281.最後の魔法

 茫然自失としているケイを無視して、リディアは個人端末PPを繋げようとして落胆した。

 

 そうだ、ここは圏外。

 だが未だに対抗戦は中止になっていないらしい。


 リディアは、自分の探査能力でこのフィールド内に残された魔力を感じた。キーファとウィルの魔力はすぐ近く。最後に残っているのは二人のようだ。


 それに感慨に浸っている場合じゃない。


 まだ嫌な予感が抜けない。


 リディアはケイを置いて、走り出そうとして、不意に地面に手をついた。

 足が突然動かなくなる。


(え……)


 おかしい、足の感覚がない。それどころか手も動かせない。

 指が硬直している。口元がひくひくと不随意に動く。

 全身がじんじんと熱を持ち、四肢が勝手に震えている。


(神経毒……麻痺?)


 あの魔獣には刺されなかったはず。だが、あの体液を全身に浴びた。そこにその成分が含まれていなかったとは言えない。それとも、知らない間に刺されたのだろうか。


 そして、ケイが高笑いをし始める。


 彼の背後には、巨大な虫なのかわからない化け物がいた。

 先程のコッコロ―チもどきとは違う。


 鮮やかな蛍光の青、触覚のような左右に長さの違う飛び出た黄色い目が左右に伸び、下顎が出っ張り上に向けて左右の牙がカチカチと噛み鳴らされている。たくさんの足はムカデのよう。鎧のように硬そうな体表は、リディアの力技で潰せるとは思えない。


(……嘘、でしょ……)


 それが二股にわかれた尾を振り上げる。

 リディアは目を見開いて四肢に意識を向ける。


(動け、動いて……うごいてっ)


 敵が目の前にいるのに、動けないなんて最悪だ。


(……落ち着いて)


 自らの身体に意識を向けて、回復の魔法を意識する。唱えることはできないけれど、内側に魔力を満たし、請願詞を心で唱えて行き渡せる。


(“――清浄なる水よ。汚れし血に混じり、薄め、清めよ。流れし風よ、纏わりつく汚れを吹きとばせ”)


 意識して一本一本に力を込めると、わずかに指が動く。


 少しずつ回復してきている。感覚がもどってきている。


 リディアは敵を見上げた。リディアが回復するまで待ってくれるはずはない、とりあえず魔法を唱えて、時間を稼がないと。


 そのためには――もっと近づくまで待つ。


 睨みつけ、フリフリと二股に分かれている尾を振る化け物のご機嫌を伺う。


 コッコローチもどきと、こいつとでは、毒は違うのだろうか。あまり触れないほうがいいだろう。あいつも体表に毒をまとっている可能性がある。


(……フィールドさえ解除されれば)


「ゆひ、まらは、口さえうこけば」


 ダメだ。全然口が回らない。


 あと少し、あと少し。


 じりじりと焦れて対面していると、化け物が今まで違う動きをする。ムカデのようなのに、突然左右の多足に水かきのようなものをバッとだして、バサバサと、芝生ごと土を巻き上げる。


 やめてナウ○カじゃないの!! 変な蟲いらないから!! いや、水かき出すのはロボットだっけ?


 でも予想通り、そのムカデは水かきで水のように空気をバザバザ掻いて、少しずつ浮かび上がる。

 かちかちかち。かちかちかち。


 やめて、その歯を鳴らす音。蟲笛ないから。私、話せないから!


「え……ちょっと待てよ!」


 ケイも焦る。だってそいつは、ケイを置いてもう遥か上に浮かんでいる。

 そしてやつは、蟲笛の誘導もなく飛び去っていった。


 情けなく地面に這いつくばったままのリディアと、呆然としたままのケイ。


(――魔獣が、ケイの命令を無視した?)


