269.ギュフ

 メディカルセンターとは異なる保養所。

 リディアが住む世界と似ているようで、少し異なる無限にある異次元の一つ。

 

 師団は、要人を長期に匿うこともある。その際、治療を要する場合に利用する施設。


 リディアは、その一室に入りマーレンを見下ろし拘束ベルトに手をかけた。


「おま……」

「……調子はどう?」


 彼の両手両足の拘束は、長年の魔力増強薬摂取依存による副作用で無意識に魔法を乱発し、自傷他傷を防ぐため。

 長期にわたり疑似増強薬の投与を行い、だんだんと減量し、その行為も落ちついたと聞いた。


 起き上がるマーレンの身体に手を貸し、水を渡す。


 少しやせたな、と思う。もともとエルフ族は細身の体型が多いが、やつれた、と感じた。


「……情けねーとこ見せた」

「そんなこと全然ない。あなたにとっては生きるために必要なものだったのだから。……それより、バルディアでは助けてくれてありがとう」


「……」

「マーレン?」


 彼の細長い耳は力なく垂れぎみだった。気落ちしているというより、血色も悪く皮膚も乾いていて、体調がまだ回復していない様子だ。

 なんだかかわいそうで、撫でてあげたくなる。……耳に限ってだけど。


「助けられなかった、むしろ助けられた」


 ベッド上で緑色の検査着を身にまとい、肩を落とす彼の横に座る。


「おまっ……」

「何?」


「……お、俺は何もしないけどなっ! けど安易に男の横に座るな、しかも……べ、ベッドに」

「そうだけど。椅子がないんだもの」

「あ……」


「まず全身スキャンするから。手を貸して」


 リディアが手を差し出すとマーレンはむっとして、顔を赤くしながらも手を差し出してきた。


 マーレンは他の魔法師の治癒魔法と医療処置で身体の損傷は回復していた。あとは本人の体力の回復と、魔力の六属性バランスの是正。


 自分が行った甦生魔法は、かろうじて発動していた。でも白木蓮の反応がほとんど感じられなかった。そのことを思うと泣きそうになる。

 自分の主なのだ、幼少期からずっとそばに存在を感じていた。見守られているような、いつも背後に感じていた存在。


 ――なのに、自分が彼を汚してしまった。


 マーレンやその他の人たちを助けたことに後悔はない。でも、主を汚したかったわけじゃない、消滅させたいわけじゃない。


 何度か接触をしようとしては、最初の約束を思い出す。

 自分から、彼を探してはいけない。


「何か、あったのか」

「ううん、なんでも」


 マーレンの紫の瞳が、案じるように揺れていた。じっと見て離さない視線は、リディアに吐かせたいようだったが、リディアはわざと笑う。


 それを見て、マーレンは顔をくしゃりとゆがめた。


「お前、泣きそうな顔をしてるぞ」

「……」

「辛いときは笑わなくていい。……漏らせなくても」


 リディアは軽く息をついた。

 彼は王宮という場でずっと戦ってきたのだ。やりたい放題やってきたように見えるけど、人の感情の機微に聡い。


 だからだろうか、それ以上は訊かないでくれる。


「――お前に送った呪詛版のコピーだが、ヤンに調査させてた」


 マーレンは話題を変えて言い出す。確かに、それがバルディアを訪ねた当初の目的だった。


「呪詛版は、シルビスにあるらしい。お前の兄、アレクシス・ハーネストが集積している」


 リディアはその内容に肩を震わせた。

 兄が、リディアの呪いの原点を集めている。


 その意図は、なんだろうか。


「――防げなかった、そしてお前を辛い目にあわせた、すまなかった」


 リディアは彼の片手を両手で握って、そして目をつぶって額に押し当てた。


「な、なにを……」

「ありがとうね。私、本当にシルビスにいると……ダメになっちゃう。だからすごく、助けられた」


 マーレンの手は大きい。エルフだし痩せ気味だから逞しくないと思いがちだけど、やっぱり男の人の手。みんなそう、リディアより大きな手だ。

 マーレンは黙ったまま。固まっているみたい。確かに返答に困るよね。

 だからリディアは話を終わらせる。


「ヤンとのこと、平気?」

「あいつが俺につけられたのは、大学に入る少し前だ。……その前は何をしていたかは知らない。さほどあいつに対する特別な思いはない」

「……」

「基本、廷内では誰もが敵だ。親兄弟でも。気にするな、俺も気にしていない」


 マーレンはリディアに合わせるように告げたあと少し黙って。

 それから空いた手で、リディアの肩を引き寄せた。


「俺は、いつか必ずバルディアに戻る」

「うん」

「平民が日々幸せと感じるような生活を送らせてやる」


 リディアが言った幸せの定義が彼の中に根付いていて、しかも上から目線で少し笑ってしまう。リディアは、握っていた彼の手を下ろす。


「一人が辛いと思う世は、皆が辛い。だから皆が幸せになるには、俺も幸せになる」

「うん?」


(……なんかおかしな理屈じゃない?)


