254.秘密の花園
――
師団内部にメディカルルームはあるが、入院はこの付属センターになる。
師団からのメディカルセンターへの移動は、空間接続の魔法がかけられた通路による。
第一師団が随時場所を変えるのに合わせて、この施設も場所を変えている。ただし、同時同地点への移動ではない。
師団の本部が狙われた場合、治療・療養が必要な者がいるこの施設が弱点になりやすこと、それから入院者が重要な情報を握っているにもかかわらず、身を守ることができない状態であるという問題が生じる。
だからここは、ここで、師団とは別に防衛網を築いてある。
師団に隣接しているわけでもないし、両者は別々に転移しているので、このセンターがいまどこにあるのかは、リディアにはわからない。
――目を閉じると、わずかに虫の音が聞こえる。
昨日は聞こえなかったから場所移動をしたのか。緑と土の気配、六属性でもそれらの魔力を強く感じる。森の中にあるのかもしれない。
リディアは、風と水属性魔法師なので、水辺のほうが落ち着くのだが、植物も好きだ。風と水は植物を育てるからだろうか。
(――明日になったら、外を見てみようかな)
歩いてみたい気もする。遊歩道があればいいけど、手入れがされていない森だったら気分転換にはならない。
栄養剤の点滴は昼間で終わり、ようやく手が自由になった後だった。
普通は利き腕ではない左手に点滴をするのだが、呪いがあったせいかリディアは右手に点滴をしていた。
邪魔なものが抜けて、寝返りをうつのも、トイレに行くのも、少し行動が楽になった。
点滴の管が入っていた肌は、まだ赤くなっていて凝固した血液や、テープの糊が肌にこびりついている。
呪いは広がったようで、肩の近くにまで進んでいた。あと少しで心臓やリンパ節に届く。特定の疾患のようにリンパ腺によって転移をするわけではないと思うが、心臓に届いたらどうなるのだろう、とぼんやり考える。
少し疲れたので横になったが眠くならない。
目を開けて時計を見ると、まだ二十一時だった。一八時に食事と洗面を済ませて二十時に横になったが、やはり眠れない。
シチューとパンとサラダの食事。味は悪くないのだが、それ以上食べると疲れてしまう。何口か食べて、トレイを下げた。
食べたものを戻したい衝動はたまにあるけれど、毎回ではない。無理に抑え込む必要もないと言われたから、気にしないようにしている。
眠気はない、そして睡眠薬をもらわないと眠れない。
上半身を起こし、最小限の光量で点灯した。
睡眠剤をもらおうか、そう考えてぼんやりしていたら、ノックと共にドアが開いた。
「――シリル」
「よう。プリンとシュークリームとアイスクリーム買ってきた」
机の上に置かれてリディアは苦笑した。
シリルは甘いものを食べないから、リディア一人が食べることになる。しかもそれぞれ数種類。
リディアが照度を上げようとすると、それを制止するシリル。
彼女はとても視力がいい、夜目もきく。言葉に甘えてリディアは橙色の光の中、シリルを向かい入れた。
「歯磨きしちゃった」
「んじゃ、冷蔵庫いれとく。て、冷凍庫ねえじゃん、使えねえな!」
「そうかも」
簡易冷蔵庫だもんと言うと、シリルはハーゲンダッツのストロベリーと抹茶に氷魔法をかけた。
そうか、そうすればいいのか。食べる時にリディアが魔法を解けばいい。アイスは溶けないように、って結構高度な調節が必要なんだけどな、と思う。
シリルは靴を脱ぎ捨て、ベッドに腰を掛ける。戦闘服じゃなくて、私服だ。タンクトップに、動きやすいカーゴパンツ。
自分のベッドに、仕事着で触れられるのも、靴のまま乗り上げられるのも嫌う人は少なくない。リディアもその部類だ。着替えてきて、靴も脱いでくれた彼女は、気遣いが男性たちとは違う。
「ほらリディ」
ベッドに足まで載せて深く腰をかけたシリルにちょいちょいと手招きされて、リディアはそちらによる。肩を抱き寄せられて、そのまま背後から抱きしめられる。
「シリル?」
「やっぱ痩せちまったな」
「そうかな」
「胸もちっさくなっちまった」
「嘘!」
「うそじゃねーし」
背後から揉まれてリディアは悩む。
若干自分でもそんな感じはしていたのだ。ブラのサイズがダウンしたらどうしよう。
「あっ……」
リディアは身をよじる。
(……変な声でた)
