306.Lux aeterna
――黒髪の美しい少女がいた。
その彼女を追いかけるこの感情は、愛しさ恋しさ、執着。そして、手に入らないことに対しての戸惑いが生じて、次第にその考えに囚われていく。
彼女から逃げられるほどに、避けられるほどに、彼の中に悲しみが満ちてくる。
見てほしい、振り向いてほしい、追いかけるほどに、言葉を重ねるほどに、少女は背を向ける。
怯えた表情が次第にこわばり、そして嫌悪を浮かべていく。
そしてついに、彼女は別の手を取った。
彼に背を向けて、その者と共に逃げる。
かの君は胸に強い痛みを覚える。痛くて痛くてたまらない。人のような感情も、痛みもなかったはずなのに。
その少女が憎い。怒りが募る、どうして自分のものにならないのか。どうして、他のやつのものになるのか。
輝くほど眩しい光が、世界の命を焼いていく。
他のものなどどうでもよかった。
手にはいらないのであれば、なくしてしまおう。
世界ごと、彼女を無くしてしまおう。
――リディアは、彼の中で泣いていた。感情が共鳴してしまう。
恨みたかったわけではない、潰したかったわけではない。ただ得たいものがあった。
望んだだけだ。
――神も同じなのだ。
(……思うだけ、思いを返してもらえるわけじゃない)
好意も恋愛感情も、すれ違う。
好意を持てば、好意を持ってもらえるなんて嘘だ。
彼の中で口づけが繰り返される。それはリディアを強く抱きしめ、頭を撫で、そしてリディアの中に己の舌を差し入れる。
彼の陶酔した思いが流れ込んでくる。
“――君と私は結ばれる定め”
「――私は定めなんて、信じてません」
その瞬間、リディアの胸の中で固い反発心のようなものが生まれた。
リディアの胸の中で炎が弾ける。
ウィルからもらったアロガンスの炎がわずかながらに彼に衝撃を与え、その隙にリディアは腕を突っ張って彼の腕から離れた。
太陽の主が訝しげに、そして不快そうにようやくリディアを見る。
炎はすぐに消えてしまったが、リディアと彼はようやく向き合えた。
リディアは、彼に向かい声を発した。
「――定めも、運命もない」
太陽の主が身動ぎする。
「そんなものがあったら、皆が幸せになっています」
誰もが、たった一人の誰かと出会い結ばれる世界ならば、どれほどその世界は幸せだろう。
「出会いも、必然ではない」
リディアは彼に対して睨みあげるように厳しい目を向ける。それは自分に言い聞かせるようなものでもあった。
「ただ、そこから先へ繋ぐのは、自分次第」
――私はいつも選ばれない。
リディアは首を振る。
自分は、いつもそう思っていた。
生家では、誰からも顧みられなかった。魔法学校でも外されていた。師団でも、お荷物だった。
もっと空気を読んで、うまく会話をして、うまく立ち回りができていれば。
――あの時に戻れれば、今度こそ間違えないから。
ヴィンチ村でもそうだ。
あの時、間違わなければ、たくさんの人を傷つけずに済んだ。
そう思っていた。
自分は、何度も間違えて同じことを繰り返す。選ばれたいと思い、やり直したいと願う。
――でも、人生にやり直しはない。
リディアは、アウダクスと兄が滅した映像の方に目を向けた。そこにはもうなにもない。
(ここは過去ではない。これは現実だ)
これから先、グレイスランドは大変だろう。
そして――。
白木蓮を残そうと思って過去に来たはずだったのに、叶わなかった。
“――私を、選ばないのと言うのか――”
「あなたがほしいのは、私じゃない。代わりでもいいなら、私がなります――でも代わりでしかない」
リディアは、一つ一つ言葉を噛みしめる。
兄の人形になろうとした。グレイスランドのために、身を捧げようとした。
そしてこの存在からも、捧げられることを求められている。
けれど、リディアは得られなかった少女の代わりにはなれない。
“――君はわたしのものだ”
「いいえ。きっと、あなたは、私では満足できない」
いつか、
いつか満足できなくなる。得られないものは永遠に得られない。
得られない人の代わりに違う誰かを選ぶこともある。それで代償にすることもある。それなりに満足して、心を騙すこともできる。
