婚姻関係
「どうしましょうシャーロット様!!」
険しい顔をして執務室に駆け込んできたメイドを、第2公女は同じく真剣な表情で迎えた。
「そうね…。私も読んだわ」
肘をつくシャーロットの執務机の上には新聞。その一面には「第3公子」と「ローレンス」と「婚姻間近」などの大きな文字が並んでいる。写真にはローレンスと、メイド服を着た黒髪の女性の姿。
どう見ても、目の前のエリのことである。
「全く最近の記者は凄いわね。まだ公表する前だって言うのに、あっという間に情報を掴んじゃうんだから」
新聞を畳みながら、シャーロットはため息をついた。だが焦りや驚きはない。交際自体は彼女にとって、決して予想だにしていなかったことではないからだ。
そう、シャーロットは知っていた。ローレンスがエリを専属メイドとして要求した本当の理由を。だが弟の恋心を相手に勝手に伝えるような、そんな無粋な真似をする筈がなかった。その為に黙ってエリを送り出したのだ。抹殺を行う気満々の彼女も、ローレンスの目的が分かればその剣を仕舞うだろうと予測して。
そして今回の交際である。これで完全に誤解は解けた。シャーロットはそう判断していた。
「今思ったけど…もし結婚したら、アンタが妹になるのか…。それはちょっと複雑ね…」
ぶつぶつと正直な気持ちを吐露する彼女を前に、エリは真剣な面持ちで口を開いた。
「どうしましょう…」
「ああ。まあ良いんじゃない?弟も結婚するつもりでアンタと付き合ってるんだろうし。両親に挨拶する日程も決まってるんでしょう?」
顔面蒼白のエリに、そっと助言をする。今回のこれは意図せず表沙汰になってしまったが、遅かれ早かれこのような事態になるのは想定していたことだ。新聞には「異国出身」や「身分差」との単語は並んでいても、批判的なことは一切書かれていない。それどころか「オペラのような純愛」など、この交際を大いに盛り上げるような言葉が並んでいる。
「シャーロット様…」
ところがこのメイドの暗い顔は変わらない。そして、予想外のことを口にした。
「わたくし…ローレンス様に好意を抱いてしまいそうなのです…」
「うん…?」
シャーロットが再び新聞を開き、もう一度紙面に目を通す。そこには「真剣交際」や「熱愛」の文字も並んでいる。
ぱちぱち瞬きをする。そしてエリに視線を戻し、確認の為にゆっくりと質問を提示した。
「好意を抱いてるじゃなくて、抱きそうなの…?」
「はい…。勝負に負け弱味を握られている以上、わたくしはローレンス様の奴隷に違いありません」
「奴隷…?」
シャーロットがもう一度新聞へ目を通す。突撃されたローレンスのインタビュー部分、そこには「彼女は大切な恋人です」との証言が載っている。
「……?」
「それなのにローレンス様と来たら、優しくするのですよ…。わたくしを、このような奴隷を、観劇に連れていき美味しい料理を食べさせ、時には着ている上着を掛けるような真似をするのです!」
「うん…」
「この前など軽食に間違って犬のおやつを出してしまったと言うのに、笑って許してくださるという寛大ぶり!」
「公子になんてもの食わせてるの」
エリが震えながら目を開く。そしてゆっくりと女主人を見た。
「わたくし分かってしまったのです。ローレンス様がこのような不可解な行動を取る理由は、ただひとつだということに…」
シャーロットが更にもう一度新聞を捲る。「幸せ愛されメイドの正体に迫る」との文章が見える。
そんな幸せ愛されメイドは、鬼気迫る表情で大きく口を開いた。
「これは全てローレンス様の策略!まるで家畜の豚のように甘やかし飼い殺し、わたくしを麻痺させ心酔させようとしているのです!」
「豚…」
「心も体も敗北してしまった暁には、とんでもない犯罪行為をさせられるに違いありません!クッ…野望の為に乙女の恋心を利用するとはなんと非道な!」
「……」
すっかり黙ってしまったシャーロットを前に、エリは止まらない。仁王立ちになり、はっきりと宣言した。
