255.兄の心のうち

 次の日の晩は、ディックだった。カーテン越しに気配を感じて、リディアは目を開けた。


「悪ィ。起こしちまった」

「ううん、眠れてなかったから」


 リディアは、昨日と同じように光量を落として明かりをつけた。


「気づかせちまうなんてな」

「いつもの私だったら気づかなかったよ。ちょっと、過敏になってるかも」 


 ディックがベッドの端に腰掛ける。

 ディックはやろうと思えば完全に物音も気配を消せる。リディアが起きていた時のために、驚かさないようにわずかに気配を感じさせたのだろう。


「助けに行くの、遅れてごめんな」


 ディックが肩を抱いて、引き寄せる。こつんと額に頭が当たる。


「みんな、そればっかりだよ」


 リディアは肩を震わせた。自分で――なんとかできなかった。


 顔を上げて彼を見上げると、ん? という顔。その目つきは優しい。彼の方が兄より顔つきは怖いだろう、背だって高い。言葉遣いも悪い。


 ディックは怖くない。なのに――兄は怖いのだ。


 どんなにここで戦闘を積んで、こわもての男性団員に慣れても、兄を見ると身体が竦んで、声が出なくなる。


 ――強くなったと、思ったのに。


 一度植え付けられた恐怖は消えない。関係性は、変えられないのだ。


「これな。お前の生徒のマーレン・ハーイェクから引きあげてきた」


 ディックに手渡されたのは、キーファからもらったネックレスだった。布に包まれたそれは、台座は歪み、石は砕けた欠片になっていた。


「転移の魔法に耐えられなかった。つーかよく持った方だよな」


 それを包みなおして、感謝をこめて胸に抱きしめるリディアを見るディックの視線には気づいていた。

 彼は、リディアが自分の碧玉エメラルドの守り石をキーファにあげて、反対に彼からもらったものだと知っているだろう。


 でも何も言わない。


 ディアンも、リディアがずっと身に着けていた翠玉の魔石の代わりに、これを持つようになったことを気づいているだろう。でも何も言わない。


 何と思われているかはわからない。


 でも、キーファの思いを踏みにじってはいけない、それだけはリディアにはわかる。


「ディック。行ってきたんだね」

「ああ」


 彼の身体からはわずかな石鹸の匂いがした。潜入していたところから、帰還したところ、そうわかった。


「ディック、ごめん。悪いけど、ここを出た後、もう一度スキャンしなおして。服も焼却処分して。シリルには昨日、言い忘れたのだけど」


 一日たって思い当たった。思いつくのが、遅すぎた。


「私と接触したら、必ず検査して。だって――」


 兄、アレクシスがあれほど簡単にリディアを返した理由。


 彼はリディアに何かを仕掛けている可能性が高い。それは何かはリディアにはわからない。探索の魔法の可能性もあるし、自分の内部に何かを埋め込まれているかもしれない。


「――兄の狙いは、師団だと思う」


 ディアンがリディアを取り戻したからじゃない。


 もっと前から、何かを計画していた。リディアがグレイスランドの魔法学校に入ったのも、兄が父にそう持ち掛けたのだろう。


 父の見栄じゃない。兄がそうすべきだと囁いたのだ。


 何を狙っているのか、何が目的かはわからない。けれど、彼は用意周到だ。


「私がここにいることで、何が起こるかわからない。もしかしたら、私がスイッチになるかもしれない。私が……ここを攻撃してしまうかもしれない」


 意図せずとも、突然自分がここを攻撃して、彼らを殺してしまうかもしれない。


 兄がそういう仕掛けをしていないとは、限らない。


「前に実習の時に、師団からの衛星電話の不具合があったでしょ。うちの生徒のヤン・クーチャンスが兄と結びついていた。師団の回線に侵入しようとしていたのかもしれない」


 ディックはリディアの頭を再度引き寄せる。今度は、ゴンっと音がするほど強い。


「――まず第一に。あの回線に侵入はなかった。そして、信号は変えた。侵入された形跡は一切ない。ネットワーク回路も変えた。うちに侵入される恐れはねえよ」

「……」

「それから、お前の身体も呪いもちゃんとスキャンしている。サーチアイが付いている可能性はゼロだ。お前が監視されている可能性は全くない。しいて言えば、お前にそう思い込ませること、それがヤツの狙いだ」


「……私の心の問題」

「じゃねえよ。奴の人心掌握術、というよりも人心操作はかなり高度だ、リディは前も言ってただろ。自分では動かない、人に囁きかけて周りを動かす。とはいえ、奴は一人だ。うちはかなり警戒をヤツに割いている。負けてねぇから安心しろよ」

「……うん。私のことでごめん」


「あっちの動きは怪しいと思ってたしな。それ以上に、団長も言ったろ。リディ、お前は家族だって。嫌な奴は、お兄ちゃんが片付けてやるから、安心しろ」


 そういってディックはリディアの髪をかき混ぜる。


「うん」


 それでも、兄が動いたら、リディアは逆らえるのだろうか。


 いざという時は、自分を見捨てて欲しい、その言葉を口に出せなくて。


 口元を震わせるリディアに、ディックは気づいているのだろう。くしゃりと笑った後、リディアの額に口づけた。


「誰にも、お前に悪さはさせねーよ。絶対」

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