264.まだ手のなか

 ボウマンを見送ったリディアは、遠目で見た人影に声をかける。


 見間違えじゃない、フィービーだ。


「アボット先生!! フィービー・アボット先生っ」


 何かの手続きだろうか、ファイルを手にして別館から正門のほうへと向かう彼女に声をかける。

 彼女はリディアが追いつくのを待ってくれた。


「あの――、紅茶の缶、ありがとうございました」

「いいえ。あなたのイメージだと思ったの」


 何もお返しができない。言葉に詰まっていると、少しやつれた表情で彼女は笑った。大学は、騒ぎになるのを恐れておおごとにしなかった。魔法省と師団は知っているが、未然ということもあり、彼女の辞職で終わった。


「お帰りですか?」

「ええ。もうこれで、全部」

「バス停までご一緒してもいいですか?」


 バス停まで向かう彼女と一緒に歩む。


「エルガー教授のことで、あなたが疑われてしまってごめんなさいね」


 リディアは一つ、踏み込むことにした。


「……私の杖が現場に落ちていたことをご存じですか?」


 フィービーは考え込むように黙り、そのあと口を開いた。


「あなたのところの生徒が、部屋に返しに来たのよ、落ちていたって。折れていたけれど、私もあなたのだって思ったから、預かっていたの。そうしたら、いつの間にか現場に落ちていたことになっていたの。……机から消えていたから、あなたが取っていったのかと思っていたのだけど」


 最初の頃、リディアは自分の杖を部屋の机上に置きっぱなしにしてあった。だからフィービーはリディアのものだとわかったのだろう。


 フィービーも今さらながらに不審だと思っているようだが、大学教員は出勤時間が決まっていない。リディアが来ていたかどうか、誰も知らない。いつの間にか出勤して取っていったのだろう、そう思われていても仕方がない。


(私のところの生徒が――返しに来た?)


 魔法晶石に、魔力補充薬の盗難。まだ誰がなんのためにしているのか、見えてこない。


「エルガー教授の領域だったのですね」

「ええ」


 フィービーは、エルガー教授の文句を言うリディアを見ていても、何も言わなかった。なぜ教えてくれなかったのか、という恨み言を言うつもりはない。彼女は彼女で、担当を外されて、悔しくなかったはずはない。それ以上に傷ついて、もう口にしなくなったのではないか。


 普通ならば、悪口大会になっていてもおかしくない。


 でも、そうしなかったのは、リディアに先入観を持たせないためというのもあるだろうし、もう関わりたくなかったからかもしれない。


「いろいろ訴えたけど、結局変わらなかったわね」

「そう、ですね」


 相変わらずです、そう言いかけたけれどやめた。リディアは何もしていない。変えようとしたフィービーはすごい。でも、なぜ今更だったのだろう。


「どうして、今になって呪詛をかけたのですか」

「……わからないわ」


 彼女が呪詛をかけた理由は、“怨恨”、それですまされている。でも、彼女の普段の様子から恨みを募らせているようにはみえなかった。穏やかに日々業務をこなしているように見えたのだ。


「禁書をみていたらね。やってしまっていたの。まさかできるとは思っていなかった」


 呪詛は、魔術の分野だ。魔法と魔術は違う、だからリディアの呪詛の研究も進まないのだ。魔術に対して、魔法でのアプローチをする。それは難しい。

 そして魔法師が魔術を扱うのも難しい。


「禁書は人を魅了するとも言われていますから。もしかしたら、先生のせいだけではないかもしれません」

「それでも手を出してしまったから。やってみて、埋めて、そしてしばらくは気にならなかったの。やったことで気が済んだのかもしれないわ。けれど旧校舎が取り壊されると聞いて、慌てて回収しようとして、いいえ、破こうとしたら――」

「呪詛は現物を壊すことで、事態を悪化させることがありますから」

「そうね。私はそんなこと知らなかった」


 現場にあった、クッキーの缶。そこに呪詛版を入れておいた。フィービーは缶を集めるのが趣味で、研究室にも空いた菓子箱にものを入れておく傾向があった。


 こんなことで退職になってしまうのか。リディアが顔を曇らせていると、フィービーは穏やかに言った。


「治療所でね、治癒魔法師の手伝いをすることになったの。声をかけてくれる人がいて」

「そうですか」

「あなたにも、怪我をさせてしまったウィル君にもバーナビー君にも悪いことしたわ。ごめんなさい」

「いいえ。私は大丈夫ですし、彼らのご家族にもお詫びもしました。先生こそ今後のご活躍をお祈りしています」


 バスが来た。フィービーと共に、立ち上がる。


「ところで。禁書はどうやって手に入れたのですか? 図書館から持ち出しはできなかったはずなのに」

「――机の上にあったのよ。でも二十一時を過ぎていて閉館していたから返せなくて。つい持ち帰って読んでしまったの。――私が呼んだのかもしれないわ」


 禁書の類は、呼び寄せてしまうと聞いたことがある。フィービーは教授に恨みがあった。だから呼び寄せてしまった。


 でもそんなことってある?


 準備室での呪い。最初は人形だった。その次はさそり

 人形に呪いをかけた犯人はわかっていない、けれど筆跡や形態から別人だと判定されている。人形に呪いをかけたのは、フィービーじゃない。


(そして、フィービーにけしかけた人間が別にいる)


 リディアの杖を現場に置いたもの、魔法晶石や魔力補充薬の盗難、なぜか自分が常にまきこまれている。


 人形の次に虫。段階的に少しずつレベルを上げている。


(……まるで、試しているかのよう)


 そう思い、リディアはぞっとした。


 誰かを使い、直接手は下さない。呪詛と同じだ。


 その手口は――

 リディアは口を引き結んで、震える肩を抱きしめた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る