263.過去へ、未来へ
リディアは、立ち入り禁止魔法がかけられた旧校舎の玄関で、解除魔法をかけて中に入り込む。そしてまた立ち入り禁止とする。
術式は大学ではなく、師団の魔法だ。とすると、師団が現場調査をしたはず。
もちろん、魔法省に報告はしていたはずだから、介入はありえる。
けれど、あのボウマン師と、この時、この場所で再会になるとは思いもしなかった。ヴィンチ村で惨劇後、彼は魔法省の国家特殊任務調整機関から退いていた。
リディアはチャスに調べてもらったリストを頼りに彼を訪ねたが、国外に調査研究中ということで会うことは叶わなかった。
緊張はする。
でも、逃げてはいけない。どのような感情を持ち、どのような対応をされるのか、カードは相手が握っている。自分はただ、それに向き合うだけ。
玄関を入り、リディア達が落ちた穴――そこには派手にロープが張り巡らされて、同じく進入禁止魔法がかけられていたが、その真横に魔法省の正装である黒いローブを纏った男性がいた。
「ボウマン
彼はすでにリディアの魔力を感知していたのだろう、悠然とうなずく。
その時に浮かんでいる表情は昔のように気難しく、苛立ちを顕にしたものではない。悟りきったような、穏やかなものだった。
「よろしければ、応接室にご案内させていただきますが」
「いいや。ここで話そう」
リディアは頷いた。
旧校舎は、窓が小さく採光が悪い。コンクリート製だが、経年のせいで余計に薄暗く感じる。当時はモダンな設計だったようだが。
「ボウマン師が、過去視をして此処を出入りしていた人物を特定されたと聞きました」
過去視は、かなり特異な魔法だ。
過去に戻ることができる能力者はいるが(おそらくキーファがそうだろう)、望む日時の過去を見ること、または再現することは、非常に難しい。どちらかといえば、過去の召喚に近く、魔法と言うよりも魔術的な方面になる。
そして、これまで古代魔法の発掘と分析を専門とする研究に力を入れていた彼が、そのような能力を身につけていたことにおどろいた。
「君がこの件に関わっていると予測していたものがいたが、全て悪意ある推測にすぎなかった。君は此処に入ったことはなかったし、呪詛版を置いたのは別の人物だった。それを再現して見せただけだ」
「お礼を申し上げるべきか、お手を煩わせたことにお詫びをすべきか、わかりませんが。ありがとうございます」
「私は自分の仕事をしただけだ。そしてこの検証結果を、師団と魔法省に伝えただけ。それからの判断は上の仕事だ」
硬い会話だが、以前のようにリディアの話を聞かないという雰囲気はない、随分印象が変わったことに驚いた。
髪は、白髪というよりグレーが目立つ。前は乱れていたが今は整えてすっきりしている。表情がはれている。
「現場に、残されていたクッキーの缶があっただろう。そこに、どうやら呪詛版があったらしい。それを置く人物が再現された」
「ええ」
「君の同僚らしいな」
実習室もそうだったが、放置されている部屋というのは無駄な物が多い。延長コードや使用してない電化製品のカタログや、CD―ROM。そこに紛れてクッキーの空き箱があった。
この地下の部屋に入った時に、何故、ファンシーなクッキーの缶があるのか違和感を覚えたのだ。それは、フィービーがロッドの見本をいれていたお菓子の空き箱と同じものだった。
「動機などはすでに師団が追求し、辞職したと聞いた。私が立ち入るべきではないが、辛いだろう」
「――まださほど長く一緒に仕事をしていませんが。随分と助けて頂きました」
教員経験のないリディアに、役立つ助言をくれたのは彼女だ。エルガー教授よりもずっと頼りになった。
それよりも、いたわりの言葉をかけてくれた彼に驚いた。リディアの戸惑いを見て、彼は苦く笑う。
「此処は空気が悪い、外に出よう」
***
まだ四十代のはずだが、年老いたように少し足を引きずる彼に手を貸して、リディア達は校舎の外に出た。
穏やかな気候だった。
中庭のベンチに彼を座るように促し、リディアは向かい合った。そして頭を下げる。
「ヴィンチ村での件では、申し訳ありませんでした」
「――なぜ、君が謝るのかね」
その問いは、今回何人か謝罪に訪れた際に訊かれた。相手が疑問をもっているというよりも、リディアが何を問題としているのか、ということを問われているのかと捉えていた。
「私は、実質の指揮官でした。ですが、起こりうるリスクを想定できず対処できませんでした。それが私の謝罪する理由です」
「そして私のように暴走する者を抑えきれなかった」
彼が苦笑をしながら告げて、リディアは立ち尽くした。なんと答えたらいいのだろう。
「こちらに座りなさい」
リディアは、頭を下げて彼が手を置いたベンチに座った。
