251.シルビスにて

「ジェフ・アーガス。身分確認が取れました。入館を許可します」


 キーファは差し出された利用案内をおとなしく見入るふりをして、そっとカウンターの奥を伺った。


「資料の閲覧は本日まで。資料の貸し出しはできません、またコピーなど複写も禁止しております。個人端末PPなどの個人媒体も含めて持ち込みはできませんので、荷物はすべて手前のロッカーにお預けください」


 ここはシルビスの首都、セルヴィアの国立大学内の図書館。

 連盟の大学生ならば事前申請で利用はできるが、在籍していないので資料の館外への持ち出しは不可――つまり貸し出しはしていないという説明をされる。

 それは概ねどこの大学も同じだろう。

 

 キーファは、偽名で作られたPP身分証明書を仕舞い、礼を言ってカウンターから離れる。


 この大学図書館の魔法学の蔵書は驚くほど少ない。

 が、魔法はグレイスランドが本拠地なのだから仕方がないだろう。ましてやシルビスは魔法師が少ないとも聞いている。

 そこに引っ掛かりを覚えながらも、キーファは案内図で歴史と宗教の項目を探す。


 そして、あらためてカウンター奥に目を走らせる。


 司書は全員男性、奥で働いているらしい職員も男性だ。

 ここは国立大学だというのに、男子学生しか在籍を許可されていない。先ほど行った国立図書館も申請があれば、外国籍であるキーファも入館可能だったが、やはり男性しか入れないと聞いて驚いた。


 女性に対して、驚くほど教育の機会が閉ざされている。


(――それほど男女差別が激しいのに、国際的には知られていない)


 当の本人たちが、異常と思っていないから、知られない。問題視されていないのだ。


 キーファはお目当ての資料を見つけて、数冊手に取り空いていた席に座って閲覧し始めた。


***


 図書館を出て、キーファは大通り沿いにあるパン屋でパンを買った。

 対面式のショウウィンドウの中にあるパンをカウンターで注文するグレイスランドと同じスタイルの販売方法の店がほとんどだ。


 だが、接客を行うのは男性だ。女性も働いていないわけではないが、奥の作業場にいることが多い。


 昼食をずれた時間のためか、客は他にはいない。ハムとチーズを挟んだバゲット1本を注文すると、紙にくるくると巻きながら中年の店主に話しかけられる。


「旅行者かい? 随分シルビス語が上手だな」

「学生です、歴史の勉強のために来ました。友人にシルビス人がいるので、それで会話をしたくて、習得しました」


 当たり障りのない会話だ。だが、わずかに店主の顔が曇る。というより険しさを持つ。


「その友人は女か?」

「いいえ。男性ですよ」


 迷うことなくあっさりと答えると、彼の表情は途端に元も戻り、愛層がよくなる。


「そうか。うちシルビスのことを学ぶのはいいことだな。なにしろうちは、連盟中、歴史が最も古く長い。うちほど由緒正しい血筋の王家なのも珍しいだろ」

「そのようですね」


もう少し聞き出せそうな気もしたが、こちらのことを知られないようにするには、出す情報は最小限の方がいい。

 キーファはパンを受け取り、店を出た。


 途中見かけた露店で、片手サイズの籠に盛られたラズベリー一籠と、リンゴ一個を買う。キーファは財布に小銭を戻しながら、わずかに考える。  


 一ソルは、グレイスランドの九十エン。

 シルビスでは、もう一つリュナ硬貨があり、十リュナで、一ソルになる。それらは銀と金の中間色のような色をしているが、黒い硬貨がたまに釣り銭でかえってくるのだ。


「――すみません、これはなんですか?」


 露店の店主は、言いがかりをつけられたのかと面倒そうに振り返る。


「この硬貨は?」

「ああ? それは、オンブルだよ。三ソルアンタが出したから、一オンブル。いいな」

 ラズベリーとリンゴで二・四ソル。それで一オンブル硬貨が釣りとなって返ってきたのだ。

 シルビスのガイドブックには、ソル硬貨とリュナ硬貨しか紹介されていない。なのにこの黒い硬貨は、時々釣り銭として混ざってくるのだ。

 オンブルという黒い硬貨。こうして町中では日常的に使われているのに、公式なガイドブックでは説明がないのはなぜなのか。


 考えれば考えるほど、わからない事が多いが、この国の中では当たり前なのだ。

キーファは表面上、気にした様子も見せずに硬貨を財布に戻し、昼食を摂るのによさそうな公園を見つけ、そのベンチへと向かった。


 パンと果物を食べ、見るべきものを見たあと、キーファは外に面したカフェに座っていた。

 一杯のエスプレッソで、二・三ソル。カウンターだと二ソル。テーブル席のほうが高いのは、グレイスランドでも同じだ。


 日差しはやや眩しいが風は程よく冷ややかで、ちょうどよい気候に感じる。

 大通りだが、平日の午後二時のためか、さほど混んではいない。向かいのブティックを超えた遠方には、シエーンソンフロンティエール。

 グレイスランドではソンフロンティエ連峰と呼ばれる山々が綺麗に見えていた。あの山を超えた先が、グレイスランドになる。


 良い天気に清々しい空気、キーファは穏やかな時間を過ごすくつろいだ様子で、地図を広げ、学生のツーリズムを装っていた。

 二人席の前方を開ける形で、通りを眺めつつエスプレッソを一口飲み、また連峰に目を向けた時に、隣の席に人が座った気配がした。


 男女のカップル。キーファの隣側の席に座った女性がメニューを見ずに、向かってきた給仕にカフェを二つ頼む。

 向かいの男性の方が、当然のように二人分のカフェ代としてポケットから出した五ソルを置く。


 ほどなく給仕が置いたのは、キーファと同じエスプレッソ。横には薄いジンジャークッキーが添えられている。

 給仕が去ったのを見て、男性のほうがキーファに声をかける。


「観光ですか?」


 穏やかで害のなさそうな笑顔。

 茶色の髪に茶色の瞳。丁寧な言葉遣いだが、訛りがあってシルビス語には慣れないキーファには少し聞き取りづらかった。

 それに気が付いたのか、彼は丁寧に共通語で言い直してくる。彼の話す共通語はあまり上手ではないが、自分の母国語だ。キーファは正しく聞き取り、そして返事をする。


 内心の驚きを隠して、だ。


「はい。休暇を利用してシルビスの歴史を学びに来ました」

「――どこに行ったの?」


 彼よりもはつらつとした様子で話しかけてくるのは、女性の方。ただし共通語だ。

 どうやらシルビス人の彼と他国の彼女のカップルのようだ。


 彼の方は首都ではなく、南方の出身だろうか、舌を巻くシルビス訛りがある。

 

 ――二人のカップルの観光客。

 珍しくはない、と思う。


 シルビス人の女性は外ではあまり見かけず、ここまで仲がよさそうに対等な立場のカップルとして振る舞えるのは、片方が外国人だからだろう。


「大学と図書館と、それから王宮です」

「私達も王宮に行ったわ。でも内部公開は予約制なんですってね」

「僕も、予約してツアーに参加しました」

「そう、よかった!?」


 彼のほうは「明日申し込もうか」と彼女に提案している。


 男性が女性に同等な関係を許しているのはグレイスランドでは当たり前だが、シルビスでは珍しいように見える。

 おそらく彼の方は国境に近い出身で、価値観の許容範囲が広いのだろう、と思わされた。


「連盟の中でも歴史が長い国ですし、戦乱もないので王宮内部の装飾家具も保存状態がとてもいいですね。ツアーなので一部しか見られないので、少し残念ですが。教会も歴史的建造物として有名なので、そちらも見たいと思っています」


