212.ほら巻き込まれた

 あれから、フィービーが出勤してきて、彼女が教育から外されている理由や詳細はサイーダからは聞けなかった。

 情報通なのに、自分のことは明かさないフィービーには、訊きにくい雰囲気がある。


(どういう意味だろう)


 リディアは、考えるのをやめて授業のスライドを閉じて、教科書を開けるように促す。


「センセ」と呼ぶチャスの声に、リディアが教科書から顔をあげると、みなが指を指すのは横のドア。その細い覗き窓から、おじさんが覗いている。


(誰!? 不審者!?)


「ホワイトさんですよ?」

「え、あ、そうなの?」

 

 キーファに教えてもらって、胸を撫で下ろす。

 ドアに顔をつけて覗き込んでいるから不審者かと思った。さすが内部生、助かった。


 というか、あのホワイトさんね。

 いつも全てのメッセージを全学部に一斉転送してくれる人。

 工学部とかの関係ないメッセージも転送してくるし、開けばURLのみの記載。


 これクリックしたらいけないんじゃないの、と迷うが開かなければ要件がわからないという罠のようなメッセージを送ってくる彼のおかげで、リディアの受信箱はいつもいっぱいだ。

 噂によると、それ以外は常にMPを開いてソリティアをしているらしい。サイーダは“ソリティアおじさん”と呼んでいた。


 そうかこんな人かーと思いながら、ドアを半開きにすると「授業中ですか」と。


「……そうですけど」


 見ればわかるよね、それを知っていて来たんだよね?


「じゃあ、ええと、はい、いいです」

「え!?」


 そう言ってそそくさと行ってしまう。

 一体何?

 まあいいや、授業に戻ろう。



 

 ――十分後、授業を終えたリディアは教室を出て、研究室に戻り、内線電話をかける。


「助教のハーネストですけれど、庶務のホワイトさんが私に御用があったらしく――、ああ戻られていない。では、戻られたら電話をくださいとお伝えください」


 ――とはいえ、気になる。


「センセー」


 ノックの音にリディアは顔を上げる。十一時五十分だ。

「はーい」


 返事をしてもそれ以上の反応はない。リディアが顔を外に出すと、チャスがいた。


「あ、お昼ね、待って」


 教員の部屋の訪ね方もそれぞれの個性が出る。チャスは他の教員を気にしているのか、ノックはしてもなかなか入ってこようとはしない。


「これ、冷製パスタ。冷たいままで食べてね」


 約束のお弁当だ。今日は暑いからリディアの研究室の冷蔵庫で保存しておいた。

 リディアが渡したのは二つの容器。

 一つは、冷やしたラタトゥユ、一つは茹でたパスタを冷やしたもの。

 ラタトゥユは、オリーブオイルでナスやズッキーニ、玉ねぎ、ピーマンなどの夏野菜を炒めてトマトの水煮缶で煮る。オレガノやローズマリーなどのハーブを入れるけれど味付けは塩のみ。それを冷蔵庫で保存しておいて、そのまま食べてもいいし、トーストしたパンに冷たいままのせてもいい。疲れているときは、ラタトゥユを作るときにビネガーを加えると酸味の効いた味になる。茹でたパスタを別容器に詰めて、食べる時にあえれば冷製パスタになる。


 今回は物足りなさをカバーするために冷えたラタトゥユに缶詰のツナも混ぜた。ちなみにパスタはゆでた後にオリーブオイルをかけておけば、冷めてもくっつかない。


「食堂行くの?」

「ん。たぶん」


 今までチャスはみんなと食堂に行かなかったらしいが、ここ最近は弁当をもって彼らと食べているらしい。どう説明しているかは知らないけれど、それぐらいは自分で何とかしてもらおう。


「容器は私の部屋に返しにきてね」


 彼は意外にも容器を洗って返してくれる。人を茶化すところがあるけれど、空気も読み、人もよく見ているし、MPを使いこなす能力も高いし、社会適応性も高そうだ。

 魔法の特殊性を考えるとそれを生かしてくれるところに就職を勧めたいけれど、それがなくてもやっていけそうだ。


「うーんと。……ありがと」


 チャスを見送り、リディアは時計を見上げて庶務に向かう。お昼休みに入る前に捕まえられるだろうか。

 リディアはホワイトさんがMPの前でソリティアをやっているのに驚いた。十一時五十五分、ですけど。 もうお昼休みなの?


「あれ?」

「はあ」

「え、私折り返し電話が欲しいとお伝えしたはずですけど」

「はあ」


 え、休憩だから? 反応鈍いけど大丈夫? というか回りがみんな仕事しているのに、なんでソリティア堂々としているの?


