286.in my immortal belief

 代理母出産――ホストマザー。


 受精卵を女性に移植し、妊娠・出産を代理で行うもの。


 王女がどこまで妊娠が不可能な状態かはわからない。ただ、シルビスは遺伝子治療が盛んだ。よりよい外見の者を産むために、たくさんの技術をつぎ込んできた。


 そのシルビスの技術をもってしたら、二人の選別した精子と卵子を良好に生育させた受精卵をリディアに宿し、出産までこじつけることは難しくないだろう。


 兄は、抵抗がないのだろうか。


 まさか、こんなことに自分を使われるとは思わなかった。



***



 リディアは覚悟を決めて、窓を開けて身を乗り出し火と風の属性をかき集める。


 眼前にドラゴンの濁った黄色い目と縦に収縮した緑の光彩が迫り、そして大きな口でリディアをかみ砕こうと牙を見せつける


“大いなる炎を、渦巻く風にのり――”


 その瞬間だった。全く動きが見えなかった。


 気が付いたときには兄が横にいて、彼がリディアを引き戻し、次には長い脚でリディアの腹部を強打していた。


「……ぐ、っ、かほ」


 体を九の字に折り、そのまま動けなくなったリディアを兄が見下ろす。


 首から覗いた翠玉エメラルドのネックレスを引きちぎる。それはリディアの皮膚を擦り、痛みをもたらしたが、それは喪失の痛みなのか、絶望なのかはわからなかった。


「アレクシス様。あまり母体を傷つけませぬように」

「子宮を直撃してはいない」

「腹部はおやめくださいませ」


 この一連の騒動を見ても、王女は穏やかな笑みのまま、まるで観劇でもしているかのような態度だった。

 

 靴音をたてない優雅な足取り。


 フランチェスカはリディアに向かい微笑む。


「一人産むごとに、千五百万ソルほどの年金をお約束します」


 リディアは顔を上げる。


「最低でも三人、可能ならば五人ほど。もちろんあなたは表舞台からは姿を消していただきます。最低でも二十年。ですが、年に一億ほどの年金があれば不自由のない生活ができますでしょ」

「……そんなの」

「目的を達成するまでは、ある程度不便な生活をしいることになりますが、落ち着いたら荘園でもお好きなところにお暮しくださいませ」


 兄が引き継ぐ。その口調に僅かに哀れみを見た。


「孤児院でも乳児院でも好きに支援したらいい。お前は……子どもが好きなんだろう」


 初めて見せた兄の妹への気遣いがこれだ。


 リディアは笑いそうになる、乾いた笑いだ。


 いつのまにか、先ほどの兄の部下の近衛兵がリディアの傍らに膝をついていた。左右の手足をほかの兵が押さえつける。


 彼が銀色に光る金属製のペンケースを取り出し、その蓋を開けると、中には細い注射器があった。


「……やめて」

「魔力抑制剤だ。脳下垂体からの魔力素分泌を抑制し、血中の魔力素を分解する」

「やめて!」


 体はピクリとも動かせない。押さえつける腕の力は男のものだ、敵うわけがない。


 彼は針先を上にして空気を抜き、そのあと針をリディアの前腕の静脈にあてる。

 ひやりとした感触に続く小さな痛みに、全身がこわばる。


 彼の指が内筒を押す動きが見える、止められない。


 そして体内に液体が注入される冷ややかな感触と鋭い痛みを覚え、同時にすぐに虚脱感と自らの魔力が壊れていく感覚があった。


***


 グレイスランド対シルビス。

 シルビス人であるリディアは、グレイスランドに味方することができない。


 まさか、こんなことになるとは思わなかった。

 気を失っていたのは、どれくらいだろう。気がつけば王女はおらず、兄だけが倒れたままのリディアを見下ろしていた。


 のろのろとリディアは手足を動かす。


(グレイスランドの防衛網は、きっと大丈夫)


 一時は無効化されたとしても、ディアン達が想定していないはずがない。きっと対抗しているはず。


(自分が……前線に立たされなくて、よかった)


 兄のことだから、対グレイスランド戦でリディアを前線に立たせることもありえると予想していた。

 まさか未来の国王の母体に利用されるとは思わなかったけれど……荒唐無稽で、虚ろにリディアは笑った。


 兄はやるだろう。

 そして王女からの、国王からの命だ。リディアに逆らうことはできない。


 動くと、ずきりと下腹部が傷んだ。骨折はしていない、打撲ぐらいか。もし何らかの打撃でも、兄の計画の邪魔となるのであればそれでもいい。


(でも、兄はそんな下手はしない)


「……私の身体でいいのですか?」


 ゴミだと見下していたリディアの身体を自分の子を宿す器として使うこと、それに対しての兄の返事は『問題ない』だった。


「お前の身体は、父と母から作られている。遺伝子のもとは、俺と同じだ。余計な育ち方、意思はあるが、それは移植した受精卵には混ざらない。影響したとしても些細なレベルだ、排除できる」

「本当にグレイスランドを攻め落とせるとでも思っているのですか?」


 いくら太陽の主の力を得たとしても。グレイスランドの魔法師団は最強だ。争いらしきことをしていないシルビスが敵うと思うのか。


「理解も推測もできない者と話す言葉などない」


 リディアは、考える。消耗すると思いながらも考えることだけがすべてだ。


 けれど魔力抑制剤の副作用のせいで、頭が朦朧として考えられない。そして手足に力が入らない。

 でもいつまでも、見下されているつもりはない。


 立ち上がり壁に手をつく。


「――連れて行け」


 リディアが立ち上がり、そのふらついた様子を見て兄が命じる。薬を打った近衛兵が近寄ってくる。


 兄の背を見送り、彼らだけになってもリディアはもう逃げ出せなかった。



***


 来たときと同じ道を、今度は反対の視点で戻る。ただし、頭は朦朧とし、足取りは重く、そして思考は鈍い。

 考えようとすると、頭痛が走る。それでも、考える。


 考えるしかない。

 逃げられなくても。


 ――もう元の場所に戻れなくても。


(私のこと、それはいい)


