250.neverending dreams
それは、リディアがグレイスランドに戻った日のことだった。
メディカルセンターの個室で、何回目かの眠りから目覚めたときのこと。気絶するように眠りに落ちたようだったが、緊張が強く夢を見ては目が覚める。
時計を見上げれば、寝ていたのはほんの数分。
シルビスにいるのではないかと怯え、身体は疲れて眠りを求めるのに、心は警戒している。
睡眠剤を処方してもらったが、それでも何度も目が覚める。朝が来ない。
気がつけば、ディアンがいた――ような気がする。
次に目を覚ましたときも彼がいた。何をしているの、と聞こうとした。
忙しいはず、ただ寝ている自分の側にいるなんて、そんなの時間の無駄だ。
(ああ、そうだ、呪い――)
兄につけられたすべてのアクセサリーに見立てた魔法具は外されていた。
包帯は巻かれていたので、呪いがどこまで進んだのかは、わからない。
けれどきっと、ディアンはその処置を、その処置の行方を見に来たのだと思った。
「せ……ぱ」
喉がカラカラで、声がうまく出ない。咳き込みながら少し半身を起こすと、彼が背を撫でる。その感触が不思議だ。
告げようとしても、うまく声が出ない。
「ごめ……なさ……。のろい……」
うまく伝えられない。ペットボトルから水を入れたコップを差し出してくれて、リディアはようやく起き上がろうとして――倒れた。
半身がベッドから転げ落ちる前に、ディアンの腕がリディアを支えた。
プラスティックのコップが床に転がる音がした。
僅かに水の湿り気、たぶんこぼれたのだろう。そちらを見ようとしたが、動けなかった。
ディアンの腕の中に抱きすくめられている。顔は、彼の肩口。
いつもの彼の魔力の匂い、ジェニパーベリーの苦い香りと僅かなムスク。
だからディアンだと思うのだけど、暗くてよくわからない。
「呪いは、気にしなくていい。進行は止めてある、だが――」
彼の声だ。やっぱりディアンなのだ。
「もう――蘇生魔法は使うな」
内容はいつもの命令口調。なのに、声は、懇願のようだった。
安静を優先とした作りの個室は、静かで、夜でも虫の鳴き声も聞こえてこない。
頼む――。そう言っているようだった。
リディアは彼の胸の中で黙っていた。
彼も知っている。必要があれば、使わざるを得ない状況もあることを。
(せっかく。先輩が、呪いを止めてくれたのに……)
兄のいうことは、当たっている。呪いは――自分のせいだ。
呪いは自分の心に巣食っている。それが消えないのは――自分の――。
「――リディ」
彼が、名を呼んだ。
リディアは息を呑んだ。
静かな空間で、その名前だけが響いた。息を吸うと、彼の匂いが鼻腔を掠める。夢じゃない。
ずるい。
――そう思った。
なんで、こんなときに、そんな呼び方をするのか。
ため息のような、囁くような、何かの思いが
「お前は、本来はシルビスの人間だ」
その言葉に、全てが止まる。息も時間も、空間も、動きも。彼の声には迷いがあった、苦しげで告げるのにためらいがあった。
「だが、育ったのはグレイスランドだ。お前は、この国のものを食べ、この国で育ち、この国で物事を見てきた。だから、お前の中には両方の価値観がある」
ディアンの腕は逞しかった。リディアの身体を強く抱きしめている。わずかに触れ合うときでさえ、最小限の人なのに。
今、彼の腕がリディアの背を強く引き寄せている。
「グレイスランドでは、恋愛結婚も婚前交渉も当たり前だ。親の承諾がなくても、本人たちの意思で婚姻もセックスもできる。お前もそれは知っている、でもお前の中にはシルビスの価値観も根付いている」
彼の声は静かで。
でも、僅かな熱があった。互いに顔を見つめあっていないのに、触れ合う何かがあった。
でもそれがつかめない。
「生まれた地、家庭、国での価値観や考え方は逃れようとしてもできない。そのあとどこでどんな人生を送ろうとしても、それに縛られる。俺は、いろいろな国や地方の奴らと出会い、それを感じてきた」
リディアは、わずかに触れていた彼の背に指をそわせる。いつもの革のジャケットだ。
「それを、否定しなくていい。お前はシルビスの人間だ。お前の国では、家長を通して婚姻を結び、婚姻後に――初夜を迎えるんだろ?」
何を、言われているのか、何を言いたいのか。
「お前の中にある価値観を否定するな。肯定もしなくてもいい。でもグレイスランドでの周りに惑わされなくてもいい。お前がシルビスでの慣習に従おうとするのは、お前の中ではそれが善だからだ。無理をすると、お前の中でそれは罪になる」
彼が、一息入れる。
「それをした時に、お前に自分を責める感情を持ってほしくない」
「な、に……?」
それ、それ、って何なのだ。
ようやく声が出た。
わずかにディアンにためらいが生じる、言いよどむ。まるで己に苦笑しているような。
「無理に男と付き合うなってことだよ」
「え……?」
「どう思おうとしても、お前の中ではシルビスでの手順を踏むのが正しいんだろ」
「……」
よくわからない。
なんの、話なのだろう。ここにいるのは、本当に彼なのか。
「アイツの、お前の兄の干渉は面倒だが何とかする。だから、焦るな。気に病むな」
「先輩、なんの……話?」
本当にわからなかった。
兄は、諦めないだろう。リディアに執着しているというよりも、自分の獲物を取られて我慢できる性格じゃない。執拗なしつこさで、ディアンに報復に出るだろう。
だから、リディアがどう逃げ切れるかとか、どう兄と対抗するか、とかじゃなくて。
ディアンはリディアをようやく腕から放して、顔を見つめてくる。
――闇夜に慣れた目では、彼がじっとリディアを見ていた。両頬に手が触れる。
「痛かったな。――遅くなって悪かった」
顔が近づいてくる。嘘だ、と思うのに動けない。
「お前の価値観に背かないように、お前が罪悪感を持たないように進めるから」
リディアは目を閉じた。ギュッと。
見ていることができなくて、これは夢だと思った。
「もう少し待たせる。今度は間に合わせるから――」
わずかに間が空く。目を閉じたリディアが迷うほどに。
でも彼はそこにいて、気配はまだ残っている。
何を言われたのか、何の意味なのか。
「――待ってろ」
彼が頬を支えていて、これからの行為も、言葉も疑うほどに長く感じられて。
目を開けようとした瞬間に、唇が、触れた。
額に、ほんの一瞬だった。
*neverending dreams
(果てのない夢)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます