199.守り方


 リディアは、チャスにダウンロードしてもらったあの日の負傷者のリストを確認していた。


(……集中できない)


 チャスとの会話が甦る。


『男に生まれてごめん』というチャスと、『女だから仕方がない』と思ってきたリディア、背景も事情も違う。


 でも、自分たちは受け入れるしかなかった。


 ――リディアは親から愛情を感じたことはない、でも憎しみも感じなかった。ただ、そこにいるもの、それだけだった。


 娘は家の都合で扱われるもの、リディアもそう思っていた。

 

 ――誰も悪くない。だから離れた方がいい。

 チャスが、そう割り切るまで、彼にはどのくらい葛藤があったのだろうか。

 

 リディアは――割り切れていない。断ち切れていない。

 離れる道を選んだチャス。


 でも自分はいずれ――


 その瞬間、個人端末が激しく振動する。肩を揺らしたリディアはそれがディックからの着信と気づくのに時間がかかった。


「――土下座行脚とかやめろよ」


 何で、みんな見抜くの?

 というか、ほんと自分の行動は見抜かれているし、その上で泳がされている。


「リディアが見たいなら見せてやれって団長から言われたからな。けど、一人で行くなよ」

「……子どもじゃないんだから、謝罪に大人の同伴はいらないの」

「お前の代わりに相手の額を地面につかせてやる」

「それじゃ、余計に話がこじれるから」


 ディックは、あのな、と諭す。


「土下座されて喜ぶ性癖の男と一緒にさせらんねーだろ」

「今回限りの希望かもしれない」

「そんなのは、ろくなやつじゃねーよ。少なくとも俺や団長は、そんなの絶対されたくないね、それとも俺がそういう男に見えるのか?」

「――ごめん。ディックは違うの知ってる」


 会話に現実感が伴わない。たくさんの思いがこみ上げてくる。シルビスに帰ったミユ、チャスの告白、そして独り立ちができない自分。


「お前がそうしているのも見たくねーよ。……あのな」


 ディックは息をついて仕方ねえって言って、おもむろに口を開く。


「――団長が、全部カタつけてたよ」


 リディアは、端末を握りしめた。端末にかぶさる自分の吐息が震える。

 頭を、殴られたように衝撃が走る。


「自分の責任だって、当時関係した全員のとこ回ったよ。あのディアン・マクウェルがだぜ、頭下げたんだ。むしろビビりまくる奴らのほうが多かったよ」


 頭が、真っ白になる。かろうじて出た言葉は、自分じゃないみたいだ。


「……先輩が。それって、私のせい?」

「リディのせいじゃねーよ。ただ……そうかもしんねー」


 ――守られている。いつも。


 胸にこみ上げてくる熱情に、リディアは目をぎゅっと閉じた。


 こんなことで動じるディアンではない。彼の経歴に傷もつかない、彼も気にしない。――知ってる。

 でも、彼に責任を負わせた。それがどうしようもなく――胸が痛い。


 彼に認められたいのとも違う。敵うとも思っていない。


 リディアは、膝を抱えた。少し涙腺が緩む。一回息をはいて、目に力を込める。

 

(泣くな。こんなことで、泣くな)


「リディを逆恨みする奴を防ぐっつーよりも。かなり――堪えたんだよ。リディが全員の呪いを引っ被って一人だけ死にそうになって、かと思えばイキナリ失踪だろ。しかも全て責任取って辞めちまって」


 そこでディックは笑いを漏らす。


「ディック?」

「いや、団長を出し抜いたんだぜ。笑えねーのにちょい当時笑えた。あん時のボスの顔、見せたかったぜ。唖然としてたよ、あの人が。前日まで意識不明だったのに、イキナリ目覚ましていなくなりました、って。なんだよそれ」

「怒ってた、よね」

「そりゃあな。二年雲隠れして正解だった」

「……先輩に、全部引っかぶせた、私」


 声が震える。声に、目に力を入れるのに、抑えきれない何かがある。

 独り立ちできない。どうして……自分は。


「リディは、全部責任とった。団長は現場のつけを回収した。二人でそれぞれがやりたいことやったんだ、いいじゃん?」


 ディックの声は優しい。


「私のこと……泣かそうと、している?」


 たくさんのことがあった。


 感情が入り混じる、整理できない。何が悲しいのか。何が悔しいのか。


「こういう時、飲まなきゃやってらんないだろ」


 電話の向こうでフッと息を吐く音。そして部屋のドアを叩く音。


「――リディ」


 ディックの声だ。

 リディアは鼻をかんで、目をこすって、それから睨みつけるように目に力を入れてドアを開ける。


「私は飲まないよ!」

「胸は貸してやる。泣くのも堪えるのも好きにしろよ。でも俺が呑むのに付き合えよ」


 ディックに入口でノンアルコールの炭酸水のボトルを振られて、リディアは笑った。もう一度、瞼を強くこする。


 ついでに、リディアの額にはいちごオレのブリックパックを押し付けられる。


「――ありがとう」


 鼻声なのはとっくに気づかれている。彼を部屋に入れるために背中を向けて、先導する。不意に頭を抱きしめられて、背中が引き寄せられた。


「兄貴役。……あと、どれくらいさせてもらえんだろな」

「ごめん。すぐ卒業する」

「じゃなくて――」


 ディックは言いかけて黙る。そして小さく呟いた。


「まだ、卒業すんなよ。――誰かが出てくるまで」

「……なに?」


 ディックは黙った。そしてそれ以上は何も言わなかった。 

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