304.Benedictus
決着をつけるために向かったのは、ソンクレマンス山。リディアとディアンの始まりの場所。
リディアが白木蓮を、
――ディアンはずっと思い違いをしていたという。
リディアもそこまで気づかなかった。
太陽の主を封じ、リディアの主がそれを抑えていた場所。
キーファがリディアを案じる、緊張なのか顔色が優れない。
「リディア。俺はあなたの記憶に――過去に、あなたを送り込みます。そこにいる人達は、あなたのことを知らない、誰も連れていけない」
「わかっている。私が一人で対処する」
「なんとか、俺も潜り込んでみる」
リディアの頭を引き寄せるディアンに、キーファは首を振る。
「無理です。弾かれます。どうやっても連れていけない」
何度も自分や他者も入れないか試したらしい。けれど、本人しか行けないという。
リディアの過去に潜れるのは、リディアのみ。たとえ過去のその場所にディアンがいたとしても、そこにいる過去の彼は今の彼とすり替われない。
リディアに気づくことも助けることもない。
過去の彼と同じ振る舞いしかしない。
「俺もいたんだ。絶対に、なんとかなる。お前は、ひとりじゃない」
リディアはディアンに頷く。
「大丈夫、行ってくる。この場所で、また私は白木蓮と会ってくる」
そして、と続ける。
胸の中にある小さな小さな光はまだ消えていない。リディアと白木蓮との繋がりはまだ残っている。
シルビスでディアンがリディアの呪いを吹き飛ばしてくれたが、白木蓮の欠片は枯れかけた一枚の花弁として残っている。
まだ彼の呪いは消えていない。
「そして――彼との契約をしない」
リディアは皆を見渡す。
リディアに過去へと渡らせる魔法をかけるキーファ。それから成り行きを見守るディアン。そして見届けたいというウィル。
リディアは皆に力強く頷いて、笑う。
何度も話し合った。
――ヴィンチ村の過去に戻って、リディアが呪いを受けるのを防ぐという方法を考えた。だがその猶予はあったか? リディア一人で呪詛を防げるのか?
かなり難しい。
そしていつかは白木蓮の力を削ぎ、太陽の主が蘇ってしまう。
だから原点に戻ることにしたのだ。
リディアが、白木蓮と契約をしたから白木蓮の力を削ぐことになった。そして太陽の主を抑える力がなくなった。必ずその未来は訪れるだろう。
だから――リディアは白木蓮と契約をせず、蘇生魔法を習得しない。
「これ。持ってけよ。アロガンスの炎を凝縮してある」
ウィルが、彼の力を凝縮させて作った魔石を渡してくる。
「あんたの心の中にこれぐらい入れてけよ。犬避けにはなるだろ。たまには人から貰えよ」
「ありがとう、ウィル」
そして、リディアはキーファとウィルと、ディアンを見上げた。
最後かも、しれない。
自分が蘇生魔法を得なければ、師団には入らず、大学にも勤めず、シルビスで父親に命じられるまま嫁いでいるかもしれない。
今のみんなのことは忘れるどころか、出会う機会もなく、人生のどこでもすれ違わない無関係同士の人間になるかもしれない。
ここへ戻ってきた頃には、全く違う未来になっているかもしれない。
それでも、リディアはその道を選ぶ。
みんなにも、それで納得してもらった。
「行ってくる」
「――リディア」
背を向けようとしたリディアの腕をディアンが掴んだ。
「どんな形になろうと必ず戻ってこい。蘇生魔法なんかなくていい。お前ならば、そんなものなくても必ず師団に入る。俺が――鍛えてやる」
「う……ん」
胸にこみ上げてきたものを堪えて、頷いだ。
「――忘れないよ、みんなのこと」
そしてリディアは飛びきりの笑顔を作って、再度背を向けた。
「リディア!」
キーファの声が響く。
「俺は――俺は、必ずまたあなたと会います!! 絶対に、あなたを、また好きになる!」
