194.深入りの代償


 リディアは自分のMPで、エルガー教授のこれまでの研究発表を確認していた。


(やっぱり、おかしい)


 境界型魔法領域、それを作ったのは彼女の自身の研究――つまり業績のためだということは、もうリディアにもわかっていた。

 そして生徒を放置なのは、詳しい研究をすることを考えていないから。その領域を作っただけで満足。魔法学という機関誌に、こんな領域を作りましたよ、と中身のないアピールを載せているのをみた。それで業績になるからいいのだろう。


(まあ、下手に興味を持たれるよりはいいか……)


 手探り状態の彼らとの関係に横槍を入れられるよりはいい。魔法師団にもかなり関わらせているし、そこに気づかれて出入りを禁止されても困る。


 とはいえエルガー教授が、キーファやウィルの能力に気づいて、研究対象にしようとしても多分何もできないだろう。二人は自分で判断して対処できるから、問題はなさそう。


(チャス、よね……)


 チャスは、すでにエルガー教授の被験者になっているし、関係を断つのも難しそう。もちろん対象者はいつでも断る権利があるが、チャス自身がそうするとも考えにくい。


 教授は幸い彼の能力だけを研究対象にしているわけじゃない。彼女の業績一覧を見ると、特殊能力のある一人、として学会のポスター発表をしただけのようだ。


(どうしようかな……) 


 チャスとは、ちょっと気まずい。

 チャスを被験者とする魔獣を使っての教授の研究に、リディアが異を唱えたからだ。あの同意書はひどい。説明を受けてないと聞いて、研究所に一緒に行ったけれど、すでに決定事項とばかりの研究員の態度にも腹が立ってリディアは苦情を言った。対象者を大事にしていない、粗雑な扱いだった。

 

 もう一度考えさせますと言ったら、相手の方は明らかにプンスカしていた。チャスは関心なさそうな態度だったけれど、帰り道に訊いてきた。


「--別にさ。研究に協力したからって何か減るもんじゃないし、いいんじゃん?」

 

 謝金も悪くないし、と彼はつけ加えた。確かにチャスの経済状態の苦しさは、リディアに図り知ることはできない。だから彼がいいバイトだと思うのであれば、それを止めるのは心苦しい。

 それに確かに彼の能力は、使って減るようなものじゃない。


 でも――。


「減るわ」

 

 リディアは立ち止まって、チャスを見返した。

 彼は成人しているし、決定権は彼にある。でも、彼は学生で社会経験も少ない。何よりも彼のどこか投げやりな態度が気になる。


「あなたの自尊心が減るのよ」


 チャスのガラス玉のような瞳がリディアを見返す。まるでリディアが見定められているよう。言葉に嘘がないか、ただ格好をつけて言っているだけじゃないのか、と。


「私は、あなたが心配よ」


 余計なお世話って思うかもしれないけれど、とリディアは付け加えた。

 そう。チャスの態度は、女の子が風俗のバイトを選ぶ心境と少しだけ似ている気がする。


「あなた自身が研究に協力したいと思ってるならいい。けれど、『どうせ減るもんじゃない、我慢すれば終わる』、少しでもそう思うところがあるならやめて。そうやって自分を押し殺して、感じなくしていてもね、自尊心がどんどんなくっていくの」


 自分を大事にする心、それがどんどん失われていくのだ。

 伝わるのかはわからない。けれど、少しだけでも心に留めてほしい。


「あなたは私の生徒だし、責任があるから関わっているけど、それだけじゃない。私にとっては大事な存在よ。卒業しても終わりじゃない。卒業しても、関係は続くの。困ったことがあったら、いつでも助けたい」


 リディアは、息を吸って彼の眼差しをしっかり見つめる。


「たぶん、一生面倒みる」


 自分の手におえない時もあるだろうけど。そういう時は、リディアの人脈を使って何とか他の人たちにも協力を頼む。自分ならなんとかできると言いきれないところがリディアの限界で、情けないけど、人との繋がりってそういうものだと思うから。


 チャスは息をするのさえも忘れていたかのように、足どころか身体全体で動きを止めてリディアを見ていたが、ようやく身体をぎこちなく動かして、耳をいじって「えっと」と呟いた。


「なんかスゲーこと言われた気がすんだけど」

「何かっこつけてんだ、って思ったでしょ」


 神妙に「わかりました、先生」と生徒に頷かれても額面通りには受け取らない。「うるせえよバーカ」と心の中で思われている可能性はある。

 でも、リディアの受け持つ生徒たちは違うと思うのだけど。


「天然なんだよな、と思っただけ」

「本気で覚悟してるんだけど」


 一生、相談にのる覚悟はあるよ!


「研究協力受けるかは考えてみる。カネ欲しいし」

「そう」


 彼の懐具合にまでは踏み込むことはできなかった。リディア自身も、薄給だ。貯金は、大学院の学費で使い果たした。お金がないのは、人をヤサグレさせる。

 

 チャスはそれ以上茶化すことなく、帰り道は静かだった。

 


 


リディアは、MPの画面を閉じてため息をつく。


(あれが踏み込む最後の機会だったのかも)

 

 人は踏み込んでいい時とそうじゃない時があるけれど。

 大抵は、自分が踏み込むのが怖いから、何を言ったらいいかわからないから深入りしない、躊躇して言い訳して、相手に踏み込まない。


(でも、チャスがお金のことを言うのは、話してもいいって思っているからかも……)


 絶対に知られたくないならば言わないはず。

 どうすればいいのか。


 踏み込んで、返答できずにがっかりさせたくない。


(がっかりさせたくないのは、自分が評価を落としたくないからだ)


 気まずくなりたくない。それは、結局は自分中心の見方なのだ。


 本当に話したくないことならば、相手は話さないはず。

 な答えを考えている時点で、すでにそれは正解じゃない。


 踏み込んでみて、それから考えてみてもいいのかもしれない。


(これも正解はない)


 相手によって、アプローチの仕方も違うし。

 リディアなりのやり方で、いくしかないのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る