「私は、あなたを選べない」
リディアは嫌だ。自分が好きなのは、この相手じゃない。この相手だってリディアがほしいわけじゃない。
「私は、あなたのものになれません。ごめんなさい」
“――ならば世界を滅ぼそう”
もうすでに、世界の均衡は崩れている。グレイスランドは危機に陥る。
でも――ディアンたちならなんとかするだろう。
自分が犠牲になることで、何かを成し遂げることはできない。
リディアは、不意に彼の胸を掴んで、強く唇を自分から重ねた。
目を閉じて、思いを感じる。
共感して、共鳴する。
得たかった相手がいる。その手を、掴みたかった。
その思いを自分の中に取り込む。
最初から憎かったわけじゃない、ただ悲しかっただけだ。思いが叶わなくて、やがて怒りや憎しみから滅ぼしたくなっていっただけ。
彼の感情を自分の中に取り込んで、そしてその憎しみが、悲しみになり、そしてただの恋しさに変わっていく。
彼の悲しみに共鳴して、自分の頬をなみだが伝い落ちる。
自分の中の浄化の力とはそういうものだった。
――最初の頃の純粋な思いに戻すもの。
呪いだってそうだ。誰もが最初から誰かを憎んでいたわけじゃない。恨みがあったわけじゃない。得たいものがあった、ただの純粋な望みだ。
どうして、得られないのだろう。どうして自分だけ。
フランチェスカを想う。
自分の子を産むことだけを望まれた身で、それを叶えることができない。
どれほどの重圧だっただろう。
健康で問題のない肉体のリディアに見せる態度は、きっとたくさんの苦しみと悲しみを経てきたから。
兄も、もしかしたら何かの葛藤を経て、リディアにぶつけていたのかもしれない。
その心は卑しくも醜くもない。誰だって陥るものだ。
皆が普通に得られているものが得られない。どんなに頑張っても、どんなに望んでも自分にはそれが来ない。
それが得られなくて、悔しくて、悲しい。
望むほどに、得られない自分が情けなくて、そして次第に他者へと転嫁していく。
その姿を見ていることがつらい。
得ているものが憎い。
その感情は、止めようがない。
最初は、そんな感情はない。
ただ頑張ることが好きだった。
ただ、その人が好きだった。
なのに、得られないほどに悲しみが増して、それを見ることが辛くなり、憎しみが募ってしまった。
ただ、欲しかっただけなのだ。
――唇を離した時、太陽の主は、悲しげにリディアを見下ろしていた。
彼は呆然としているようだった。
“――私は私の姫を愛していた。ただ側にいてほしかった”
「ええ。でも得られないものも、ある」
やり直すために過去に来た。でもわかってしまった。
――戻せない。戻れない。過去はやり直しはできない。
時は流れる。人生は、戻せない。
これからも何度も間違える。でも、やり直しはできない。その時最善と思っても、二十年後には涙を流しているかもしれない。
でも、選ぶ道はこれしかなくても、そこを進んでいく。
過去を変えるのではない。
ここから自分で変えていく。
いつだって、今が人生の出発点だ。
「だから、これから得ていくしかない」
“――君たちの生は短い。あっという間に終わるだろう”
「結構長いです。私達にとっては」
リディアは、そっと笑った。
自分も、長かった。それなりに頑張ってきた。
魔法学校も、師団もとてもきつかった。あんなシゴキもイジメももう十分だ。
でも、出会えた人達がいた。
仲間がいて、生徒ができた。
ディアンたちも、生徒たちも、少しずつみんなは変わっていった。
リディアも、彼らのおかげで変わっていくことができた。
だからきっと、これからの道も変えていける。
“――私は終わりがない。なくて、長い。一人では耐えられない”
「人間とあなたと、どちらのほうが辛いかなんてわかりません。辛さは、人でもそれぞれです。自分の方がより辛いなんて思っても仕方がないこと」
永遠の中で、欲しい相手が手に入らないことを嘆くのは、自分でも辛い。
「私達も誰かから望まれたいと願います。でも求めれば求めるほど、永遠に満足はしない。だって他人は自分ではどうにもならないから。自分がそこにいることを、自分で自分を認めてあげる、最後はそれしかない」
