287.it reflect my real

 鏡張りの部屋はなんの意図があるのだろうか。自分の惨めさを思い知らすため?

 それはあり得るだろう。

 

 リディアのために用意したわけではない。では誰のために使うことを意図した部屋だろう。


 リディアは出入口の壁に触れる。ピタリと閉ざされた壁は、隙間がない。そこが扉であることさえ、今はわからない。


 鏡は魔法を反射させる、と言われている。魔石と違い魔力を溜めにくい。六属性と相性が悪い。

 強い魔法では鏡自体を壊せるが、弱いものは跳ねかえしてしまう。


 これだけ鏡に囲まれている部屋で魔法を放つと、どういう作用になってしまうかはわからない。ましてや魔法の使えない自分だと、鏡を壊すことなど不可能だろう。


 ――生気のない顔、乱れた髪の毛、スーツはよれてシワが目立つ。

 自分の惨めな顔は余計に気力を奪う。

 そのためだけに作られた部屋だろうか。

 

 明るすぎるのも、精神に堪える。

 でも、ディアンが受けているであろう拷問に比べたら、なんでもない。


(グレイスランドは……どうなっているのだろう)


 彼を、今すぐに帰さなきゃいけない。

 でもどうしたら、助け出せるのだろう。自分でさえもこの部屋から逃げ出せないのに、彼をどうやってここから出すことができるのだろうか。


(……せめて、彼が万全な状態ならば、なんとかなるかもしれない)


 鏡の中の自分に手を伸ばす。同じ自分が手を伸ばしている。

 姿見で見る自分は、作っている顔だ。笑顔で、背筋を伸ばし、一番いい姿を自分に見せて、これが自分だと信じている。


 でもこうやって、常時さらされているとぎょっとする。

 普段の自分は、こんな顔をしているのか。

 違う角度からみた自分の顔はこんなふうに見えるのか。


 横顔の輪郭も、斜めから見える自分の体型も、背中から見た自分の姿勢も映し出される。輪郭はこんなにたるんでいるのか、髪の毛はこんなに荒れているのか、姿勢はこんなに悪かったのか。


 気付かされて否定したくなる。


 こんなのは自分じゃない。こんなみっともない姿を人に晒していたのかと。


 常に作っている姿を見せられたらいいのに。他人から見た自分はどんな姿をしているのだろう、こんな姿で受け入れられていたのか。


 ――理想の自分、それははるか遠い。


 姿勢を伸ばしてみる。落ちていた顎を上げてみる。口角をあげて結ぶ。寄せていた眉間、泣きそうに下がっていた眉、意識して目に力を入れる。


 ――いつもこんな姿でいられたらいいのに。


 深呼吸をして、肩を下ろす、背中のシルエットを自然なものにする。

 弱っている自分は自分じゃない、もっと強いはず。そう思いたいのに。


(……強くならなきゃ)

 

 弱っている場合じゃない。ディアンを助け出す手段を考えなくてはいけない。


 この場所で、どうにかならないだろうか。


 ――鏡は、有名な児童小説ではよく別世界への入口として使われる。伸ばした手の先、その先は壁じゃなくて、別次元の入口。


 鏡の原点でもある水たまりに自分の姿を写した水鏡も、別世界への入口として物語には登場することもある。


 魔法具としても鏡は使われやすい。


 遠く遥かを写す遠見の術は、以前は鏡を使用することが多かった。ただ、それは心理的な作用が大きいからだと最近は言われている。


 別世界への入口のアイテムになるのは、昔からのイメージで演出として使われやすい。

 正反対の自分が写る世界は、そこに別世界があると、似ていて異なる世界があると思いたくなるからだろうか。


『――そこにいたのね』


 リディアは頭を押さえた。誰かの言葉を思い出す。

 ……誰に言われたのだろう。


『――あなたは、そこが好きなのね』


 リディアは、じっと過去の声に耳を傾ける。


 あれは、誰の、どこでの言葉だろうか。


 そして、鏡にもう一度手を触れる。

 通り抜けたもう一つの別世界。この先に、別の世界が繋がっていればいいのに。





***


 次の日、食事を運んできたのは先日の黒髪の男だった。彼は、兄に似た無表情で、盆をリディアに渡した。


 彼もそうだが、近衛兵団は兄と似て美貌のものが多い。シルビスは容姿に優れた物が多いが、入団には容姿が最も重要と聞いたことがある。


 だが、彼らの表情は兄に似ている。人間味のない無表情だ。


 この人は、本当に師団の人間なのか。黒髪ではあるが、見た目はシルビス人そのものだ。


 パンを手にしたリディアは何気ない顔で、それを袖の中に入れた。

 シチューを残した盆を入口に置く。


 下膳にきた看守が去り、だいぶ時間がたったあと、リディアは膝を抱えたままそっと袖からパンを覗き見て中の物を手の中に落とす。


 ――リディアの翠玉エメラルドのネックレスだった。切れたはずの鎖は繋がれている。祖母からもらった翠玉のペンダントで、鎖自体はディアンがつけてくれたものだ。


 黒髪の彼は、どうしてリディアにこれを渡したのか。リディアを逃すと言っていたが、あれ以降なんの動きも見せない。


 団員は、できる限り自分で動くことを要求される。窮地でも己のやるべきことはやる。囚われても目的は果たすし、大人しく助けを待たない。


 彼はリディアを助ける、と言っていた。これがそのアイテムになるのだろうか?


 自分の昔からのタリスマンで、護り石以外の役目はない。

 兄が取り上げたのもハーネスト家の財産という意味以外はないはず。


(……お祖母様に……もらったもの)


 リディアは、顔を上げた。

 どうして、彼女はリディアにこれをくれたのだろう。


(……私、お祖母様のこと、何も知らない)


 『――あなたはまるで――ね』


 厳しい表情しか見せられたことがない。

 よそよそしくて、拒絶されていると子どもながらに思っていた。


 俯いた顔の下で、リディアはネックレスを拳に握りしめて、そして袖の中に戻した。



*it reflect my real

(それは、リアルな自分)

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