第2目 転人さんのお嫁さんになります

 現実の女の子のみちびきで、転人は近場ちかばの公園のベンチに腰をおろしていた。

 とうの彼女はというと、転人に向かい合うようにしてまっすぐに立ち、両手をまっすぐにおろしながら、深く頭をさげていた。


「先ほどは不躾ぶしつけなもの言いをしてしまい、大変申し訳なく思っております。心からおび申しあげます」


「そこまでしなくても……。俺も、いきなり呼びかけちゃったわけだか……ですから、おあいこ……ですよ」


 転人は、彼女がどんなもの言いをしたのか、まるで理解できていなかった。だから彼女にそこまでしてもらう理由が、そもそもわかっていなかった。

 どちらかというと、あやまるのは自分だろうとさえ思っていた。

 道ばたで小さな女の子に声をかけるという、世が世ならあんとして取りあげられてしまう行為をしたのだから、自分のほうが謝るべきだろう。


 転人は彼女のことを、もう一度しっかりと見る。

 やはり彼女は、巻菜では、ない。

 そんなことは、当たり前じゃないか。

 巻菜は、もう、いないんだから。

 十分にわかっているはずなのに、何回も確認してしまう。どうしても確認せずにはいられない。

 転人は頭の中の妹と目の前の彼女を、いまだに引きがせずにいた。しどろもどろな言葉が、まさしくそのことをあらわしていた。


「おやさしいおこころづかいに、感謝かんしゃいたします」


 彼女は、転人をとがめることもなく、折り曲げた体を起こして、にっこりと微笑ほほえんだ。

 彼女の小さなたいとその顔立ちを考えると、あどけなさが残っていてもおかしくない年齢ねんれいにも見えた。ただ、その立ち振る舞いと口調、なによりも表情が、そんな思いを一蹴いっしゅうさせていた。


 どうして彼女と巻菜をちがえたのだろうか。

 彼女くらいのたけの女の子は今までにも見たことはあった。

 けれど、巻菜を重ね合わせることは一度もなかった。

 彼女をこうして間近まぢかで見て、声を聞いても、巻菜だと思えるところはこれといってない。


 巻菜とは、まったく違う。


 転人にとっての巻菜とは、最愛のものであり、きんなものだ。

 おいそれと触れることは自分自身だろうと許せない、それほどの存在なのだ。

 それでもどうしても、思い出さずにはいられない。

 思い出して、怒り、悲しみ、迷い、なげく。

 そのくり返しの中で、日々を過ごしている

 だから今日も――


「――転人さん。……あの、転人さん、聞こえていますか?」


「ははい、ななんでしょう?」


 もやもやしかかっていた転人は、彼女の言葉で現実に引き戻された。


「そうかたくならないでください。じゃく輩者はいものである私には、丁寧ていねいな言葉など不要です。どうからくに、口調くちょうもおくずしになってくださいませ」


「そう、ですか?」


「そうですよ」


 ふふふ、と彼女は笑う。

 彼女といると、まるでかしこまっている自分がおかしいように思えてしまう。

 それは彼女との会話に、他にはない安心感を覚えてしまっているからなのかもしれない。彼女に巻菜を投影とうえいしてしまっているからだろうか。


「わかった、お言葉に甘えて、そうさせてもらうよ」


「はい」


 彼女は、うれしそうにうなずいた。


「あの……それでですね、一つだけ、確認をさせていただきたいのですけれど……」


 さっきまでのハキハキとした様子を一転いってんさせて、彼女は歯切はぎれの悪い言い方をする。

 よくよく見ると、顔を少しうつむかせ、上目遣うわめづかいで転人をうかがうようにしている。それは、両の手の指先を合わせては離すという仕草しぐさが、とてもよく似合にあう表情だった。


「私のことは……その……ごぞんじでしょうか?」


 知っているようでもあり、知らないようでもある、というのが正直なところではあった。

 ただ、もし知っていたとするならば、巻菜と間違えてしまうことはなかったのではないだろうか。

 そう考えると、やはり自分は彼女のことを知らないのだろう。


「……知らない、と思う。もしかして、どこかで会ったことあるのかな? もしそうだとしたら、覚えてなくてごめん」


 それが転人の答えではあったのだが、もっともらしく聞こえるそれは、どこか空々そらぞらしく感じてしまうふしもあった。

 どこか巻菜を思い出すときのような、もやもやを感じてしまう。


「いえいえそんな、謝らないでください」


 彼女は、顔を横にふる。

 少し残念そうな、悲しそうな顔をのぞかせたが、すぐに嬉しそうな笑顔に戻る。


「私のことをご存じないということでしたら、これほどのことはございませんので」


「それは……つまり?」


「つまり……そうですね、言うなれば、私は……転人さんのお言葉にお応えしたいと、そういうことになります」


 そう言われても、転人はまったくぴんときていなかった。

 転人のそんな表情を読み取ってなのか、彼女は深呼吸をしてからゆっくりと口を開く。


「ですから……私は」


 彼女は、転人を強く見つめる。

 その大きなひとみは、あでやかにうるんでいて、宝石のようにきらめいていた。


「私は、転人さんのお嫁さんになります」


 ……なんだって?

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