「あの、先生。その――」そう言って隣の女性が立ち上がる。

 彼を助けるというより、もう口出しせずにはいられないというように、話し出す。


「旧校舎棟の取り壊しが始まったのですが、そこで業者が不審なものを見つけたというのです。魔法のたぐいのものじゃないかっていうので、触らず保存しているのですが、確認していただけますか?」

「――どうして、私が?」


 いいですよ、とは軽々しくいえない、リディアは末端の人間だ。たくさんの魔法師がいる中でなぜ自分?


「学科長が黒魔術、とかじゃないかって。ハーネスト先生、専門だからお聞きしてみたらどうかと」

「黒魔術は、全然知りません」

「「……」」


 何でみんな黙るの!? どうして私の専門が黒魔術になっているの?


「研究の対象は呪詛ですけど」

「ああ、よかった。たぶん、それです、それ!! お願いします」


 たぶん、ね。思いきり押し付けられた感がある。魔法師と魔術師、ちがうんですけど!呪詛も黒魔術とは近いけど違う。


「学科長指示ですね」

「はい、いえ、指示というか……みていただいたらどうかと」

「では、学科長と学部長に私が見に行くことをお伝えしておいてください。ですが私の専門ではないかもしれないので、対処まではできかねません。――それから、ホワイトさん案内してください」


 勝手にやったことにされては困るし、責任の所在を明らかにしておきたい。何もできなくても、任せたので、と逃げられたら困る。


 お昼休みの振鈴がなり、そそくさとみんなご飯を食べに外に出て行ってしまう。ちょっと待ってと、出て行こうとしたホワイトさんを、すかさずリディアは指差した。



***



「ここですか」


 旧校舎棟の出入口には、黄色と黒の立ち入り禁止テープが貼られている。ホワイトさんは、無言だ。リディアは後悔した。同行者の指名は、さっきの女性にすればよかった。


「その不審なものは、どこにあるんですか? ホワイトさん?」

「それはたぶん、この中だと……」


 もごもごもご。


「この中? たぶん?」

「業者が持っていかないと思うので」


 もごもごもご。

 彼の感想、いや意見だろうか? あてにならねー!!

 廊下には五メートル以上の大きな穴がある。取り壊しでこうなったのか、いいや、こうなったから取り壊すのか?


「これ、生徒が落ちたら危ないですよ」

「テープで立ち入り禁止にしています」

「入ってしまう学生がいないとは限らないでしょう? 学部長に話して立ち入り禁止の魔法か何かをかけたほうがいいと思います」

「……」


 うーん。何で黙るのかな。

 生徒のほうが、よほど会話ができるんだけど……。


「この中ですか?」

「さあ」


 さあって言われましてもね。


「この穴、どうしてできたんですか?」

「どうしてでしょう……」


 だめだ。全然だめ。


「申し訳ありません、ホワイトさん。戻っていただいて、先程の女性と変わって下さい。その際に不審なものはどこに保存してあるのか、穴の出来た理由は何か、その女性から伝えるようにしてもらって下さい」


 くるり、と回れ右をするホワイトさん。


「――先ほど、ハーネスト先生を誰かが訪ねに来ました」

「誰ですか?」


 穴のふちを覗いてみるけれど、分からない。魔法を使っても大丈夫かな?


「……さあ」


 だめだ。さすが本キャンパスからの大量メールを振り分けずにまるっと転送してくる人だ、役にたたない!!


 リディアは無表情になり、振り返り答える。


「ではその方にお会いしたら、お待ちいただくか、また後日とお伝えしてください」


 ――彼が出て行って、リディアは息をついた。


 まだ昼間だというのに外が曇ってきて薄暗くなった空間に、光球を呼び照らす。


「黒魔術系だと早めに対処したほうがいいけど。一人で何も分からず対処するのも危険だし、まずは魔法でこの建物を封じてもらったほうがいいかも」


 何しろ下っ端、自分が対処しなきゃいけない理由はないよね。

 ここに何かあるのかどうかもわからない。


 十分に距離を取り落ちないように気をつけて覗き込む。穴の中は、深い。光で照らしてみても、よく見えない。


(虫がいたらいやだし)

 

 リディアはふるりと首をふり、離れる。


 けれど――何かの、人の気配を感じた。それから小さな音。

 リディアは鋭く声をかけて振り返る。


「誰!?」

「リディア!?」


 ウィルとバーナビーが駆けてくる。


「何やってるの!? 危ないじゃない」


 なんでここに、そう思いながら制止しようとした。


「リディア、気をつけて、落ちる!」

「え」


 バーナビーが叫んで、リディアの手を掴み引き寄せながら抱きしめる。

 途端に、足元が突然崩れて、重力に引っぱられて、リディアは落下した。

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