253.願うのは、彼女らしくいられること

 気づけば興味深そうにシリルがこちらを見ていた。


「なにか?」

「お前らの年頃の男にしちゃ、珍しい関係だよな」

「……何が」

「気になる女にアプローチしまくるか、牽制しあうか。ここまで淡々と自分のなすべきことを遂行するつーのは余裕なのか」


 キーファとウィルの関係を指しているのだろう。

 そして、それは確かに指摘通りなのかもしれない。

 

 ただの大学生であれば、好きだと思った同級生がいてその女子にライバルがいたら、講義やその前後でアプローチして、連絡先を聞き休日にデートに誘う。


 自分の利を確認し、どうすれば好んでもらえるか、先制できるか、そう考えてばかりだったかもしれない。


「リディアですからね。自分のことを押し付けてばかりいてもむしろ負担をかけるし、自分のことを考えるよりも、彼女にとって何をどうしたらいいのか、を考えることが優先でしょう」


 自分よりも相手の女性の立場や気持ちを優先する、そう考えるようになったのは、相手がリディアだったからだ。


「何をすべきか結論でたのか?」

「そうですね。少なくとも――あの場所シルビスにリディアを置いておくのはよくない」


 そう断言すると、シリルの目がすっと細められた。


 助け出して仲間たちに囲まれているリディアを見て、キーファはなんとも言えない思いを抱いていた。

 

 バルディアでは、まだ気が張っていたのだろう。姿勢を保ち、弱さを見せないようにしていた。

 けれど、こちらに来てからの彼女は怯えていた。


 キーファには、すがるすべがわからなくなって、どうすればいいのか途方にくれている女の子にしか見えなかった。小さい、華奢、そして脆い。

 痩せたと言うよりも、やつれていた。

 

 抱きしめて、ここは大丈夫だと言い聞かせたい。

 麻痺している感情を、泣かせて解き放ってあげたい、そう思うが動けなかった。


 ここは、リディアの家で彼女にそれを許された者たちがいる。


 自分はまだ、そこに入っていけない。遠慮する気などなかったのに、入れない何かがあった。


「――リディは、何があったか漏らしていない」


 シリルの言葉に、キーファはハッと顔を上げた。


「メディカルセンターのケアスタッフにも言わねーんだ。アイツ、時々すごく饒舌になるくせに、一時帰宅していた時も、シルビスのことは口にしねーんだよ」

「トラウマ、なんでしょうか」

「PTSDのショック、って診断されてるけどな。……リディアにとって、あの家でのことは日常なんだよ。当然のことだから話さない。それとも知られたくないのか。ほんとは吐き出させたほうがいいって専門家は言うんだけどな」


 キーファは彼女のことを思い、拳を握り締めた。どうして、もっと早く助けられなかったのか。


「何があったのか、というよりも、日常的なこと、常に危機にさらされていたと考えてもいいのかもしれません。リディアの兄、アレクシス・ハーネストですが、垣間見ただけなので判断のしようがないのですが……」

「何か感じたか?」

「……異常なほど、リディアを貶める発言をしていました」


 キーファは握り締めた拳に力をこめる。あの時、どうしようもないほど怒りを覚えた。対照的にリディアは何の反応もしていなかった。

 彼女はただぼんやりとしていたが、触れた肩からは怯えと、それから覗き込んだ目には悲しみが映っていた。


「妹に、というか人に対してする発言ではない。ですが、リディアに対しては、少し理由が分かったような気もします」


 シリルが言ってみろと促す。


「俺には、リディアは守ってあげたい存在に見えます。いつも一生懸命で、でも頑なで。その強さと弱さ、それを支えてあげたい。ですが、そういう存在を疎ましく思う人はいるのかもしれないと」


 キーファは自分にはその感情がわかりませんが、と付け加える。


「人は何かしらの鬱屈を抱えています。そして常に他者と自分の世界を同一視している。リディアは眩しい存在に見えます。ですが、鬱屈している者にとって、時にはその頑張りや、頑なさを潰してやりたい、世の中を思い知らせたやりたい。輝こうとしているものを潰したくなる、そう思う時があるのかもしれません」

