可能性の一コマ 〜一コマシリーズ8
阪木洋一
進路
「…………」
秋も深まった、十一月のある日のことである。
放課後の図書室の隅っこで、
いつもぼんやりとしている雰囲気は今は鳴りを潜め、眠たげな半眼も困ったような色を覗かせている。
「……進路、どうしようかな」
紙面の表題には、『進路調査表』とある。
高校二年生も後半となれば、そういう話題もちらほら出てくる時期ではあるが。
先日、担任の
「好恵も、いろんな表情をするようになったわね」
「……? 士音ちゃん?」
と、好恵が様々なことを頭に浮かんで消えさせていたところで、図書委員長の
一年生の時、クラスで最初に友達になった女の子で、今はクラスが違うけど、それでも結構頻繁に好恵とは話をする仲だ。
長身細面、艶やかな黒の長髪、知的な真鍮眼鏡が似合う美人さんだ。
「進路、迷ってるの?」
「……うん」
「この前の中間テストも学年二位だったんだし、好恵なら進学するにしろ就職するにしろ、結構良いところ狙えると思うけど」
「……何をしたいのかが、わからなくて」
好恵としては、勉強は面白い部分もあるけど、そこまで好きというわけではない。学生生活に於いて必要で、偶然上手く出来ている程度のことだ。
将来、自分はどうありたいか?
実は、今まであまり考えたことがなかった。
小・中は家庭の事情でそこまで考える暇はなかったし、高校生になって落ち着いたものの、今は――とまで考えて。
ふと、好恵は気になったことがある。
「……士音ちゃんは、やりたいこと、ある?」
「漫画家ねっ」
「……おお、即答」
「こう見えても、何度か雑誌に応募して、賞とかもらったことあるのよ」
「……そうなの?」
初耳だった。
普段から、彼女製作の薄い本(決まって男の子同士が仲良くしている内容だった)を何度か見せてもらっていて、その技術は好恵の知るところでもあるが。
まさか、そこまでの腕前だったとは。
「といっても、まだまだ技術不足は否めないし、画力をもっと鍛えたいから、美術系の大学に行こうかなって思ってるわ。デザインとかにも興味あるし」
「……なんだか、すごいね」
「好きだから」
あっけらかんと言う士音ちゃん。
そんな彼女が、好恵には、とても眩しく見えた。
だって。
そこまで好きと言えるものが、自分には――
「好恵、もしかして、自分には好きなものがないって思ってる?」
「…………」
「あんまり難しく考えない方がいいわよ。そういうのって、結構突然やってくるものだから」
「……そうなの?」
「待ってるだけじゃ来ないんだけど、自分からいろいろ動いてるうちにチャンスがやってきて、ピタリとつかみ取れるものなのよ。私はそのチャンスが結構早く来ちゃっただけ。好恵も、何かをやってるうちにやってくるんじゃないかな」
「……自分から」
わりとふわっとしているけど、彼女の言いたいことはなんとなくわかる。
いろんなことにチャレンジしているうちに、士音ちゃんはそれを手にしたこと。
好恵は、今までが今までだっただけに、何かをちゃんと始めてすら居なかったこと。
そして――始めるのは、今からでも遅くないこと。
「……ありがと、士音ちゃん」
「ん、参考になったなら、私も嬉しいわ」
「……うん。いろいろ、やってみたいこと、考えてみる」
なんとなく、気が軽くなったと思う。
失敗しても、何もやらないよりはずっと良い。
そんな気持ちで、好恵は、どんな小さなことでも良いから、今興味のあることを頭の中から引っ張り出してみる。
やってみたいこと、やってみたいこと、やってみたいこと……。
「……あ」
そこで、何となく、好恵の頭に浮かんだのは。
今年の春に知り合って、仲良くしてきた、男の子の顔――
「好恵」
「……?」
「やってみたいことって、これ?」
「…………え?」
気が付けば、好恵はシャーペンを動かしていて。
進路調査表には、このように書かれていた。
第一希望:お嫁さん
好恵、その四文字を目の当たりにし、ついついシャーペンを取り落としてしまった。
「……あ、あ、あ、あの」
「は~、なんでも良いとは言ったけど、まさかこれとは……」
「……そ、その、これは、ち、違うくて。なんとなく、なんとなくなの……!」
「ふむ……」
慌てて弁解する好恵を見て、士音ちゃんは何を思ったのか。
一つ頷いて、ついさっき好恵が取り落としたシャーペンを拾って、カリカリと紙面に書き加える。
そして、
「つまるところ、こう?」
「……?」
士音ちゃんが見せてきた紙面には、このように書かれていた。
第一希望:
「――――!!!????」
これを見て、好恵、自分の鼓動が三段飛ばしで跳ね上がるのを感じた。
平坂陽太くん。
さっき思い浮かんだ、男の子の名前。
この春に会って、とあるきっかけで仲良くなって、そして……最近になって、会った時からずっと仄かな感情を持っていたと気づいた、男の子の名前。
……わ、わたしが?
陽太くんの、お嫁さん?
え?
うそ。
考えたこと、なかった。
なかったけど。
いざ、考えたら……どうしよう。
なんとなく、想像、出来ちゃう。
出来てしまう。
例えば――
「――好恵ー、戻ってきなさーい」
「……はっ」
と。
士音ちゃんにおでこをペチンとやられて、好恵は何とか現実に復帰するも。
次いで、この数秒で想像した、数々の可能性と未来を思い返し、急速に顔を赤くしていった。
「……わ、わたし、なんて……恥ずかしいことを……!」
「何を考えてたのよ。もしかして、エッチなこと?」
「……………………」
「え。ひ、否定しないの? これは驚きだわ。あの、好恵さえ良ければ、ちょっと具体的に詳しく」
「……えっと、朝、仕事に出かける陽太くんを見送る場面で」
「ふむふむ」
「……ネクタイが少し曲がってたから、わたしが、なおしてあげて」
「それでそれで?」
「……それから、い、行ってきますの……キスをする……」
「おお~。それからそれから?」
「……? 終わり、だよ?」
「終わりかよ!? それのどこがエッチなことなの!?」
「……でも、聞いた話、キスをしたら、子供が出来るかもって」
「出来ないわよ!? なによ、その幼児レベルの性知識!?」
「……そうなの? あ、でも……確かに、この前に陽太くんとキスしたときは、子供が出来なかったから、そうかも知れない」
「したの!? っていうか、子供が出来るかもとわかっときながら、しちゃったの!?」
「……ち、違うの。アレは、勢いで。それに陽太くん、その時は眠ってたし」
「つ、つまり……寝込みを襲ったと?」
「…………」
「いや、そこは突っ込んで!?」
「…………わたし、やっぱり、えっちなお姉さんなのかも」
「それはないからねっ!? ピュアだからねっ!? ……なんだか、その辺いろいろ詳しく聞きたい気分だけど、今はちょっとダメそうね」
先日のことを思い出すとまた恥ずかしくなってきたけど、士音ちゃんは空気を読んで引き下がってくれた。なんだか、助かった気分だ。
……それはともかく、だ。
「……陽太くんのことは、その、また別に考える」
「ん……そうね。ごめん好恵、私も悪ふざけが過ぎたわ。まずは進路のことを――」
「え、オレがどうかしたんスか?」
『!?』
記入した進路調査表に消しゴムをかけようとしたところで、やってきた声。
好恵と士音ちゃん、二人してその声の方に振り向くと。
「……よ、陽太くん……!?」
ちょっとクセのある髪の毛にいつものヘアピン、女の子みたいな顔立ちで、ちょっと小柄な体格。制服の校章は一年生の色。
つい今まで話題に上っていた後輩の男の子、平坂陽太くんが、そこに居た。
「平坂くん、盗み聞きとは感心できないわよ?」
「い、いや、今来たところッスよ、拝島先輩。それにちゃんと用があって来てるッス。ほら、
「……ああ、そういえば姫様に頼んでたわね」
書類の入った封筒を、士音ちゃんに手渡しつつ。
陽太くんは、好恵の方に向き直ってくる。
「こ、こんちは、好恵先輩」
「……う、うん。こんにちは」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「いや、二人とも、何か喋ろうよ」