シリルが耳の下に顔を寄せて、「ここ、いい?」って聞くから、じんわりと変な気分になってくる。
「シリル……」
「もう少し……」
「…っ、シリル!」
手を押さえると、首筋にキスをされてようやく手を止めてくれた。そのままお腹に手を置かれたまま抱きしめられる。
リディアは安堵なのか、よくわからない息を吐く。
たまにシリルはボディタッチが過剰になる。そして、いいかなと流されそうになるから危険だ。
師団の中では女の子同士で、というのも聞いたことがあるので、偏見はないつもりだけど、ちょっと戻れなくなりそうだし、シリルも途中で止めてくれるから友達の範囲としてとらえている。
「リディ。力抜いて寄りかかれよ」
「……うん」
シリルは、身長も高いし、かなり鍛えているので寄りかかられても平気のよう。そして男性ではないので、リディアも気安さもある。
ディックも大事な時は慰めてくれるが、彼は彼で触れ方に気を遣ってくれている気がするし、リディアも恋人のように深く接触するのは避けている。
「――ねえ、シリル」
ぽつり、と言葉が漏れた。
「――男女の関係で、セックスって必要? しなきゃいけなもの?」
迷ったが声に出てしまった。
「シリルは、したことある?」
リディアは同性の友人と恋バナをしたことがない。自分が育った師団はほぼ男性団員だ。あんまり聞きたくない言葉ばかりは耳に入ってきたし、女性の親友はシリルだけ。
第三師団のワレリーの奥様はリディアの目標で素敵な女性だが、ちょっと特殊すぎて相談相手には向かない。
――シリルは黙ってリディアの言葉を待つ。
彼女は普段は軽妙な口調だし、多少口も悪いが、リディアに対する態度は真摯で、こういう時、茶化してくる相手じゃない。
「私ね、ずっとどうでもいいって思ってたの。シルビスの貞操観念に逆らってグレイスランドではみんながしているからって、早く済ませたくて。誰とでもいい、どうでもいいから、どうせ減るもんじゃないからって」
チャスに話したことを思いだす。
彼には、投げやりになるなといった。『どうせ減るもんじゃないから』って、魔法を、自分を切り売りする彼に、自尊心が減ると諭した。
――でも、自分も同じだった。
自分を大事にしないことで――何かの罰を自分に与えたかったのだ。
「でも、シルビスで――、嫌だと思ったの」
どうでもいい、誰とでもいい、って思ってた。
けれど兄の決めた人に従い身を捧げることに――怖いと思った。
「ねえ、シリル」
声が震える。明かりがついていなくてよかった。顔を見られないでよかった。
「わたし、好きな人と……むすばれたい」
シリルの手が優しく後ろから撫でてくる。リディアは半身を向けて、その肩に顔を埋める。
「……好きになりたい」
キーファやウィル、バーナビー、マーレン達。
彼らの思いは感じている。でも、応えられない。いつも、戸惑うのだ。
どうして好かれているのかわからない。彼らが、自分のどこが、好きなのかわからないのだ。だから、どこか遠いものとして捉えてしまう。
「わたし、好きになれないのは……自分が好きじゃないからだと思う」
気づいてしまった。
自分が自分のことを好きじゃない限り、他人を好きになれない。
他人に好意をアプローチするには、自信がないとできない。好きになろうとする感情にセーブがかかる。
「わたしも、だれかを……好きになりたい」
リディアの震える声を、シリルの大きな手が肩を包み込み受け止めてくれる。
このままじゃ、五年後も、十年後も、自分は一人だ。
一人でいる想像は容易なのに、誰かと結ばれている像は全く思い描けない。それがとても当たっている気がする。
「――私が、最初に好きになったのは、女で。行為をしたのも女だったよ」
シリルが穏やかな口調で口を開く。
「好きになった人が、たまたまその
シリルの恋の話は聞いたことはない。けれど、きっと恋の楽しみも苦しみも経験しているのだと思っていた。
「感情と性欲が結びついてるのは人間だけだって知ってるか?」
リディアは次の言葉を待った。
「動物も昆虫も好きという感情を持たずに行為をする。繁殖のためだ。だから雌雄で行為をするだろ。たまに間違えて雄どうしでしちまうのもいるけど。本来人間は両性に好意を持つ。友情を超えた好意もあるだろ。でも生殖行為は恋愛としても好きじゃないとしてはいけない、だから好きになるのは異性。そういう観念が、社会を複雑化してるんだと思うんだよな」
