 ダイスダウンを考案し、全世界に普及ふきゅうさせた喝采家の末裔まつえいで、


 にくむべき人間のひとりだった。

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