士音ちゃんが突っ込みを入れてくるけど。
挨拶をしてから、陽太くんとは少しの間だけ会話が続かないのは、ここ最近ずっと、二人の間で交わされたやりとりで。
それがなんだか、好恵は安心してしまう。
陽太くんもそう感じてるかも知れない。
「ええと……そういえば、好恵先輩と拝島先輩は、さっきまで何話してたんスか。なんか、オレのことも話に出てたみたいですけど」
「ああ、ちょっと進路希望の話をしててねぇ」
「進路……ああ、お二人はもうそういう時期なんスね。でも、そこでなんでオレが?」
「それは、好恵が――」
「陽太くんっ!」
「は、はいぃっ!?」
士音ちゃんの言葉を遮って、自分でもびっくりするほどの大きな声が好恵から出たのに、陽太くんは裏返った返事をした。士音ちゃんもちょっと驚いている。
その場の、全員が全員で驚いた……というのはともかく。
「……そ、その、陽太くんは、将来やりたいことあるのかって、ちょっと話題になってたの」
「あ、そ、そうなんスか。オレは……そうッスね。ちっちゃい頃は正義のヒーローとか宇宙警察官だとか、いろいろ子供じみたこと考えてたけど、今は、具体的なことは、まだあんまりわかんないッス」
「……そうなんだ」
「――ただ」
「……? ただ?」
オウム返しに問う好恵に、陽太は少し恥ずかしそうにしながらも。
背筋をピンと伸ばして。
「どんな職についたとしても、家族のことは大切にしたいなって、そう思ってるッス」
そう言った、平坂陽太くんに。
――小森好恵は、何もかもを撃ち抜かれた気分になった。
最近まで気付いてなかっただけで、ずっと前から、彼のことは好きだったけど。
それ以上に。
もっと。
もっと、感情が、あふれ出そうで――
「平坂くん、見た目によらず、立派な心がけねぇ」
「見た目ってなんスか、拝島先輩。父さんや母さん、じっちゃんやばっちゃん、親戚の皆も、オレを大切にしてくれたから、自分もそうありたいと思っただけッス」
「うんうん、その意気で、未来のお嫁さんやお子さんお孫さんも大切にしてあげるんだよ」
「よ……な、な、何言ってるんスか! からかわないでくださいよっ!」
「好恵、キミからも何かコメント……を……?」
「え…………こ、好恵、先輩?」
ほぼ、無意識に。
好恵は、陽太くんの目を、正面から見据えて。
「……陽太くん」
「は……はい?」
「わたしのことも、大切にしてくれる?」
「――――――――」
陽太くん、好恵の言ったことを受けて、ゴトリとした音を立てながら固まった。
傍らの士音ちゃんも、口元を両手で押さえながら仰天している。
自分は、何かおかしなことを言っただろうか?
「せんぱい……その、それは、どういう……」
「……え?」
「確かに……好恵先輩は、大切ですけど、その……あの……」
「……?」
何故、陽太くんが固まっているのか、好恵にはわからない。
その様子を察したかのように、士音ちゃんがおそるおそるの態で声をかけてきた。
「つまり……好恵は、平坂くんの家族と同じでありたいと?」
「…………」
気付いた。
陽太くんは、家族を大切にしたい。
好恵は、陽太くんに大切にされたい。
イコール。
好恵は、陽太くんの……――!
