198.親と子
チャスがリディアに向けるものは、好奇の眼差しではなかった。
「うん。状態確認して……当時のお詫びかな。まずは訪ねてみる」
「土下座とかすんの?」
「――」
チャスは、はーぅと息を吐いた。仕方ないなーと。
「あのさ、女に土下座させて嬉しい男なんていないの」
「……」
「あのさ、頼られて嬉しい男のほうが多いの! 『申し訳ありません』って悲壮な感じじゃなくてさ、美人が腕絡めてきて『久しぶりー。無事で良かったー』ってニッコリしたら男はチャラにしちゃうの!」
「……それ」
男代表として言っちゃう?
でも、とチャスはリディアをまじまじと見る。
「センセに無理っぽそ」
「うん」
「まあ、する方がそれで気が晴れるならいいけど。……相手がそれされて、ウレシーのかはわかんなくても」
「チャス?」
「――俺さ、片親なんだ。つか、父親が出てったんだけど」
不意の話題転換。しかも重い話題だ。
けれどリディアは、なんでもない顔でチャスを見返す。
――チャスの本意が見えない。でも、これから何かを話そうとしている。その言葉だけに集中する。
「で。母親に好かれてない、てか嫌われてる」
チャスが椅子の背を掴んで、その背を前にしてまたがるように椅子に座る。リディアと向き合い、くつろいでいるようなのに、まるで一つバリケードをつくっているかのよう。
「だから離れたんだ」
椅子の背にかけるチャスの手がわずかに震えている。リディアはそれを視界の端に止めて、チャスの目をまっすぐに見た。
「あの人だって苦労してるのは知ってる。
リディアは口をわずかに開いたまま、彼の言葉に耳を傾ける。
「好いてない相手――自分が追い出した奴から金貰うのってどう思うのかな。これって嫌がらせ?」
そんなことない。そう伝えていいのかわからない。チャスの母親の気持ちは、リディアにはわからない。
チャスはリディアを試すようにじっと見つめて黙る。だからリディアもチャスを見返す。
もっと話してもいい、聞きたい、という思いが伝わったかはわからない。ただ、チャスはわずかに唇を震わせたあと、口を開いた。
「『息子なんていらなかった』、『どうしても男のアンタが可愛く思えない』って言われたんだよ、それ聞いたらどうしようもないよな。そして――妹は溺愛されてた」
向かい合い座るリディアの、そろえた膝先が震えそうになる。
「『息子でごめん』って母親に言ったよ。小さい頃は何度も『男に生まれてごめん』ってさ」
「チャス。……抱きしめてもいい?」
リディアは立ち上がり、彼との距離を詰める。震える声で尋ねる。
どう答えたらいいのかわからない。でも、触れずにはいられない。
「ん? いーよ」
彼が両手を伸ばす。その間に入り、リディアは立ったまま彼の頭を抱きしめる。椅子の背、一枚を挟んだ二人の距離。二人の関係はそんな感じだ。
「まだ父親が出ていく前。妹と両親がまだそろっていた頃。俺だけ施設に入れられていたんだ」
彼の声は抑揚がなく淡々としている。
「わけわかんなかったよ。家族全員いるし、みんな仲いいし、でも俺だけ外なんだ。その中に入れてもらえねーの。なんで俺だけって」
「これまで……誰かに相談した?」
「施設の職員にはね。『妖精族は、情が薄いから』ってさ苦し紛れに答えてたよ、俺の母親は人間なのにな。――妖精なのは、父親の方」
でも、そうなのかもな、とチャスは呟く。父親は家、出てっちゃったし。
「別にあの人、オンナが好きってわけじゃなくて。ただ、息子が受けつけなかった。それって仕方ねーじゃん。俺のせいでもないし、あの人のせいでもない、誰のせいでもない」
チャスの声がわずかに揺れた。
「そういう時はさ、離れるしかない」
彼は泣いていない、声はカラリとしていた。けれど、あまりにもあっけらかんとしている。
「――やっぱ妖精は情が薄いのかもな。俺も、あんま執着しないし」
抱きしめているのに、彼の顔はリディアの胸から離れている。浮いた空間。遠慮がちの距離。リディアは思い切って抱きしめる。彼の肩がこわばって、それから力が抜ける。
「でも――いつか、もっと金稼いで送ってやるって思うんだ。そしたらどんな反応するのかって思うのって、ちょっとアレだろ。離れたのに存在示したい、みたいな。迷惑だろ、でも俺を見ろよって……」
チャスが言葉を切る。
「何かするのに相手がどう思ってるかなんてわかんないじゃん。だからさ、俺はしたいからそうする。センセもしたいならすればいい。それで気が晴れるかは、してみないと分かんねーケド」
――チャスの言っていることは矛盾している。執着心が薄いといいながら、執着している。でも、彼もそれは気づいているのだろう。気づいたうえで、彼はそう言っているのだ。
「そう」
(……傷つく)
そうすることで、たぶん彼はもっと傷つく。たぶん、よい反応は得られない、リディアはそう思ってしまう。
「ん、わかってる」
チャスはリディアが言わなくても、濁した言葉の続きを感じたようだ。
「センセ、人に触れんの慣れてネー。時々すんごく大胆なのに」
「大胆?」
「まあいいや、気づいてナイなら」
「ごめんね、下手で」