 いいや、最初から、命令なんてきいていない。意思疎通なんてできていない。

 あれは、最初から呪詛の通りにしか動かない。


 『――勝利者には死を』


 キーファとウィル、二人の勝敗が決したのだ。



***


 口が動くようになり、リディアは走りながらなんとか水魔法で全身を洗い流し、そして風魔法で身体を乾かす。


「キーファ! ウィル!」


 二人の生徒がそこにいた。まだ魔獣の姿はない。リディアを見て、二人がこちらを向く。だがリディアの肌に異様な感覚がはしる。


 片膝をついて、うずくまるウィルに、見下ろすキーファ。どちらとも衣服は焦げて、かなり疲弊した様子。どちらが勝利者か表示はないけれど、見ればわかる。


 二人の決着はついているようだった。


「キーファ、逃げて!!」


 叫ぶリディアをキーファが困惑の瞳で、そしてウィルがゆるゆると顔をあげて苦しげに見つめてきた。けれどキーファは構えていない。


 魔獣はどこ? リディアより先に向かったあいつはどこだろう。


 後少し。そこに着くまで待って。何も起こらないで。

 二人のところまで、あと五メートル、あと二メートル。


 何か怪しい気配は――。


 そう思うリディアは、つんのめるように足をとめた。指先になにかが掠めた。それを追って目をやると、地面に何かが見えた。

 それの太さは一センチもない。けれど人差し指ほどの長さの針のようなもの。


「ふたりとも、逃げて!!」


 頭上に影がさす、虫が三人の頭上に滞空していた。


 即座に警戒の眼差しを浮かべ、リディアの方に足を伸ばすキーファ。おそらくかばってくれようとしたのだろう。けれどその足が不規則に止まる。


 不自然に体を硬直させて、手を胸にやって、眉をしかめる。そしてその胸に丸い血の染みがついた。

 最初は小さな指先ほどのもの、それがどんどん大きくこぶし大になる。けれど、彼はリディアの方に再度足を伸ばそうとしていた。指先を伸ばし、再度足を一歩、二歩と動かす。 


「キーファ!!」


 頭をかばいながら、ウィルが叫ぶ。

 ウィルの前でキーファの身体が前方に傾ぐ。見たこともないくらい、ウィルが切迫して歪めた顔で彼を支える。

 

 リディアは、全部見ていた。自分の足が驚くほど遅い。なかなか二人に届かない。到着できない。

 敵がいるのに、リディアはキーファとウィルしか見ていなかった。


「――あはっ!」


 場違いな笑い声が響く。


「あはっ、ははははははははっ!!」


 視界の端で、ケイが肩で息をしながら到着して、けれど笑っていた。

 リディアはキーファの元へと駆け寄る。ウィルが彼を仰向けにする。


 キーファの眼鏡が、地面に落ちて転がる。


「……な、んだよ、これ。なにが……どうしたんだよ!?」

「キーファ!! しっかりして」


 リディアはキーファの首に人差し指と中指を這わせて頸動脈を探す。


 拍動が――ない。

 目を見開いている。胸の怪我は大きくない。でも背後から前へと棘は刺さったまま――貫かれている。


「あはははははは!! 僕が、勝利者だよっ!!!!!!」


 ケイが叫ぶ。その彼の頭上で不気味な影が揺れている。


 ――勝利者には、死を。


 呪詛の文言が甦る。


(嘘でしょ……)


 一瞬なの?  


「ウィル、これを抜いたら即座に服をあてて止血して。心臓マッサージをするから……」


 いいや、それで間に合う? だって呪詛なのだ。棘が死の要因じゃない、それを取り除いて回復させらる?


 そう思いながら、ハンカチを手に巻きつけ棘を掴む。


 哄笑するケイが不意に顔をしかめる。胸を押さえて、うつ伏せに倒れる。その顔は信じられないという驚きで、倒れる前の彼の口からは一筋の血が流れていた。


 思わず立ち上がりそうになったリディアは、その気持ちを押し殺す。


 ――勝利者には、死を。


 その文言が頭によぎる。勝利者となったキーファは呪殺された。それによって勝利者となったケイも犠牲になったのか。


 それともメグの思い――ケイをください、というひどく抽象的な願いが、呪いの結果を歪めたのか。


 両方は助けられない。生徒の命を天秤にかけることになる。

 それでも――キーファは……殺させない。


 リディアは棘を抜く。すかさず上着を脱いでそれを胸にあてるウィル。

 キーファは絶命していた。心臓の拍動がない。


 リディアは白木蓮への詠唱を始める。


“――我が君よ、我ら人の体に命をあたえしものよ”