その思いは募らせるほど貪欲になり、どこまでも満たされない。
「……耐えているなんて思わないで。あなたがいることで世界は、命は生まれた、その恩恵をあなたが私たちに与えてくれた」
リディアは、その存在を見上げる。
「白木蓮という存在を生み出してくれたこと。あなたの本意ではなくても、私と彼を出会わせてくれたこと、そのことに私は感謝しています」
“――君は。――私と一緒に来てはくれないのか”
「あなたの手を取ることはできません。私は、帰らなくてはいけないから」
リディアは首をふる。ごめんなさい、と呟いて、後ろに下がった。
彼の悲しみが伝わる。
“――ならば、私はまた眠りにつく。この世は、私の欠片に任せよう”
風の中に消えたはずの黒いカスが凝り、そして白い花弁になり、それが白い花となる。
「白木蓮!!」
その花はリディアの中に吸い込まれていき、胸の奥に収まり――確かな温もりを与え光となる。
昔のように、リディアの魔力の源泉の中に、強い光の塊として存在している。
“――私の愛しい子。呪いは全て君が浄化してくれた。ありがとう”
白木蓮が答える。
“――今度こそ、ずっと一緒に”
「白木蓮、ありがとう。太陽の主、あなたも」
白い靄が晴れると同時に、地面が揺れ始める。
まるで地震のようで、それがどんどん大きくなり、やがて神殿のあちこちが崩れ始める。
身を翻す太陽の主が、奥の扉に消えていく。
不意に後ろから現れた黒い髪の女性が、リディアの肩に手を置く。
“――ほんに。どうしようもない”
「
“――さびしがりやで、いつまでも子どもだのう”
そして振り返り、笑みをリディアに返した。
“――私の、愛し子のほうも、頼んだぞ”
その笑みは間違いようもない慈愛というものだった。
彼女が扉に手をかける姿は、カシェットの印章そのものだった。
黄金期の魔法陣には、東の君の横には必ずカシェットの印章が描かれていた。なんの意味もないと思われていたそれは、太陽の主――光の主を慰めるものだった。
あの慈愛は、誰に向けてのものだろう。
太陽の主、それとも己の後継者たるキーファに向けてのものだろうか。
その笑みをいつまでも見続けていたリディアは、足場が崩れかけてきて慌てて外へと走り出す。
『――リディア!! リディアっ』
その声は、懐かしいもの。
『早くそこから出てください!!』
「キーファっ!?」
響く声、そして空中に見えた手。リディアはその手を強く掴んだ。
***
――雨が止んでいた。
身体を冷たく濡らし、体温を奪う雨。全身に溜まる疲労感と、体中を貫くような痛み。
周りはざわめきに満ちていた。
たくさんの子どもたちは、課題の達成感に興奮状態だった。
リディアは自分が幼い子どもの姿になっていることに気がついていた。ずぶ濡れの魔法衣、腕からの出血。惨めな姿で、誰もリディアを見ない。
ソンクレマンス山からの帰還だった。
報告を終えて歩いていたリディアの腕を掴んだ存在がいた。
「――お前、名前は」
ぶっきらぼうに言い募った存在は、呆然としているリディアにそんなことを聞いた自分を恥じたかのように、次第に機嫌が悪くなる。
伝わってくるのは、怪我をさせたことに対しての気まずさ。垣間見えるのは、わずかに案じている表情。それからリディアに対する興味。
子ども姿のリディアは複雑な感情を抱えて、口を開きかけて、そして彼を振り切るように背を向けた。
――ほんに。どうしようもない。
ちらりと見たディアンは、憮然とした顔で、途方にくれているようだった。リディアは泣き笑いのようなものを、浮かべた。
この人は、ほんとうにどうしようもない。
子どもの中のリディアも、名前を聞かれた嬉しさもあるのに、戸惑いと疑いがあって答えられないでいる。
――ここから、彼との関係が始まった。
リディアは、振り返り、くしゃりと笑って口を開いた。
「――リディア。リディアだよ!!」
そして、背を向けて思い切り走り出した。もう、後ろは見ない。目の前の光景が光に包まれる。その中へ飛び込んだ。
*Lux aeterna
(永遠の光)
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