 兄のリディアに対する目的は判明した。一つの謎は解けたのだ。最悪のシナリオだったとしても。


 あとは、シルビス対グレイスランドのことだ。

 グレイスランドの不利になるのであれば、防げることは防ぐ。


 リュミエール人……。


 恐らくシルビス人が末裔だと気づいたのは兄だけ。だからこそ王家は兄と秘密を共有することにしたのだ。王家の悲願を達成できると吹き込んだのは兄だ。


(リュミエール人だからってなんだというの)


 太陽の主の加護を得る跡継ぎの存在、それを国王に抱くこと、それが王室の悲願だということは理解できる。


 だが兄はそんな悠長に事を待つのが狙いなのか。

 もっと即物的な……。


 六属性にとらわれない魔法師、リュミエール人。


 リディアは立ち竦んだ。


 部下である近衛兵は実質兄のものだ。もしかしたら騎士団もそうかもしれない。国王になれば、シルビス兵士のすべてが兄のものになる。


 六属性に頼らない、神直系の魔法を使えるリュミエール人部隊を作れば――グレイスランド魔法師団でも敵わない。 



 兄は、グレイスランドを落としたいのか。

 少なくとも、バルディアはすでにグレイスランドに敵対する様子を見せた。


 グレイスランドは、戦争行為をしていないが、常に巨大な結界を張り防衛網を展開させている。その魔法は魔法師団が要だ。


 師団の活動の表向きは、国際協力だ。要請があれば紛争介入に出向く、できるだけ多国間同士の戦争には加担しない。


 だがグレイスランドが侵略を行わなくても、グレイスランドを侵略したいと考えている諸国は少なくない。特にグレイスランドの魔法ネットワークは常に盗用の危機に攫われている。


(それに……)


 グレイスランドの防衛網を突破されて、師団のネットワークに介入されたらどうなるか。グレイスランドの危機だけではない。各国に潜入している師団の者たちの命も、今現在、他国で紛争の解決に向けての活動にも介入されてしまう。


 混乱を呼び起こす、プログラムや指令の書き換え。それにより終息に向かうはずの紛争が悪化し、劣勢だったテロリストの挽回に利用されてしまう。


(一瞬でも防衛網が無効化された。それはどこまで損害を生んでいるのだろう)


 太陽の主は蘇ってしまったのか。


 今、グレイスランドの団長たちはその対処にあたっているはずだ。


 自分を助けるために動けるわけがない。そして助ける意味もない。

 自分はシルビス人だ。


 ……あそこには、戻れない。

 

 リディアの助けなどいらない。何かできないかと考えても、彼らには必要ない。

 本当は、それさえも考えることは許されないというのに。

 

 ――ディアンを信じる。ワレリーや仲間たちを信じる。


 彼らはこんなことで崩れない。自分はここで見守ればいい。そう思うのに不安を拭いきれない。


 太陽の主を、シルビスに迎え入れる。

 そのために兄はグレイスランドで彼の蘇りを仕掛けたのか。

 それを団長達は防げたのか。


(ワレリー団長ならば、きっと大丈夫なはず)


 聖獣たちも、きっと抑え込めているはずだ。

 そう思っても思考が止まらない。


 不安で足を止めたリディアは、近衛兵に小突かれて促され、部屋に戻される。またあの鏡張りの部屋に戻るのか。


 魔力抑制剤によりバランスが取れず身体がふらつき、壁によろけかかるリディアを男の手が掴んだ。黒髪の男だった。


「――団長が、囚われています」


 ほぼ耳元だけで声としては捉えられないほどの囁き。


 リディアはかろうじて表情に出すのを押さえ、彼もこれまで通り任務に忠実な兵としての顔でリディアの護送を装い続ける。


「あなたと彼を同時に助けることはできない」


(先輩が、囚われている……?)


 最後にリディアと触れ合ったディアンの指。あの力強い目は、絶対に離すまいという意思を感じた。


 でも、意識を戻したときは一人だった。リディア一人だけ、シルビスに転送されたと思っていた。


(せん……ぱい)


 リディアは叫びそうになり、口元を堅く引き結ぶ。


 目の前の堅牢な石廊を固く見据える。


 ――彼が囚われている。


「ですが、あなたを助け出すように命じられています」


 リディアは首をふる、ディアンを優先してほしいと。


 彼の苦渋の表情はわずかだ。

 護衛兵はすぐに元の無表情に顔に戻し、リディアに部屋に入るように促す。囁かれたのは「団長の命に従います」と。


「私が……なんとかする」


 リディアもほとんど口を動かさずに、返答をした。


 ――自分は、どこまで日々を無為に過ごしてきたのか。


 ディアンが拷問をうけていないはずがない。シルビスは何としても彼から情報を得ようとするだろう。

 ディアンが受けている肉体的・精神的な苦痛に比べたら、自分が受けていることなど何でもない。

 

 自分はただ安穏と思い悩んでいただけだ。


 それに――


(グレイスランドの防衛網は――ディアンがいないと働かない)


 リディアは鏡張りの部屋に戻って、頭を膝に抱えた。




*in my immortal belief

(わたしの、永遠の信頼)

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