第1降 私の犬になっていただけませんか?

第1目 私の犬になっていただけませんか?

 廻転人は、学校からの帰り道、だいだいから黒に変わろうとしている道をひとりで歩いていた。


 彼にとって、のダイスダウンは、いつものことだった。

 この世界では、ダイスの強さが人間の強さにつながる。

 より大きい数字を出した者が上に立つ。

 転人は、そのダイスの目に、ことごとく嫌われていた。

 嫌われているというよりも、それは呪いのようだった。


「そう、これはきっと呪いなんだ」


 俺はもう、一以外の目を出すことができないんだ。

 彼自身が、そう思っていた。


 いつでもどこでも一しか出せない。

 勝ちにはなされた人間。

 負けを約束された存在。

 そんな彼のことを、まわりの人間はこう呼ぶようになった。

 天性の『負け犬DOG』と。


 出目が一では、誰にも勝てない。

 たとえ相手が一を出したとしても、結果は必ず引き分けだ。

 相手が二以上を出すまで、同じことがくり返されるだけ。

 負けるためだけの、単純作業だった。


 そんな単純作業を、転人はこれまで何百回、何千回とこなしてきた。

 だから、今日の勝負くらい、彼にとってはなんでもないことだった。

 ダイスがこわされたところで、代わりはいくらでも手に入るし、ジュースの一本くらいさしたる出費しゅっぴじゃない。命がかかっているわけじゃあるまいし。


「こんなこと、たいしたことじゃない」


 いつものことだ。

 いつもと変わらない……日常だ。。

 そう思いながら歩く転人の足は、その思いの重さ分、段々と重くなっていった。

 どろどろとした気持ちにひたり、まわりが見えなくなっていった。

 幸い、転人が歩いている道に、転人以外の人影はない。


 だから、誰かに迷惑めいわくをかけることはなかった。

 当然とうぜん、転人の目を覚ますものもいなかった。


 いつもと同じように、首飾くびかざりにつけた半欠はんかけのダイスをにぎりしめる。

 それは、気持ちがよどんだときにする彼のくせだったのだが、今日はいつにもして握る力が強かった。


「そういえば――」

――あのころは、ダイスダウンを楽しめていたな。


 なぜかはわからなかったが、今日はそんなことまで考えてしまっていた。

 頭の中に、小さいころの景色けしきが浮かんでくる。


 そこは真っ白な空間だった。

 本棚とベッドと背の低い円形の机が置かれた、四角い部屋だ。

 今の転人からするとそこまでの広さはなかったが、小さいころの転人には十分すぎるほどの大きさがあった。

 床にはプラスチック製のロボットやふわふわのぬいぐるみ、木製もくせい汽車きしゃや組み立て式ブロックが散らかされていた。


 小さな転人は、部屋の中央に置かれた机の横に立っていた。


――ここは、どこなのだろうか。

――これは、いつの記憶だろうか。


 思い出そうとすると、頭にずんとした重さが広がり、もやもやとした気持ちがわきあがる。

 その苦しさに、転人は自然と足をとめていた。

 思い出と現実が入り混じり、視界がぼやけていく。

 まぶたの重さにえられず、思い出の中に引きこまれてしまう。


 記憶の中の小さな転人は、その手にダイスを持っていた。

 どうやらダイスダウンをするところらしい。

 小さな転人は楽しそうな顔をしていた。心の底からダイスダウンを楽しもうとしていることが、その表情ににじんでいる。


「早くやろう!」


 小さな転人から、そんな元気な声が聞こえた。

 昔の自分がそんな声を出していたことに、おどろきをかくせなかった。


「※△■◇▼」


 そんな小さな転人の言葉にこたえるように記憶が振動しんどうした。

 それは、誰かの声だったのかもしれない。

 しかし今の転人には、奇怪きかいな音とも奇妙きみょうな色ともいえない、抽象ちゅうしょうてき現象げんしょうにしか感じられなかった。

 ただ一つだけ、それが小さな転人に対する肯定こうていだったということだけは、なぜかわかった。


「じゃあ、始めるよ」


 小さな転人は、机をはさんだ反対側を見つめる。

 そこには、ダイスダウンの対戦遊び相手がいた。

 真っ黒に塗りつぶされた人型ひとがたのなにかだった。

 人間にんげんだいのそのかげは、黒い身体からだをゆらゆらとらめかせていた。


「ダイスぅぅうううダウン!」


 小さな転人と黒い影は、たがいにダイスを降る。

 それらは机の上をころころと転がって、一度かちっとぶつかってとまった。

 小さな転人のダイスは一、影のダイスは六を出した。


「また負けたぁ」


「※△■◇▼」


 くやしそうな小さな転人と嬉しそうな抽象映像えいぞうが、今の転人の頭を揺らす。

 徐々じょじょにその揺らぎは大きくなっていく。

 胸騒むなさわぎがとまらない。


 転人は、この黒い影が誰なのかを知っているし、知っている以上のを持っていた。

 そのことを、転人はもちろん忘れてはいなかったが、それらを思い出すたびに、ただ目をそむけて、下を向きながら生きてきているのだった。

 黒い影との思い出は、今までも何度も思い出してきたが、いだく思いはいつのときも変わらない。


 いつもと同じく、息苦しくなる。


 なんとか酸素さんそを取りこもうと、ゆっくりとしん呼吸こきゅうをする。

 吹き出すあせぬぐいながら、まぶたを強引に開けていく。

 それに合わせたかのように、記憶の中の黒い影にゆっくりと色がつき始める。

 手がえ、足が映え、最後に顔が映え、全身が綺麗きれいいろどられていく。


 その姿すがたは、転人のよく知る人間のそれとなった。

 その綺麗な両の目が、夕日にたたずむ転人の両の目を、まっすぐに見つめていた。


「――巻菜まきな


 転人の目の前には、あかに染まる女の子が立っていた。


 廻巻菜。


 それは、もうこの世にはいないはずの、転人の妹の名前だった。

 これが現実なのか、はたまた記憶の中なのか、転人には判断できなかった。

 だから転人は、思わずその名を口にしていた。

 目の前の女の子が、自分の記憶から抜け出してきた、最愛さいあいの妹に思えてしまっていた。

 おさないころに失った大切な妹が、帰ってきたように感じてしまっていた。

 そんな転人におうしてなのか、転人の目にうつる彼女は口を開き、言葉を発する。


「転人お兄ちゃん」


 彼女は、そう言った。

 転人には、そう思えた。


「巻菜」


 だから転人は、もう一度、しっかりと妹の名前を呼んだ。


 転人の言葉を聞き、転人の目の前にいるは大きな目をさらに大きくし、少し体をらせた。

 少し目をおよがせたあとに、またまっすぐに転人を見た。


「……転人さん」


 現実の女の子は、転人の呼びかけにはもちろん応えていなかった。

 その代わりに、転人の言葉の裏をはかり、その言葉の意味するところを真摯しんしに受け取り、精一杯せいいっぱいに向き合った。

 その結果、彼女は勇気をふりしぼるようにして、こう言葉を続けた。


「私の犬になっていただけませんか?」

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