「あんた、必ず大学に来いよ! 覚えとけよ、俺はまだ諦めてね―からな!」
ウィルの声も響く。
皆の気持ちは受け取った。だからあとはリディアが、頑張るしかない。
――忘れるつもり、なんてない。
リディアは白木蓮の茶色い花弁を掌の中に取り出す。
目を閉じて、次に開けたときには、リディアはそこにはいなかった。
***
目を開けたら、誰かの腕の中だった。寒くて寒くてたまらない。身体はもう熱産生ができなかった。息さえも精一杯。その身体につかまることさえ難しい。
(ああ。戻ってきたんだ)
ここは、過去。
リディアとディアンが初めて出会い、一緒に課題をした場所。リディアが怪我を負いディアンが抱き上げて、魔界を抜けようとしてくれている場面だ。
――自分よりも大きい背丈。ただしまだ子どもの体格だ。たくましさはない。でもずり落ちそうなリディアを落とそうとはしない。
ディアンの全身から苛立ちと、不満が伝わってくる。
子どもの自分はそれに怯えている。
――でも、受け入れている。
自分はいつもそうだと、誰かから常に疎まれている。仕方がないと。
けれど、今のリディアは違うものも感じていた。
ディアンから感じるのは、気難しさと、抱いている子どもの自分を案じる少しだけの優しさ、戸惑い。
子どものリディアが、これまで遠慮して頑なに触れなかった手をほんの少し動かして胸を掴むと、ハッと気付くように彼の威圧する空気が変わった。
「おま……」
何かをいいかけて、ディアンはそして唐突に黙る。まるで声を出した自分に驚いて、慌てて飲み込んだみたいに。
――おや。何か。
人外の存在がふわりと浮き上がり、リディアを見下ろしてくる。その疑いの眼差しは何かに気づいたかのよう。
ディアンの配下の悪魔――魔界の公爵だ。
――乙女のニオイがしますな。
「は? 知るか」
――いやいや、見た目は子ども。しかし私が乙女の気配を、間違えるはずがない。この娘――
リディアは焦る。かなり高位の悪魔だ、しかも過去も未来も、全てを見通せるという能力を持つものではなかったか。
だが、この顔色の悪い公爵が何かを探り当てる前に、眼前に巨大な魔界の番犬が現れた。おぼろげに覚えていた過去の再現だ。
――とおさぬ。
「……またかよ」
巨大な影、纏うのは瘴気。半身は見えない。
今のリディアでさえも身震いするほどの恐ろしさなのに、子どもの自分は恐れてはいない。己の中を探ってみると、その気力も生気もないようだった。
自分も生命力を奪われていくようだった。過去の中の自分に入ったリディアでさえも堪えていき、必死で目を開ける。
ここで台無しにするわけにはいかない。
リディアを胸に抱えたまま、ディアンは瘴気で覆われた番犬と押し問答を始める。
――この後起こることを、リディアは知っている。
ふうっと息を吐いて、リディアはその来たるべきときに備える。
“――待ちなさい”
胸の中にほんのりとあたたかみが蘇り、それが熱を強く持ち始める。
リディアの胸から白い花がこぼれ落ちる。
そして――彼が現れる、はずだった。
主となる白木蓮が介入し、リディアに選択をせまる。慈悲を差し伸べるはずの展開。
自分は、それを選ばない。
その来たるべきときに備え、じっと待つ。
“――”
人外の存在の気配を感じた。
それに重なるようにリディアの中、魔力の源泉に大事に残しておいた、もう一つの一枚の花弁――白木蓮の残滓が明滅する。
落ちた白い花。そしてリディアの内側にある一枚の花弁――それが共鳴する。
ディアンと番犬が押し問答をやめ、魔界の公爵が目を見張り、全員がリディアを注目する。
そしてリディアの中から溢れた光が回りを包み込んで――ディアンが何かを言いかけたのを最後に、視界は光で何も見えなくなった。
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