280.大いなる戦い

*虫系が苦手な方は、お気をつけください。とくにお食事をとりながら読むことはお勧めしません。





 ――視界が陰る。


 リディアは本能で全身にシールドを張って、すかさずケイから離れるように前方に飛ぶ。右方向から重みを持った風圧が襲い掛かる。


 地に突いた左手に重心をかけて、再度飛び退ってかわして、立ち上がるとリディアはケイを振り向いた。

 

 ――ケイの前には巨大な、黒い悪魔がいた。なぜか腹を見せて、仁王立ちしている。

 きもっ、きもすぎる。

 

 ――黒い悪魔。黒光りするボディに、ひらひらと揺れるいやらしい触角。


 夏になると必ず出てくるやつ。

 隠れていればいいのに、なぜか人前に現れては急に猛スピードで突進してくるやつ。それをGともいう。


「ひっ……」


 リディアはひきった声をあげて、猛烈に飛び退った。

 腹を見せて死ぬ姿さえ直視できないというのに。


 リディアは思わず斜め下に視線を逸した。


 ちらちら視界に入るのが、マジキモい。


 たくさんの足をワキワキさせて、羽を半端に広げて、触覚をふりふりしている。色は気持ち悪い茶色と赤の中間色。


 なぜ直立できているのか謎過ぎる。


(もう嫌だ……)


「ケイ……あなた、あなた、虫系は嫌っていたでしょ!?」

「アハハハ! 何って、僕の使い魔だよ!!」


 ちがう、絶対ちがうから!! 

 よりによって、なんでこんなことになったの。


 吐きそうだ。色が気持ち悪い、腹も気持ち悪い。微妙に目を逸しているのに、視界に入ってくる。


 しかも羽が動いてて、今にも飛んできそう。恐怖だ、飛ぶとかなしでしょ。


「……虫系はあなたのキャラじゃないでしょ!?」


 ケイに話しかけてとりあえず時間稼ぎをする。飛ばさないでよ。制御できてんでしょうね? あいつと意思疎通できてんの? 


 師団の誰か来てくれないかな?


(ディアン先輩、来てくれないかな……)


 もう何でも言うこと聞くから。


「僕の言うことを何でもきくんだよ。僕の魅了チャームの力だよ」


 ゴ○をいうこときかせたって楽しいの? 私はいやだけど。ていうかほんとに制御できてる? あいつに意思をきくなんて高等な頭脳あるの?


 視線を斜め下に向け、なんとか視界に微妙に入れて動きを警戒するけど、打開策が見えない。


「チャームって、そんなのじゃないでしょ!?」


 いやん。カサコソ足が動いているのがマジできもい。

 お願いだからこないで、そこを動かないで。


 飛ばないで、お願いだから、こっちにこないで。

 叫んでいい? 逃げてもいい?


「ケイ。コイツ使って何かした? 他の生徒に合わせた?」


 ケイは楽しげに笑う。


「見てくれは僕の趣味じゃないよ。でもすごいんだ。最初すごく小さかったのに、素早く他のやつに飛んでくだろ。そして、倒しちゃうんだ。そしたらドンドン大きくなって、今じゃこんなに巨大だよ?」


(魔力を奪っている可能性がある)


 魔法晶石中毒になった魔獣だ。生徒の魔力でここまで巨大化したのか?


「ケイ、もうやめなさい。ソイツは魔獣よ。そして呪われている。あなたが思うような存在じゃない」

「はあ? 何、妬み? 先生、僕の力を正当に評価しないの?」

「違うわ。魔獣は簡単に操れる存在じゃない。しかも魔法晶石を食べて、他の魔獣と共食いをした存在。しかも人を襲っているの。魔獣使いだって、そんな危険なもの扱いきれない。だから――」


 ケイの性格からして大人しく放棄するとは思えなかった。でも一応説得の形を取りながらリディアは、ジリジリと距離を取りつつ、ヤツへの攻撃に備える。


 確かに自分は呪詛の研究をしていた。けれど呪詛板の研究だ。大きなくくりでは同じ呪術でも、違う呪術だと対応は全くわからない。

 そもそも呪詛板だって、この忙しい仕事のせいで、全く研究は進んでいないのだ。研究計画書は、着任してから一行も書けていない。何やりたかったんだっけ、私、状態だ。


(嘆いている場合じゃない。今に集中!) 