 キーファも共通語に直して彼女と話す。

 カップルにおいて女性のほうが会話に積極的なのは、どの国も――連盟国共通のようだ。

 このシルビスを除いて、とキーファは心の中で付け加える。


「教会は行ったわ。グレイスランド国教では、ええと『光の主はグレイスランドを祝福した』とされているけど、この国では違うのね」


 納得いかない、という顔で赤毛の彼女は言う。


「俺……僕も驚きました。光の主――この国では”太陽の主”は、この地に降り立ったとされていますね。この首都、セルヴィアが聖地だとは知りませんでした」

「そうなの、私も!」

「――太陽の主は、この地に降臨した。それは間違いないよ」


 純朴でおとなしそうな彼のほうが、珍しく断言する。

 それに対して、彼女は肩をすくめる。


「さっきもそうなの。このことになると、彼はこだわるのよ」

「グレイスランドでは正しく伝わってないみたいだからね」


 彼女が悪態をつき、彼の方は穏やかだが譲らない様子で静かに諭す。だが、決着がついたのか、彼のほうがアイスクリームを奢るということで、仲直りをしたようだ。


「ああ、教会の案内図。共通語のものはないから、観光局で貰った説明文をあげるよ」

 席を立つキーファに、彼のほうが人の良さそうな笑顔でパンフレットを渡してくる。


 礼を言って「良い一日を」とお互いに共通語で、そしてシルビス語でも言い合いキーファは別れた。


 キーファはしばらく通りを歩き、教会を前に先程貰ったパンフレットに目を向ける。

 挟まれていたのは、夕方のグレイスランド方面行き列車の紙チケット。車両番号と席番号が手書きされている。

 直通ではない、乗り継ぎだ。


(――念がいっている)


 最近では個人端末PPによる電子チケットが主流だ。

 だが、それだとどこかのサーバーに情報が残ってしまう。そして、手書きというのは何らかの方法で直前にこのチケットを手に入れたのだろう。


 そして飛行機でも、転移陣でもない。列車での地道な移動。


 帰国の頃合いは打ち合わせてあったが、方法は直前指示だ。

 指示をしてきたのは先程の人の良さそうな青年――南訛りのシルビス語を話すディック。彼の姿にキーファは今も驚いていた。


 身分証の偽装や変装も予想範囲内。

 だが、言葉の訛りや雰囲気、人種の違いまでも使い分ける。


 あの連れの女性は――一般人だ。さすがの自分でも、動揺した。あの仲の良さ、ディックは帰国時にどうやって――別れるのだろうか。


 リディアを救出した後、シルビスを調べたいと言ったキーファに、あっさりとディックは許可を出した。「だろうな」と。


 身分証の偽装と変装、入国と出国は師団の協力を得た。内部では自分で動いていいと。

 フォローしてやるから、お前なりの調べ方で気になることを見つけてこいと。


 列車内での接触はなかった。降りた時に、コートのポケット内にいつの間にか次の列車のチケットがはいっていた。

 見て、ポケットに戻し次の列車に乗る。コート内の紙片はいつの間にかなくなっていた。かなり意識していたはずなのに、全く気づかなかった。


 グレイスランド外では魔法を使わない。とても古典的な情報収集と潜伏方法だ。なのに、隙がない。


 飛行機や特急だと内部で拘束された場合、逃げようがない。

“必ず逃げ場があるルートを使え。急事の際は、その場からすぐ離れろ”事前に言われたのはそれだけだった。


 おそらく、その後はなんとかしてやる、そういう意味が込められていた。


 ――グレイスランドの中央駅についたのは深夜だった。

 

 どうやら緊張していたらしい。

 馴染みの空気や雰囲気に思わず気が緩んだ瞬間だった。


 肩に手を置かれる。


 思わず肩をこわばらせたキーファに、囁く声。


「気ィ抜くな。帰るぞ」


 いつもの姿の、ディックだった。

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