「アレクシス・ハーネストをそう見るか……」


 シリルが呟いたのを見て、キーファは勝手な想像です、と付け加えた。


 彼とリディアは光と影だ。だが、光が影を見て潰してやりたいと、そう思うこともあるのではないか。


「もっと大きななにか、を企んでいそうな気もしますが」

「アレクシスについては、こっちで調査をする。リディアは……お前に任せる」


 シリルはキーファをまっすぐに見つめた。


「お前にしか漏らせない時もあると思う。だからその時は、聞いてやってくれ」


 シリルの柔らかな笑みに、キーファはわずかに驚き、力強く頷いた。

 ところで、とシリルは切り出す。


「ディックのあれ、驚いたろ」


 不意の話題転換だが、キーファは頭を切り替えて頷いた。


「男一人の旅行者は確かに警戒されます。そのためにカップルを装うのは有効でしょう」

「あれ、ヤッてると思うか?」


 キーファは女性であるシリルのダイレクトな問いかけにわずかに躊躇したが、ここでは日常的な会話なのかもしれない。

 

 そもそも男子学生の間では当然のように出る。いつもならば参加しないが、シリルの顔は真剣だった。


「必要があれば、するかもしれませんが。――していないでしょう」

「なぜそう思う?」

「リディアに対する態度を見ているとそう感じます」


 ディックはリディアを思っている。それは見ていてわかった。

 とはいえ、だから他の女性とはしない、そういうわけではないと思う。


「うまいことやってるって、言う奴もいるぜ。やりたい放題だなって。実際、花街でも人気があるしな」

「人気があるということは女性を大事にするからでしょう。案外、女性はそういうところを見ています」

「ま、たしかに。馴染みの決めたねーさんとしか、してね―みたいだな」

「どうやって別れるのか、は気になりましたが」


 あんなに仲睦まじいカップルだったのに、その夜にはこちらに帰ってきてしまった。


「相手の女性にはいい友人と出えたわ、つーいい思い出にさせるみたいだな。本気で彼を探している女には、さり気なくいいやつと出会えるように仕向けてから別れてくるんだから、ホント上手だよ」

「そこまで……」

「『巻き込んだ以上、傷つけるわけにはいかねーだろ』ってさ。めずらしいだろ」


 あんたら男はチャンスがありゃ、やりてえんだろ、とシリルが言うからキーファは苦笑した。


ひとによりますよ。俺は好きな女性じゃないと……。肉体的な接触は身体的にも、心理的にも、女性の方がダメージが大きいですから。むやみにはできません」

「男女平等のグレイスランドで言うか? 男のほうがハートは弱いんじゃねえの? 女の恋は上書き保存っていうだろ」


 なぜこんな会話になっているのか。


 キーファはそれがわからないことに苦笑しつつも続ける。他人のことは知りませんと付け加えながら。


「男女平等でも、肉体的な性差はあるでしょう。社会構造的にも、平等ではない。そして女性は肉体的な構造では受け入れる側だ。精神面では男性は受け入れる側に見えて、実は女性のほうが許容していることが多い。そしていつだって受け入れる側のほうが負担は大きいでしょう」

「男は出すだけだからな」


 出す行為よりも受け入れる構造のほうが、感染症のリスクが高い。また子供を宿すという器である以上、妊娠のリスクもある。何よりもその器が傷つけば、一生妊娠できない可能性もあるのだ。


「心理面も負担は大きいと思いますよ。リディアを見ていると、そういう性格の女性は負担が大きいと思います」


 言えば、シリルはかすかに笑う。


「女のほうが強い、っていうけどな。母は強し、とか」

「守るべきものがあれば、男女どちらでも強くなるでしょう。それは方法の違いだと思います。子を宿す女性の身体が柔らかいのは、中身が受ける衝撃を和らげるため。けれど女性本来の身体は傷つきやすい。だからこそそれを守る男性の身体が硬く強いのだと思いますよ」


 卵の殻も、細胞も。外郭が強靭で、内郭はやわらかい。

 シリルが立ち上がる。


「――面白い意見だったよ。私は女だが、好きな女は自分で守りたいって思うしな。だから身体を鍛えるのは同意見だ。男に守られるのなんて冗談じゃねーけど」

「人それぞれでしょう」

「そのうち背中を預けられる男になってくれ。――そしたらリディアを任せてやってもいい」


 そう言って、時計を見上げる。ブリーフィングだ、と。

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