ぎこちなく彼の肩を軽く抱きしめる。チャスは、わざとらしく息を吐いた。少しだけ、重荷を下ろしたような声。
「んじゃさ。そん時は、慰めてよ」
「慰める?」
「一生面倒見てくれるんでしょ? そん時来るからさ」
「ええ。――それまでに、抱きしめるの慣れておく」
チャスはくぐもった笑い声を漏らす。
「どうやって慣れんの?」
「……そうね」
練習しないと、とリディアが呟くと、チャスはコエーと呟いた。
「今の会話、キーファには内緒な。こええから」
「キーファは怒んないわよ」
それに、今までのやり取りも、全部漏らさないわ、とリディアは約束した。
「……最初はさ、センセにさ、他の奴らばっか構われてズリーって思ってた」
「チャス」
「でもいいよ。アイツラいいやつばっかだし。俺ここでよかったよ」
リディアは彼の薄い肩を撫でる。こうするしかできない。
――小さな女の子が泣いている。
娘だから仕方がない。愛されないのは仕方ない。
この告白はリディアの胸を揺らす。えぐって、その傷口の塞ぎ方がわからなくなる。
「それにさ。俺は女の子好きだよ。可愛いし、柔らかいし。男でよかったって今は思ってる」
チャスは茶化してスキンシップを求めてきたけれど、もしかしたらもっと深い意味があったのかもしれない。試されている、そう感じていた時があったのに。
「俺が言いたいのは、それだけ」
チャスが話は終わり、とばかりに強く言い切る。けれどまだ二人は抱きしめあったままだ。
――チャスは、リディアの事情に気づいているのかもしれない。ふと、そう思う。
彼にしてあげられることは何だろう。彼はリディアの助力は求めていない、でも話したことを後悔させたくはない。
けれど今、言葉一つで解決するのは難しい。
「ねえ、チャス……経済的に、その――苦しくない?」
「苦しいよ」
彼は躊躇を微塵も見せず、あっさり答えた。
「国立だから学費は他より安いし、一応国の奨学金も出てるしさ。けど、生活費は自分持ち出し、生きてるってカネかかるじゃん」
「……そう」
「何? お金、貸してくれんの?」
リディアは彼を離して見つめる。ラムネ瓶に入っているガラス玉のような不思議な色合いの瞳。灰色でもなく、青でもない、虹色に見える時もある色だ。
「――貸さないわ、というより、貸せない。私ができるのはそういうことじゃないし。ただ……」
「ただ?」
「すでに自分でも調べているでしょうけど、いくつかの支援団体も紹介できる。でも、紐付きは正直お勧めしない」
魔法師団も入団しながら学べる支援制度はある。とびぬけて能力が高い場合は、学生時代からスカウトされる。ただし、そこには縛りが発生する。
リディアの場合は、選択の余地がなかった。今でこそあそこで育ててもらえた恩義は感じているが、あれはワレリーとディアンのもとで育ったから。他の団長でも、能力を伸ばして個人としての尊厳も守ってもらえるとは限らない。
「一つ言えるのは、うまい話は――特に支援を申し出てくるような人は、避けた方がいいわ」
チャスはリディアをじっと見つめた後、不意にニッて笑った。
「センセ。世間知らずかと思ったけど、そーでもないんだ」
「失礼ね。一応教師よ」
「センセさ、食堂行かないじゃん。外食もしてねーし。カネないんだなって思ってたし苦労してんだな」
よく見てる。いや、見られている。お返しのようにリディアも尋ねる。
「――チャス。ご飯食べてる?」
彼は、みんなと購買に行かない。バイトに忙しいというのもあるけど、帰りに買い食いもしていない。
「――お弁当、作ろうか?」
「マジ?」
彼の顔がパッと上がる。リディアの顔を真剣に見つめてきて、本気で望んでいるように見える。
「俺カネねーから断んないよ、ありがたいし」
言った後で少し焦る。大丈夫かな、安請け合いして。
「――毎日は無理だけど。一限に私の授業がない日だけよ、私の分と一緒に作るから凝ったものは期待しないで。火曜、水曜、金曜だけ」
「ん、OK。やった」
「あ、でも。彼女とか好きな子いたら――」
まずいよね。
「んー。料理慣れてない子に作られて、うまいって言わなきゃいけないのとか、気ィ使うし。下手に彼女ぶられても面倒だし。センセならそういうの気にしなくていいじゃん?」
え、ええ。リディアはコクコク頷く。
あれ?
「センセの弁当うまそうだし、たまに菓子もバーナビーにあげてたろ。うまかった」
いつ見たの? そしていつ食べたの?
「交渉成立、お返しはナシだけど」
さっと立ち上がり風のようにいなくなった彼。いつもと変わりない飄々としたチャスだ。
慌てて廊下を覗く。
『――チャス。旅行のお土産、お菓子かってきたよ。あとで開けるから教室来てね!』
『ドモ』
すれ違う女の子達から声をかけられているチャス。そういえば彼はよく他の領域の女の子達から、お菓子をもらっていたのを思い出す。
小柄で中性的な容姿で女の子達からは可愛がられているようだ、とサイーダに聞いたのを思い出す。
――あれ?
リディアは腑に落ちないような、自分の感情だけ置いてきぼりを食らったような感覚で首を傾げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます