285.the beginning of mortality

 目を覚ましたのは、奇妙な部屋だった。長方形の一室。天井・床・左右前後すべてが一面の鏡張りの部屋。天井には部屋を煌々と照らすLEDライト。


 リディアは自分の格好を見下ろす。


 魔法衣の下はスーツ。足は、土に汚れたヒール。床に目を向けると自分のスカートの下が鏡に写っており、顔をこわばらせてリディアは端に寄った。


(――圧迫感がある)


 拷問というのは、様々な手口がある。痛みを与えるものが一般的だが、眠らせないもの、眼前でフラッシュを浴びせ続けるものなどもある。


 ここは、眩しすぎるほど明るい、夜になれば消灯してくれるほど親切ではないだろう。 

 そして、継ぎ目のない鏡張りの部屋は、足場が不安定で、それ以上に不安感を与える。


(私に、拷問する必要性はない)


 リディアは落ち着いて考える。師団における重要な情報は何一つ抱えてはいない。だとすれば、この部屋はリディアを精神的に追い詰めるため。


(それに何の意味がある?)


 膝を抱えて座り、目を閉じて顔を埋める。眩しい光や奇妙な鏡で精神を摩耗したくない。そうしながら考える。


(……グレイスランドが危機にさらされている)


 それは間違いない。師団が構成するグレイスランド防衛網が突破されたのだ。あの一瞬で、どこまで突破されたのだろうか。


 ――わかっていないことが多々ある。


 ひとつは、現在のグレイスランドの状況。だが、これは今推測ができない、希望的観測になってしまう。


 だから関わった兄の目的を考える。兄は、なぜグレイスランドを攻めたのか。


 チャスはバルディアの人間だ。ヤンに命じられたら逆らえない。彼の最後の言葉はそうとれた。

 ヤンと兄が手を結んでいるのは間違いない。


(……いいえ。むしろ兄が背後から操っている)


 ヤンと兄の力関係は顕著だった。バルディア国内でさえもそうだった。そうなると、バルディアがグレイスランドに攻め入るのも、兄が背後にいることが大きい。


 バルディアがグレイスランドに攻め入る理由――。


 ヤンは明らかに焦っていた。王位継承権がない彼が王座を奪ったのだ。おそらく反発は大きい。功を立てる、グレイスランドを攻め、何らかの有利な権利を得れば、その足元を固められる。


(――でも、バルディアだけではグレイスランドを攻略できない)



 リディアは顔をあげた。


 バルディアとグレイスランドの間にはエッジランドがある。過去には何度も領地をあちこちに奪われ、その時有利な国に寝返る中立国。


 グレイスランドは、周辺諸国に狙われている。表向きは良好な関係を築いているが、バルディアのように、周辺諸国がけしかけられていないとは限らない。


 シルビスは――兄は舞台には出てこないだろう。


 今回も、防衛網がかき消された瞬間にリディアだけを連れ出した。それだけだ。表立ってグレイスランドを攻め込んでいない。攻め込んだ証拠はなく、どこからも非難はされない。


(――兄は、領土獲得には興味がない)


 シルビス国民は自国が聖地であるという自負はあるものの、他国侵略に興味がある国民ではない。

 聖地である、太陽の主信仰の始祖である、その思いは強いが、兄はそれを他国に布教するような信仰心を持っているわけでもない。


(――ただ、興味だけで他国をけしかけた?)


 周辺諸国がグレイスランドに攻め込み、食い荒らすのを傍観し眺めている。


 そんなことをしてどうするの? 

 どうして私を連れ出したの?

 戦争になるから、その前に脱出させた、そんな性格ではない。


 ――利用するため。


(私になんの利用価値があるの?)


 リディアは、正面の鏡に写る自分の姿を見据えた。

 ……いずれ動きがある。

 その時は手遅れじゃなければいい。


(大丈夫。――ディアン先輩も、ワレリー団長もいる)


 最後の時、光の主――太陽の主が蘇りそうになっていたが、それをくいとめていた。師団の存在価値はそこにある。


 大丈夫だ、きっと。リディアがそこにいなくても、グレイスランドは負けない。

 それを信じている。


***


 どのくらいたったのか、三度の食事が三回。ただ三日経ったのかというと不明だ。もしかしたらもっと短いかもしれないし、長いかもしれない。予想していた通りに日付がわからなくて消耗する。トイレは部屋の端にあった。鏡を見ながらの排泄にもようやく慣れた頃だった。


 不意に正面の鏡、長方立方体の短い面が前面に開いて、男が顔を出した。

 シルビスの近衛兵団の制服だ。


 兄の部下――そう思うとリディアは覚悟を決めた。


「――出ろ」


 男は部屋に入る気はないらしい。リディアは開かれた出口に向かい足を踏み出した。

 そこは地下のようだ。


 凹凸の激しい石を埋め込んだ壁、床は長い年月踏み固められた埋め込まれた石畳。そこを通ると次第に足場が安定してきて、新しく増築された箇所に踏み込んだのだとわかる。


 そして、狭い石材の螺旋階段を歩かされて、更に通路を進むと、ようやく居住区間に出た。

 木材の床に張られた絨毯、黄色い壁紙に、真白の漆喰細工、それなりの邸宅のようだ。


 リディアは、ノブに彫られた紋章を見て目を見張った。

 王妃の紋章――ここは、シルビスの王家の所蔵する館の一つなのか。


 ――シルビス王家が所蔵するのは、王宮、夏と冬の離宮ひとつずつ。


 だが、歴代の王が愛妾に与えた館や、正妃を追い払うために住まわせた館などが各地に点在している。その実態は、伯爵家の娘でありながら情報から遠ざけられていたリディアにはわからない。


 そうして、リディアを連れた男が左右の扉を護る同じく近衛兵の男たちに頷くと、扉が開けられる。


 ――そこは、何の部屋かはわからない。


 左側には重厚な緞帳が半分ほど開かれた窓があり、植木と芝生が左右対称で乱れなく整えられた庭が覗き見えている。


 正面には天井まで書籍が埋められた大きな書棚、その奥にどしりと据え置かれた机の前には兄が立っていた。


 リディアを連れてきた男は、そのまま扉の前に直立不動で備える。


 兄のアレクシスは何も言わない。


 リディアに謝罪を求めるかのような態度だ。実際、彼を目にすると多くの者が追随の姿勢を見せるし、こうべを垂れたくなるような威圧感がある。


「……お兄さまは、グレイスランドを攻撃なさるおつもりですか?」

「開口一番それか?」


 リディアは震える手を胸の前で押さえる。


 その口調から、謝罪を求められている気になってしまう。

 でも何を謝ればいいというのだ。リディアは、本能的に呼び起こされてしまう恐れをなんとかねじ伏せた。


(あやまることなんて……ない)


 今は、やるべきことがある。


 それはグレイスランドの危機に対処すること。自分にできることなどないが、このままでは兄の人形だ。


「バルディアの内政に干渉してみせたのはどうしてです。何が目的ですか?」

「不肖の妹を連れ戻した。それ以外に何の理由がある」


 お前は、シルビス人だ。彼はそう言い放った。

 リディアは法衣の裾を握り締めた。


 ――覚悟はしていた。


 ディアンのやり方は、必ず覆させられると。


 兄はリディアにそこまで興味はない、役に立たないと思っている。だが、自分のものを目の前で奪われて黙っている性格じゃない。


(――グレイスランドの防衛網が崩れた瞬間に、システムを書き換えた) 


 あの瞬間。リディアの国籍をシルビスに書き換えたのだろう。それぐらいは予想できていた。


「お前は不肖の妹で、わが一族の恥でもある。だから私が責任を持って連れ戻した、そこに疑問を持つシルビス人はいない」

「……」


 あの場、グレイスランドの防衛網が崩壊した瞬間に兄が現れた。

 ヤンはグレイスランドに攻撃を仕掛けた。兄はたまたま不肖の妹を取り戻すために機会に乗じた、その説明で通用してしまう。


 グレイスランド侵攻にはなんの関与もしていないと。


「言ったはずだ。お前はシルビス人としての役目を果たしていないと。家長である私は、お前の行動を是正しなければいけない」

「……」


 リディアは黙り込んだ。兄に口で敵うわけがない。


 でもこのままでは疑問が解決しない。


 彼がグレイスランドの攻撃に加担して、何の得があるのだ。何のためにしているのだ。


「――アレクシス様――わたくしのほうからお話させていただいてもよろしいでしょうか」


 薄い水晶を指ではじいたような澄んだ声が響く。


 声を発したの主は、リディアが入ってきた扉とは別の、上手側から現れた女性。

 細く長い可憐な手は真白の長手袋に覆われている。ドレスの裾は透かし彫りの美しいレースで覆われていて、可憐な足取りで、存在だけで見るものを魅了させる。


(……フランチェスカ王女!?)


 白い陶磁器のような肌の美しいデコルテ、ウエストはリディアが知る限り最も細く、銀の刺繍が胸元から裾まで縦に縫われたドレスは、足を動かすたびにしゃらりと揺れて優雅さを醸し出す。


 リディアは慌てて左右の法衣の裾をつまみ、頭を深々と下げ、両膝を曲げた。


「まあ、顔を上げてくださいな。未来の妹君に対して堅苦しいことはなしよ」


 リディアはようやく頭をあげた。

 対面どころか、尊顔を直接拝見したのも初めてだ。


 彼女はシルビスの女性であるため、メディアへの登場は多くはない。だがシルビス王家直系の唯一の姫である彼女の顔を知らない国民はいない。


わたくしたち、婚姻の日取りが決まりましたの。それをお知らせしたくて、アレクシス様に機会を設けてくださるようにお願いしましたの」

「それは――真におめでとうございます」


 婚約を発表してから、なかなか具体的な日取りは公表されなかった。


 だが、何かしらの問題は解決したのだろう。リディアに知らせるというのは不可解だが、リディアはただ言祝ぐしかない。


「ねえ、リディア殿。いいえリディア、と呼んでもいいかしら」

「光栄に存じます」

「では、直接機会を設けた理由を少しお話しましょうか」


 リディアは身をこわばらせる。兄が合図をして、近衛兵の男性が扉から出ていく。この場は三人きりになった。


 リディアは先ほどから感じていた不安を再度呼び起こした。


 現在リディアの魔法を封じる魔法具はない。


 だが、この館は――六属性の循環を妨げる力を感じる。恐らく地下か天上か、六属性分断の巨大で大掛かりな魔法陣が仕掛けられているに違いない。


 ――チャスの能力がそうだ。改めてあの時実感したのだ。


 彼はそれぞれ関係しあう六属性を分断させることにより、魔法を消滅させるのだ。


 ――チャスはヤンに従っていた。そしてヤンは兄の手駒だ。


 そしてチャスの能力を兄は見抜き、ヤンを通じて、グレイスランドの防衛網を無効化したのだ。


(……魔法は使えない)


 王宮の近衛兵が守るこの場所から逃れることは難しいだろう。だが、この館を出ればどうだろか。


(無理だ。この国、国民中が敵と思ったほうがいい)


 すべての国民は兄の味方。それならば、此処が一番安全――。

 そう思おうとしてもできない。


 王女の優雅な笑みも、兄の変わらぬ毅然とした態度も、リディアの胸に警鐘を鳴らすだけ。


「リディア。あなたはシルビス人の女性であることは承知しておりますね」

「はい」

「そして、役目を果たさなくてはならないことを」


 もしシルビスとグレイスランドが対立すれば、シルビス人であるリディアはシルビスを選ばなければいけない。


(そういうこと……)


 ぬけぬけとグライスランドに逃げることは許されない。師団もリディアに気を許さないだろう。

 だが、それはわざわざ念を押すことだろうか。


「ここからは、王家の秘密です。リディアも王室の関係者になるために話すのです。内密の話だということはわかりますね」

「――承知、いたしました」


 リディアに拒否権があるだろうか。王女直々の命なのだ。


 動悸が激しい。より一層危機感が募る。逃げなければ、と思う気持ち。だが足が動かない。


 姫の微笑みがこの場を動くことを許さない。


「リディアは我々の悲願を存じておりますか?」

「悲願……」

「知らぬのは当然です。それはアレクシス様しか言い当てられませんでしたから」


 彼女は慈愛とも哀れみとも見える表情をして見せた。


「私達シルビス人は、リュミエール人の末裔です」

「……」


 最初は戸惑い。それから意味を飲み込んで内心で驚きを隠した。


「残念ながら、民の多くはそれを忘れております。ですが、我々が純血を保つのはそのためです」


 彼らは、光の主が魔法を直々に授けた人々だが、神話上の存在だと思っていた。


「なぜ太陽の主がグレイスランドを守護しているのか。それはグレイスランドという野蛮な国が我々の魔法を奪ったから。太陽の主の力を奪い、光の主と名を変えさせ、その欠片の力を利用しつくしているからです」


 何と言っていいかわからなかった。

 ただ彼女がそう言っていること、それは彼女にとって真実で、多くのシルビス人が信じていること。


「私たちは、私たちの主をとりもどさなくてはなりません」


 その断定的であり決意の固い口調は、どこか狂信的なものを彷彿させた。


「太陽の君を復活させ、主とする直系の者を産むこと、それが我が王家の悲願です」


 絶句した。


「さすれば、絶対の魔法はシルビスのもの。本来の力を、かつての栄光をシルビスが取り戻すのです。それが我々、セルヴィアンヌ仕える者の務め」


 シルビスの首都、セルヴィア。

 そしてそこに住まうものは、セルヴィアンヌと自称し誇りを持つ。


グレイスランド栄光の地などと詐称する国から、我が主を取り戻すのです」

「殿下……」


「そこで、あなたの役目です」


 リディアは周囲を見渡した。不穏すぎる、意図が分からない。


 なのに胸が騒ぐ。


「私には、大きな役目があります。シルビスの王女として、太陽の君を主とする子を設ける義務が。そしてアレクシス様とならばそれが可能です」


 そのどこに、自分の入る余地があるのか。


「ですが、残念ながら私には子を宿す能力がありません」


 リディアは左右に目を走らせ、そして窓際へと足を少しずつ寄せる。


 兄はただ見ていた。

 胸が騒ぐ。これ以上聞いてはいけない。いや、これ以上聞くと、もう逃げられない。


「近すぎる血での婚姻を結んだせいかもしれません。卵子はありますが、子を宿し続ける能力がないのです」


 姫の独白は続く。だがリディアにそれを堪能する余裕はない。


「これは、わが父、陛下も承知のこと。そしてあなたの父母君からも承諾を得ています」


 リディアはとうとう走り出して、窓へと向かう。


 そこに手をかけて小さく悲鳴を上げた。

 ただの獣ならざる大きな目が覗いている。爬虫類的なもの。リディアの両手を広げたものより大きなそれが、獰猛に目を細めている。


 その表皮は、黒光りする鱗に覆われている。わずかに開いた口には、鋸歯が並んでいる。


 ――ブラックドラゴン。王家を護る守護獣が、窓越しにリディアを逃げ出さぬよう見張っていた。


「――お前は若く、健康体だ。そして、調査では健康な子を産みだす確率が九五パーセントと高い」


 リディアは、出入口を振り返る。そこは、魂のない動く鎧プレートメイルが塞ぐように何体も固めていた。


「リディア・ハーネスト。あなたに王の名代として命じます。私とアレクシス様の子を宿す母体となりなさい――その栄誉を授けます」




*the beginning of mortality

(死する運命のはじまり


「魔法師リディアと怖くて優しい仲間たち」のほうに更新が入っています。よろしければお読みくださいませ。本編と少しつながるネタがあります。

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