「君ができなかったのは、豊富な経験者がいるのに助言や助力を有効にできなかったこと。事態の収拾だけではなく、問題と思う人物がいたらそれを抑えきれる人物に頼ることができなかった。未熟なものが、未熟とわかりつつ己だけで対処しようとする、それが事態を悪化させる」
「……はい。身に沁みています」
あの時、ディアンやガロに相談すればよかったのだ。この計画でいいか、暴走ぎみなボウマンをどう扱えばいいのか。あの場所が嫌な感じがするといえば、きっと聞いてもらえたのに。
「とはいえ、謝らなければならないのは、私の方だった。ずっと言えずにいた、すまなかった」
突然、ボウマンがリディアを向いて、頭を下げた。
リディアは慌ててしまった。上の人間から、しかもボウマンのような地位が高くて、正直プライドの高い人間に謝罪をされるとは思わなかったのだ。しかも、形だけじゃない、心からのものだ。
「――四十を過ぎてから、己の性格を変えるのは難しい。ましてや、歳を取ると失敗は若い頃と比べると格段に傷つくのだよ。だから自分の非を認めるのが辛かった。だから私は、君に悪いと思いつつも、それを表明することが出来なかった」
「いいえ、私が――」
ボウマンは、手でリディアの言葉を制する。
「君が当時の者たちに謝罪をしていると聞いて、私の方こそ過ちを認めて告げなければいけないと気付かされたよ」
「……ですが。正直、私は謝罪をしたことで何かが変えられたとは思えませんでした」
「謝罪をすることは、自己満足だ。許したくないと思う相手に、許してほしいと願うことで余計に相手を苦しませ、自分は謝ったのだからと済んだことにする、そう感じたのかな」
「はい」
「それでも、何かをしないより、したほうがいい。物事を進ませるためには、謝罪というプロセスが必要なのだろう」
「……」
「人というのは、自分が聞きたいことだけを聞き、自分が望むように物事を解釈する。同じ場面、同じ言葉を聞いていても、全く理解が違うことに驚くことがあるだろう」
確かに、被災地などでいくら言葉を重ねて安全性を説明しても、最後には「でもそれは嘘だなのだろう」、「ここは安全じゃないのだろう」と言われることがあった。
反対に、危険だと何度説明しても「安全なのだ」と言ってほしいと匂わされることがある。
人は、自分のほしい言葉しか聞かないのだ。
「現場検証でもそうだ。中立的に物事を見れるものと組めればいいが、そうもいかない。そういう者とは議論ができない。相手の意見を聞かず、自分のほしい言葉だけをくれるものとつるむ。――そして、かつての私もそうだった。対立していた相手との競争。それに勝つことだけを考えていたせいで、全てを失った。そして君たちも犠牲にした」
「……」
「一命をとりとめたが、足が不自由となり一時期職も失った。魔力の回路に欠損を生じ、大きな魔法ももう使えない。もともと家を顧みなかったせいで妻から離縁された。あれほどまでに地位に執着していたのは、何だったのだろうと思うようになった」
だが、と彼は立ち上がった。
「あの時何があったのかを知りたくて、過去視の能力を習得したよ。もともと魔法史が専門だ。嫌いな分野ではなかった。失ったものは大きいが、また得ることの大切さを教えてくれたのは君だ。ありがとう」
深く刻まれた皺。灰色の瞳は穏やかだが、まだ強い光があった。
「失くしたものに執着はしなくていい。また別のものを掴める機会が巡ってくる。過去を思い返し、失くしたと悔恨するときもある。だが――同じ場所にいなくてもいい。別の分野で掴んだものは、過去の経験と結びつけば、きっと豊かなものになる」
日が陰ってきたな、と彼はいう。リディアは立ち上がり、頭を下げた。
「……ありがとう、ございます」
「送ってくれなくていい。君もまだ体調が不十分だろう」
そして彼は手を差し出した。
「今度また、どこかで一緒に仕事ができることを願うよ」
調査には魔法師団のチームが入っていた。だが、師団は呪術分野に明るくない。
ディアンは、ヴィンチ村での痛手の後、呪術部門も創設しようとしたがうまくいかなかった。呪術は、どちらかといえば、魔導師のほうが専門であり、魔導師協会のほうから自分たちの専門に手を出すなと圧力がかかってきたのだ。
どこにおいても分野争いは生じるのだ。
だが最近魔法省は、魔導部門も取り入れようとしていると聞いた。
キーファの父親であるダニエル・コリンズが魔法省の改革に乗り出してからは、旧態依然としていた体制は一新され、様々な方面から多角的な視野で方策に着手するようになり、そのうち六属性論も撤廃されるのではないかと言われていた。
少しずつ変わってきている。
関わるほどに人も、分野も。
そして自分も――変われるのかもしれない。
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