 詠唱をしながら、リディアは一つの気配を感じる。歪んでいた空間がゆらぎ、通常の感覚が戻ってきた。転移魔法で、戻ってきたような感覚だ。


 視界の端で黒い影が現れる。それに向かってウィルが叫ぶ。


「――おせーよ!!」


 リディアは彼を認識しながら、意識はもう白木蓮に向けていた。


 ディアンも無言だった。リディアもそちらを見ない。互いに互いのスべきことをするだけだ。


 ディアンによって一瞬で燃えつくされた虫――魔獣の黒い燃えカスが空から降ってくる。 

 ディアンはそちらを見上げもしなかったし、リディアも視界の端で何かが起こっていると認識しただけ。


 今はキーファの茶色く変色していく顔色を見つめ、そして息を深く吸い、彼と唇を重ねる。人工呼吸は気休めだが、しないよりはいい。


「俺はどうすればいい?」

「止血はいい。心臓マッサージを続けて」


 ウィルにも協力を頼む。


 白木蓮への詠唱を心の中で続け、自らの中の弱い彼の存在をつかもうとする。


 確かにいるのに。細い細い糸、流れる帯のようなものを手が掠めるのに、触れられない。

 形のあるものとしてつかめない。


“――過ぎ去る魂を、命を我の中に取り込めたまえ”


 彼はいつもリディアの中にいた。リディアの魔力の源、心の中。


 そこに大きな光の塊として存在していた。


 ――甦生魔法を使う時、リディアはこの世を去ろうとする命の流れを自分の中に取り込む。

 同時に白木蓮からも魔力が流れてきて、混ざりあった命が自分の中で循環したあと、肉体に戻っていくのだ。


(……白木蓮、もうだめなの?)


 あなたには会えないの? もう力は借りれないの?


 ヴィンチ村で呪いを受けてから、もうずっと彼の光は小さいまま。いや、リディアが甦生魔法を使うたびにどんどん小さくなる。

 彼はずっと対面してくれない。応えてもくれない。でも力を貸してくれていた。


 でも――限界なのだろう。


 自分は今、自分の中にいる、けれど周囲の様子も感じている。ケイが倒れ、魔獣をぶっ潰したせいだろうか、呪いによる結界――呪場が解け、圧迫感が薄れている。


 いや、キーファを殺すという目的が達成されたからだろうか。


(そんなことは……絶対にさせない)


 リディアは、白木蓮の光に目を向ける。キーファの命はまだリディアの中に留めている。まだ彼は逝っていない。


 甦生魔法は、白木蓮の力を注いで、命を戻すこと。でも白木蓮にはその力がない、もう借りられない。


 ――甦生魔法は、行えない。


『キーファ、おい、しっかりしろ!』


 ウィルの声が響く。すべてが遠い。


 ディアンが何かを言っている。

 リディアは今、キーファの存在を自分の中に感じているだけ。


 白木蓮の力は借りられない。


 リディアの中で、ひとつの考えが固まりつつあった。


(一つだけ方法がある……)


『――俺はあなたを守ります』


 キーファはいつも言ってくれた。

 強い眼差しで、美しく澄んだ瞳で。最初はリディアに警戒の眼差しを向けていたのに、いつの間にかリディアに心を開いて、そしてリディアにとっても頼れる存在になっていた。


 彼は、これからもっと強くなる。そして、魔法界には大切な存在になる。

 ここで終わらせてはいけない。


 彼は――これから未来がある。


“――我が主、白木蓮よ”


 彼の名を呼ぶ。光に向けて願う。彼の力は借りずにすむ、今まで行わなかった最後の方法。


“――最後の願いを託す。我の命と彼の命を――交換したまえ”


 リディアの誓願詞を聞き、ディアンが声を荒げた。リディアの肩を掴んだ、けれどもう止められない。


(――できるよね、お願い)


 彼の力は借りることはない、けれど最後に叶えてもらえる最終手段の魔法。

白木蓮の光が一瞬弱く明滅する。まるで叱るかのように。


 ――そして、願いは受理された。


 リディアは胸を貫く強い衝撃に襲われ、前のめりになり胸を押さえた。呼吸を詰まらせた後、意識を失った。

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