「……ち、ち、ち、違うのっ!」
「え、こ、好恵先輩、どうしてそんな真っ赤になって……それに、違うって……?」
「……いや、違うのも、違うんだけど、その、えっと、さっきのは……その……とにかく、ち、違うの――――っ!」
「ええええっ!? 好恵先輩、何が……っていうか、今までよりも一番速いっ!? 先輩、せんぱ――――いっ!?」
好恵、真っ赤になりながら逃走。
何もかもがわからなくて、恥ずかしくて、頭の中どころが全身が熱くて、燃え尽きそうで、消えてなくなってしまいそうで。
兎にも角にも。
今はこれ以上、彼と向き合うのは無理だった。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
この場に残された平坂陽太は、未だに困惑から抜け出せないでいた。
何故にあれだけ好恵先輩が動揺していたのか、真っ赤になっていたのか、そして逃げ出してしまったのか。
何より。
わたしのことも、大切にしてくれる?
その言葉を、どういうつもりで言ったのか。
すべて、わからない。
好恵先輩のことは、とても大切だ。
出来れば、家族同様、好恵先輩のことを大切にしたい。
そう出来る、自分になりたい。
ただ、もしかして、あの時の彼女はそういう意味で……いやいやいや、そんなはずがない。
そこまで陽太は厚かましくはないし、その域まで到達するにはまだまだ足りてないと思うし。
でも……いや、それでも、しかし……。
「平坂くん」
と、同じくこの場に残ってた拝島先輩が、陽太に声をかけてきた。
何故か菩薩のような笑顔だった。
「あ、はい、なんスか?」
「もっと、自分に自信を持った方がいいわよー」
「え?」
「あと、自分ばっかりに向き合ってないで、好恵の気持ちともちゃんと向き合いなさーい。……でないと、いくら平坂くんでも、ぶっ飛ばすわよー?」
「え、あ、いや、あの、先輩、怖いッス」
「ほらほら、早く戻りなさい。部活中なんでしょ」
「あ……ええと、はい」
拝島先輩の言ってることの意味がよくよくわからないまま、陽太は図書室を出る。
その背中に、『まったく、
生憎、陽太は気付かないままである。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
夜。
小森好恵は、自室のベッドでうつ伏せになって沈んでいた。
帰宅してから、ずっとこの調子である。
枕に顔を埋めながら、制服も着替えていないままだ。
「…………」
それもこれも。
あの時、陽太くんに言った言葉が原因である。
「~~~~」
思い出しただけで、恥ずかしさで足がバタ付いてしまう
本当に、あの時は、自分を抑えられなかったと思う。
陽太くんは、あれを、どのように受け取ったのかな。
わからない。
何より。
今度会ったとき、自分はどのように向き合っていいのかも。
わからない。
どうしよう。
あと、進路もどうしよう。
「…………」
しばらくして、好恵はようやく枕から顔を離す。
なんとか復活したいけど、まだちょっと、身体が思うように動いてくれない。
カサリ
と、スカートのポケットの中から、紙の擦れる音が聞こえた。
なんだろうと思って、のろのろとその紙を取り出すと……それは、進路調査表だった。
そして。
――記入内容が、そのままだった。
第一希望:平坂陽太くんのお嫁さん
「~~~~~~~~」
好恵、またも沈んだ。
枕に顔が埋まった。
足がバタ付いた。
恥ずかしくて、死んでしまいそうだ。
でも。
「…………ふふ」
何とか復活してもう一度その文面を見ると、自然と、笑みが浮かんだ。
あの時に、思い浮かんだ未来。
好恵にとって、とても幸せだと思える可能性。
そうありたいと、心から、そう思えて。
「~~~~~~~~~~~~!」
ものすごい恥ずかしいことを考えていることに気付いて、好恵は赤面しながらまたも沈んだ。
もちろん。
再度枕に顔が埋まったし、足もバタ付いた。
結局。
好恵の、そんなどうしようもない気持ちの繰り返しは、夕飯時まで続いたのであった。
可能性の一コマ 〜一コマシリーズ8 阪木洋一 @sakaki41
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