「今俺は、ちょっと幸せだ。そのお前と……いられて」


 リディアが返答に困って黙ると、もじもじしている。

 さきほどまで青白かった耳が今はピンクになり、上下に微かにピクピクと揺れている。色素の薄い頬も上気して赤い。


「小さい肩だし……その変な気になってきた」

「――さて、治療を始めましょうか!」


 リディアは唐突に彼から体を離して、目の前に立つ。彼の手が肩からストンと落ちた。


「な、なんだ……」

「それでなんだけど! 今回私があなたの手助けをすることになったの。――行きましょう」


 彼が吊り上がった細めの目を見開いて、リディアの顔を見上げる。耳が伺うように今度は大きく上下にパタパタ揺れている。


「私もいろいろあったから。心の回復って互助作用でお互いに癒しあったほうがいいのよ」


 マーレンの耳がちょっと期待外れだというように垂れる。 


 そして彼は差し出すリディアの手を取った。


***


 転移先は、適度に手入れがされた師団の秘された私有地の森林。主に心の療養や、自身の持つ魔力属性の調整に使われる。


 森林も伐採をして、手を入れて適度に光と水が入るようにしないと、荒れてしまう。根が張らなくなり地滑りの危険生が出る。日が当たらず実りが取れず、獣が餌を求めて人間の領域に来る羽目になる。


「あなたは、金属と風属性だから土や木々と相性は悪くないはず。エルフだし」


 リディアは、水と風に縁が深い。水辺でも、海や急流の川は落ち着かない。穏やかな流れ、緑に囲まれたささやかな水脈、そういう場所が心を落ち着かせ、魔力の源泉に潜りやすい。


 木漏れ日が差し、リスが巣にもぐりこむ梢を見てほほ笑み、リディアは倒木に腰を掛けた。緑と土の匂いが濃い。水分を十分に含んだ土だ。


 マーレンはあの検査着は嫌だといつもの格好に着替えていた。ただし、レザーは止めさせた。動物の皮は、自然と相性が悪い。


 黒の綿のパンツとグレーのTシャツ。彼は服が汚れるのも頓着せず、リディアの間近の正面の地面に腰を下ろした。


「手をつないで。そして、心を静めて」


 マーレンが顔を赤く染める。もともと色白の肌だ、妙に目立つ。耳がぴくぴくと動いている。


「そんなの、できるか! この状況で」

「どうして?」

「そんなの……」


 マーレンは言いかけて黙る。

 まだ顔は赤いが、どこか気まずさと説明しがたいプライドのようなものを感じた。


(……意外と純情なの?)


 意外と、ではないかもしれない。彼はいつも乱暴な言葉遣いだが、言動の内容は紳士的だ。


 女性に対して、いい目を見ようとか、ずるさがない。それは彼が女性に対して免疫がないからかもしれないし、女性に簡単に手を出さない真摯さがあるからかもしれない。


「増強薬で、あなたの中の属性の一部が枯渇してしまった。でも、魔力は私たちの中――脳から作られる。脳の制御は難しいけれど、心の安定を促して、潜在魔力の活性化と生産を促すの。だから、自分の中の魔力と向き合って」

「――」

「今はバルディアが心配だと思う。あなたにとっては人生で一番重要なこと。でも、あなたの身体は銃創を負い、魔力の源も傷ついている。国にいる者たちは強大で、あなたには今、立ち向かえる力はない」


 リディアはマーレンの掌を取り、魔力を込めた指でIイスのルーン文字を書いた。


 リディアの魔力を纏いそれは一瞬煌めいて消えた。


「氷のIイスは、忍耐と休息を司る。氷の張った水の下で、時を待つ。言わなくてもわかるわね」

「……俺は、他の方が」

Hハガルとか? 強大な雹の力だけど試練も大きいでしょ」

Gギュフがいい」


 ルーン文字だとXや×に似ている愛のルーンGギュフ。手紙の最後に×マークでキスを表すのはここから来ているのかもしれない。


 ギフトでもあるので、旅立つ人に送る場合もあるけれど。


「あなたが旅立つときに送るわ。今はこのルーンね」


 無言になるマーレンにリディアは苦笑した。


「ほら、心を切り替えて無心に。過去にも未来にもとらわれない。今、ここにいることそれだけを感じて。六属性の存在を感じて」


 そして彼が息を吸う。リディアもあわせて目を閉じた。

 緑と土と水の匂い。閉ざされていて、けれど安全な空間。


 マーレンの静かな呼吸が、彼の存在を伝えてくる。二人だけの時間は、本当にわずかな休息。


(これから迎える試練を、彼が乗り越えられますように)


 リディアはそれに付き合えない。彼が乗り越えられるように、その回復を手伝うしかない。


(そして、私の戦いも終わっていない)


 ――兄は、絶対にリディアを許さない。


 次に兄と対面したときが、自分の最後。それは、確信に近いものだった。


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