「と言うわけで、心が敗北する前に、ローレンス様にトドメを刺しに行く予定でおります!」
「……」
シャーロットが静かに眉尻を下げる。そして思ったことをそのまま口に出した。
「私…やっぱりアンタが妹になるの嫌だわ…」
さて。こうして優秀な記者によって、エリとローレンスの交際が公になった。だがそのことに反感を持つ者は殆ど居なかった。
そもそもローレンスの身分は公族の中でも権力はそれほど高くはない、第3公子。その上この国には元々移民が多い。エリの出自も然したる問題ではなく、武術家や護衛業を生業とするサカキ家自体も評判の良い名家だった。
そしてなにより、今まで浮いた話のひとつ無かったローレンスが、やっと見つけた純愛だ。祝福することはあっても、異を唱える者など居るはずがなかった。
「おめでとう、ローレンス!」
そしてそれは彼の親友であるギデオン・シルベストレも同じであった。新聞片手に笑顔でローレンスの執務室を開けると、少しだけ口角を上げた彼と目が合う。
普段口数も表情も豊かではないローレンスだけに、それがいかに幸福感に満ちた表情であるかはギデオンはよく知っている。
(本当におめでとう、ローレンス)
友の恋の成就を祝いつつ、そっと視線を上げたギデオンが固まった。
「っ!?」
壁に何かが磔にされている。藁で出来た人形の様なものにはローレンスの顔写真。おどろおどろしい異常性を放つそれは、幸せの絶頂にあったギデオンの心を一瞬で恐怖の底へと誘った。
そしてその視線に気がついたローレンスは、照れたように微笑む。
「エリの手作りなんだ…。嬉しくて思わず…な」
「っ…?彼女が…くれたのかい?これを?」
贈り物にしては少々禍々しすぎやしないだろうか。夜中に勝手に出歩きそうだし、今にも悲鳴が聞こえてきそうだ。とりあえず今夜のギデオンの夢に出て来ることは間違いない。
「ああ…。彼女によれば、もう自分には必要ないからと言うことだった」
「ほ、本物の君がいるからと言うことかな…」
「恐らくは…」
エリにとっては一度敗れた願掛けである。新しいものを作り再度お前を殺すから必要ないと言う理由だったのだが、ローレンスがそれを知ることはなかった。
「彼女との関係は順調のようだね」
彼の反応と、新聞を見ながらギデオンが呟く。ところがローレンスと言えば、その言葉に顔を少しだけ曇らせて下を向いた。
「順調のつもりなんだが…。彼女はいつも、少し妙なことを言っているんだ…。豚を太らせてから食べるつもりかとか、そっちがそのつもりなら考えがあるとか」
「豚…?」
「なんだかいつも不安そうで…何かを警戒しているように見えるんだ。この前などもう殺すしかないと物騒なことを言っていて」
公子を前に物騒極まりない言葉である。
「ローレンス…!」
何かがおかしい。普通ならばそう判断する内容ではあったが、それを聞いていたギデオンは顔を輝かせた。
「それが、愛し過ぎて怖いってことじゃないのかな…?」
ギデオンは少々ロマンチストで大の恋愛譚好きで、そして心は誰よりも乙女だった。
(まるでオペラの脇役になった気分だ…!)
親友の恋の相談に乗っているという事実にときめきを抱きつつ、解決法を口にする。
「そうと決まれば、彼女の不安を払拭しなければ。して、いつもどんな言葉で愛を表現しているんだい?求婚の言葉は何て?」
「ああ。それは…」
ローレンスがぴたりと固まった。急に唇を閉じて押し黙り、取り憑かれたように宙を見ている。
「……」
「ローレンス?」
「わたくしは決めました…。もう一度、ローレンス様をお殺しあそばせます…!」
噂の幸せ愛されメイドは、物騒極まりない言葉を口にしつつ、標的の部屋の前へと立っていた。目を閉じ息を吐く。震える指先を押さえて、胸に当てる。その胸に抱くのは確かな覚悟。
(そう…例え体で負けようとも、心までは敗北してたまるものですか…!)