シリルは外見も男性みたいに鍛えている。彼女なりに悩んできた過程がある。
「人の観念ってのは結構頑固で、同性だから、既婚者だからって、感情にセーブをかける。既婚者や同性は恋愛対象としてみないっていうやつらは多いだろ。感情のセーブってのは、誰かしらしている」
シリルの声は落ち着いている。
「でも脳っていうのは、結構複雑だろ。私が思うのは、もしかしたら一度出来た回路に従っちまうのかなって」
「……回路」
「ドラッグとかの薬物の摂取方法も、最初にやったときの方法を続けるんだってさ。吸引にしろ内服にしろ、注射にしろ。一番最初に覚えた快楽の方法、その方法を好むというか、それにはまっちまう。恋やセックスも、一番最初のやり方をどうしても選んじまう気がする。前回のと今回は違うと思っても同じルートを辿っちまう。だから私は女が好きなのかもなって思ったんだよ。――そしてその回路を切断するのは難しい」
「うん」
世の中は中毒性に満ちている。アルコールも、生活を脅かすほどでなければ病気と診断されないが、依存傾向の人は多い。ゲームやチョコレートやコーヒー、インスタント食品やファーストフードだって依存性がある。
それは脳内麻薬である神経伝達物質の過剰放出のせいもあるが、快楽の回路ができてしまい、絶つのは難しい。タバコだってそうだ。やめられないのは本人の意思の弱さじゃない。ニコチン中毒という疾病名がついている。
「だから、最初は大事にしたほうがいい。うまくいかなきゃ、次に進めばいいっていうのもあるけどな。でも、リディは大事にされたほうがいい、幸せだという感覚を得た方がいい」
「幸せ……に、なれる、のかな」
「リディが好きじゃなくても、大事にしてくれる奴を最初は選べ。つーか、リディが選べないなら私が見定めてやるよ」
リディアは笑った。少なくともシリルは自分よりも見る目がある。
「好きつー感情は曖昧で、その程度は人それぞれだ。『四六時中一緒にいなきゃダメ』っていう程度のやつもいれば、『嫌いじゃない』という程度の感情が“好き”に値するやつもいる。全員が『恋に落ちる』ってのを経験してるわけじゃないからな。恋っていうのは、脳の神経伝達物質やホルモンの放出具合によるし、その程度は人それぞれだ」
リディアは頷いた。
好きと言われたら、同じだけの感情を返さなきゃいけないと思っていた。そうじゃないと申し訳ないと。
「だからリディは、リディなりの好きでいいんだ。それでいいっつー懐の広い奴を私が見つけてやるよ」
人の体温につつまれてると眠くなってくる。
「面倒なことは考えずに、眠れよ」
「――うん」
シリルがごろんと横になる。傍でリディアも横になった。野営の時、よく身を寄せ合って仮眠をとった。
最初はディックの傍に行くことが多かったが、年齢を重ねるにつれてリディアは次第にシリルの横を選ぶようになった。
「もし気持ちよくなりたかったら、最高なのをリディアには経験させてやる」
「……怖いからいい」
リディアが遠慮を伝えると、シリルは笑った。興味がないわけじゃないけど、戻れなくなりそうだ。
「男なら……今んとこ」
シリルが珍しく詰まる。
「シリル?」
「んー。選んでやってもいいけどな、熟考中」
「相手が嫌がるよ。あちらだって選ばれても困るよ」
男性側にだって選択権はある。選びたいのはあちらも同じ。
「……リディ」
シリルが顔を寄せ合って真顔になる。
「選ぶのは女だ。それくらい強気でいけ」
「でも……」
そんな上から目線で……。
「虫や動物だって選ぶのはメスだ。盛ったオスってのはどうしようもねぇってのは、リディもよく知ってるだろ」
確かに師団では、もうどうしようもない会話ばかりだった。
「あれがトラウマなのかもしれない……」
「だろ。今んとこ候補はいくつかいるんだけどな。でもやっぱりリディを任せるにはまだ足りねぇんだよ」
「だから相手にも選ぶ権利はあるってば」
何度も同じところに戻る。
リディアはクスクス笑った。
休養できるように調整されたベッドは快適で、野営のように緊張感もなくていい。
改めてここに帰ってきたことを実感して、気が抜けた。
そして少しずつ睡魔が訪れる。今日は少しだけ楽な気持ちで眠れそうだった。
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