 けれど、こうなってしまった以上倒すしかない。


 多分、ケイは――。


「だったら、先生に試させてあげるよ!!」


 そう、間違いなくケイは攻撃を仕掛けてくるだろう。



***


 巨大Gが腹ばいになり、素早く近づいてくる。まさにゴキ並み。


 リディアは、指を鳴らしてその巨体に雷を落とした。

 空は曇天、大気は帯電している。さほど難しくはなく、その巨体を貫けるはずだった。


 だが、その図体を貫くはずの轟音はなかった。青白い光は確かに天から降り立ったが、ヤツに命中しつつも動きを止めるはずの威力はなかった。


 そのまま奴はリディアに突進してくる。ワサワサと足を滑らせて。


「ひ……いやああああ」


 リディアはすかさず強い風魔法のシールドを展開させつつ、火球を投げつける。

 だが効かない!


 リディアは逃げるように、木に飛び移る。


「アハハハ! 先生全然ダメじゃん。僕の使い魔、すごいだろ!!」


 リディアは梢の上で、額に滲む汗を拭う。荒い息を整える。


 ――魔法が効かない。


 そしてここは、フィールド内だと思い出す。


(――魔法効果を最小限に抑えるように設定されている)


 それは生徒同士の殺傷を防ぐため。

 だから自分の魔法効果も思うように現れない。対して奴は呪詛による力を得ている。呪いはこのフィールド内で抑え込まれない。


「……ケイ」

「何?」

「こいつを倒したらあなたにも何らかの反動が来るかもしれないけど、いいわね?」

「は? だって全然、先生かなわないじゃないか」


 こいつの呪詛は、『勝利者には死を』だ。なんの関係もない生徒を死なせるわけにはいかない

 まだフィールドは解除されていない。試験は続いている。呪いはとけない。

 

 ――ウィルやキーファに危害を及ぼすわけにはいかない。


(せっかく、彼らが真剣に勝負しているのに)


 それを壊すわけにも、そして傷つけることも――絶対にさせない。


 ヤツが仁王立ちになり、リディアに狙いを定める。

 先程の攻撃で敵とみなされたよう。

 

 巨体を膨らませ、羽を広げる。


 リディアも不安定な足場の上で立ち上がる。

 そしてやつが飛び立つ前に、ジャンプした。 


 ――巨大Gが、飛んでくる。それに風魔法で叩き落とす。


 そのままリディアはやつの上に飛び乗る。

 正直触りたくもない。どんな菌がついているか。


 懲りず、しかもリディアを落とそうと仁王立ちになるヤツの頭部と腹部の間に腕を回して、そのまま締め付ける。


 リディアの腕では、長さが足りない。カサコソした足があばれて宙をかいている。表面の油が滑る。だが、一度ロックしたのは、絶対に離さない、緩めないのが鉄則。


 奴はリディアを振り払えない。


「――何してんのさ!」


 ケイが遠くで吠えている。


(魔法が効かないなら――)


 そのまま一層締め付ける。暴れるヤツの腹部を右手で固めて、渾身の力を頭胸部にかけて、左手でねじり回す。


(この……!!)


 ある一点のところまで来たら、ぐりっと捩れる。グチュという大層気持ちの悪い音が耳に響き、おぞましい感触が全身を駆け巡り、同時にねじ切った箇所から飛び散る体液が顔にひっかかる。


「う、ぐっ」


 叫びたい、気持ち悪い。目に入った、でも戦闘中!


 手を離すわけにはいかない。


 最後の仕上げだ。ヤツの羽がリディアの身体を叩き、あがいて飛び上がろうともがく。


 リディアは、意地でも離すまいと、最後の仕上げでそのまま接続部をねじ切ると、ヤツが地面に倒れ込む。


 すかさず身体を起こして、足を振り上げてヤツの半分を踏み潰す。何度も何度も。


(きもい。きもすぎる)


「……な、なんだよ」


 リディアは頬についた体液を腕で拭う。


「魔法が効かないなら――ぶっつぶせばいいのよ」


 

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