「エリ」
扉を開けると、花緑青色の瞳と目が合った。ローレンスである。彼の傍には壺。全ての原因となった、底の方に赤茶色の血の跡が付いている問題の品だ。
(わたくしの犯罪の証拠を飾って…何という人でしょう)
実際にローレンスがこれを飾っている理由は、エリと出会った時に傍らに転がっていたからである。運命の品物だからである。が、エリがそれに気が付くことはない。
彼女の頭は今目の前の人物をどのように屠るか、それだけを考えていた。1度負けようとも、内なる剣は未だ折れてはいない。由々しき敗北まではまだ先がある。それを止める為、彼の喉元に凶器を突きつけるのだ。
「エリ」
「!」
立ち回りや斬り筋を予測していると、突然ローレンスが立ち上がった。思わずごくりと息を呑む。
彼はエリの前に来て、眉間に皺を寄せたまま呟く。
「その…俺から、言わなくてはいけないことがあるんだ…」
ローレンスが瞼を閉じた。
(ギデオン、姉上。ありがとう…)
彼の脳裏にギデオンの言葉が甦る。
『して、いつもどんな言葉で愛を表現しているんだい?求婚の言葉は何て?』
その質問に、ローレンスは回答ができなかった。そこで初めて彼は気がついてしまった。
(俺は、彼女にきちんと愛を伝えてはいなかった…!)
告白の時も交際してほしいとは言ったが、直接的に愛を囁いては居なかった。エリがそのような言葉を求めてくることはなかったし、元々ローレンスは口数が多い方ではない。初の交際で勝手が分かっていないこともあった。
(ひとりで突っ走り、流されるまま結婚までするつもりで…!こんなことでは、エリが不安に思うのも当然だ…!)
そしてそんな衝撃に包まれた彼が、次に助言を受けたのが、姉であるシャーロットだった。
『アンタ、エリにちゃんと…気持ち伝えた方が良いわよ』
じゃないと殺されるから、と言う続きはそっと心に仕舞って彼女は言った。その助言に、ローレンスは深い感銘と自省の念を抱いたのだ。
「…何でございましょう?」
そしてエリと言えば、手の中で刃物を握りながら冷静に口を開いた。彼女は決断したのだ。心までは決して渡さないと。エリの中では、ローレンスは極悪非道の冷血漢。幸せなお嫁さんになるべく奮闘する彼女を邪魔する、とんでもない男である。
この時も、そんなお前の最期の言葉を聞いてやろうぐらいの心意気で返事をしたのだ。
「愛してる。俺と結婚してほしいんだ」
なので、この時ローレンスから出た一言は、彼女にとっては青天の霹靂であった。
「はっ…!?」
1拍遅れて、エリが声を漏らす。突き立てる筈だった小刀が手元からするりと抜け、床に落ちた。絨毯に音もなく突き刺さったそれに気付かず、ローレンスはエリだけを視界に入れて口を開く。
「その…返事の代わりと言っては難だが、キスを…しても良いだろうか…?」
「!?え、いや、…!?」
エリはパニックである。何故結婚なのか。何故キスなのか。そして何故命令ではなく懇願なのか。断る選択肢があるのだろうか。
(こっ、これも作戦かもしれません!わたくしの心を惑わす、ハニートラップに違いないのです!)
熱くなる顔を抑えて、エリは自戒の念を抱く。自分を強く持たなければ、それは十分に理解していた。けれどその壁はすぐにどろどろと溶け出して、彼女の心を陽の下へと晒そうとする。溶かすのはローレンスの先程の言葉である。
(ああだって、こんな風に殿方に愛を囁かれたのは初めてで。わたくしずっと、偏った世界にいたものですから、)
だから、幸せなお嫁さんになることが夢であったのだ。普通の女性へと近付く為にメイド職に就いたのだ。そのような折に極悪人に目をつけられてしまって、そう。極悪人のはずなのに。
「っ…!」
慌てふためきながら顔を上げると、真剣な瞳と目が合った。息を呑むほど鮮やかな海の色。それに心を奪われて、思わず頭が真っ白になった。
「はい…」
瞬間、エリの口から溢れ落ちたのは是の返事。
「……」
「……」
ゆっくりとローレンスの顔が近付いてくる。緩慢な動きのそれを、エリは避けなかった。その手が武器を握り直すこともない。
そうして全ての原因となった壺と同じくらいに心が緋色に色付いた瞬間、元メイドは自身の由々しき敗北を悟ったのである。
バレンシア公国。沿岸部に位置する、人口5万人ほどの小規模の国である。主要産業は農業。セドリック・バレンシア公を元首に据えた都市国家である。敷地面積の大半が手付かずの大自然に囲まれ、それを体現するかのように、国民性は穏和で懐が深いことが特徴だ。
そんなのどかな国の城内で、近々祝福と純愛に満ちた婚姻が執り行われることは、城の者はもちろん、今や国民から他国の者に至るまで皆が知る事実なのである。
やらかしメイドの由々しき敗北 エノコモモ @enoko0303
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