185.幼き頃の誓い
医務室兼仮眠室にリディアを押し込んだディックは、ウィルを自室に押し込んだ後、出て行ってしまう。
結構時間が経っていた。もしかしたら後始末かなんかかもしれない。
リディアが言ったやつの呼称を思い出す、“耳”ってなんだ?
戻ってきたディックは、小型冷蔵庫から二本のビールを取り出し、一つをウィルに渡す。ウィルを嫌がっている割に、面倒見がいい性格のようだ。
ディックはベッドに腰掛けて、ウィルはそのまま床に座り続けた。
「なんかしてきたのか」
「――報告」
「リディアは――どうなるんだよ。その魔法師は処分できるのかよ」
ウィルは少し考える。第ニ師団の問題だ、第一師団は手を出せないだろう。おまけに問題の生徒たちは、騒ぎ立てるかもしれない。
リディアは自分が襲われたことは隠して大学に報告すると言っていた。多分大学は、トラブルはなかったことにするだろう。
けれど件の学生が騒ぎ立てれば、リディアの対応が不適切だったと彼女を責めるかもしれない。教員一人を処分するのが大学は一番楽だ。
「第ニ師団の問題だけじゃねーからな。一箇所でも膿があると、こっちまで被害が及ぶ。うちは、そのままにしない。舐めんなよ。うちの団長は、魔法師団のトップの一人だ。そんで、国内外の問題処理が専門だ。お前んとこの大学のやつらよりも、汚物処理は上手いんだよ、そっちもまとめてやっつけるさ」
「なんで、そこまで……リディアを庇うんだ」
「――俺らはリディアに助けられた。命を救われた、何度返しても返せねえ借りがある」
底光りするディックの目は、アルコールのせいじゃない。感謝の目でもない、ただ悔しさや後悔が、怒りが滲んでいる。
リディアに助けられたはずなのに、ディックは何を恨んでいるのか。
「でも、それだけじゃねえよ、常にアイツに助けられてきた。直接でも間接でも」
「何が、あったんだよ」
「言わねー」
いきなり今までの感情を消して、あっさり鼻であしらう気配だ。
「教えろよ、そこまで言って!」
ディックはビールを煽る。酔ってる今なら聞けそうだ。
(リディアのことなら、なんでも聞きたい。知りたい)
その渇望が飢えのように胸を満たす。
「なあ、リディアは何をしたって? 問題でもあったのか?」
「ちげーよ。――アイツ、庇うんだよ。砂漠地帯でも、極寒でも、いつの間にか全員にシールドかけてんだぜ? 十二の子どもが」
次のビールに手を伸ばすディックは、ウィルに二本目を渡す。
「ガキだから、砂漠で体温調節できなくて脱水起こして。人におぶわれながら、実は全員に水の遮蔽膜張って、魔獣よけの魔法まで重ねて。やめろって言っても全然聞かねー、すっげえ迷惑」
ディックは顔をしかめる。
「でも、そん時は――水タンクが爆撃されて水不足の危機で、生きて戻れねえかもって全員思ってた。そしたら、リディアが意地になって熱で朦朧としながら水の膜張って、俺らは灼熱地獄を乗り越えられた。そんなんばかりだ」
「昔から頑固?」
「ああ。つーか
「――アンタ、本当にリディアに恋愛感情ないのか?」
ディックは肩をすくめる。ライバルになるなら、聞いておかなきゃいけない。
すっげえ手強そうだ。ガキの頃から面倒を見ている男なんて。
「俺、しつこいから何度でも訊くけど」
「ほんとしつけーな」
「俺、卒業したらここ来るんで。そしたらまた訊くけど。教えてもらえるまで何度も」
「はあ!? いいや、来んなよ! 来なくていい!!」
「いーや、入る! なんでそんなに特别なのか教えろ」
詰め寄ると、偉そうだな、とディックは悪態をついて、どけ、とウィルを突き飛ばす。
「俺は故郷に好きな女がいる。リディアはそれを応援してる、以上」
「はあ? ちっともわかんねー」
ディックはムッとしたように、投げられて床に転がったままのウィルの襟を掴み上げる。
「ここに入る前、五歳の時だ。お屋敷のお嬢さんだった、けれど戦争が酷くなって田舎に送られた。後で聞いたら戦争の被害で、かなり家が傾いていたらしい。だから、俺はここで稼いで、金を貯めて、金持ちになって迎えに行く」
「は?」
ウィルはまだ飲み込めない。けれど、はあ?といえば、ディックが睨むから黙る。
「えーとでもさ、どこにいるんだ? それにもう結婚――」
だって家が傾いていたなら、もう売られ――いや、嫁いでいても――おかしくないだろ。
「ていうか、迎えにいく約束してる?」
「してねー。俺は門番の息子だったんだ、そんなことできるか」
それってもうだめだろ。
ウィルの同情の眼差しを受けてか、ディックは顔をそむける。
「リディアは――。十の時その話を聞いたリディアは、『素敵ね』って言ったんだ。『絶対叶えて』って、目キラキラさせて、すっごく話を聞きたがった」
(ああ、ガキだから。そりゃ、そういうのに憧れる子どもだろうよ)
「皆が馬鹿にして、俺をからかった。事あるごとに、ダシにされた。けど、初めて会ったリディアは、目キラキラさせて『素敵』って言った。それだけでいいだろ、俺はこいつを守ってやるって思った、――お嬢さんの代わりに」
(それって……)
ウィルは、面白半分に聞いていたが、最後の言葉に顔を強張らせた。
「最後のは言うなよ、リディアには。妹代わりだって言ってんだから」
(それって、メチャクチャ、
たぶん、ディック自身も気づいていない。
はるかな昔の子どもの頃の憧れ。それをリディアに重ねて、代わりに守る。
お嬢さんの記憶なんてもう曖昧だろう、ましてや死んでるかもしれないし、嫁いでいる可能性も高い。けれど、憧れだからそれでいいのだ。
だって、そばにもういる。
いつの間にか、好きな相手が”お嬢さん”ではなくリディアが”お嬢さん”になってることに、気づいていないのか。
(めちゃくちゃ、強力な恋敵じゃんかよ)
ああでも、リディアはここの団長が好きなのか。
ならば、自分もディックも同等か?
ウィルは空のビールをおいて、横目で彼を見る。
どっちが抜きんでているのか、なんて。
(……比べても仕方ねーだろ)
付き合いの長さは相手のほうが勝っている。
リディアが気を許しているのは自分よりディックやここの団長だ。
ディックは手を出せないんじゃない、出さないんだ。
リディアからの信頼を壊したくない、思いを告げることで傷つけたくないから。
(じゃあ諦めんのか?)
……こんなに好きなのに?
ウィルはため息を漏らした。
「……諦めねーよ」
「あ?」
小さくつぶやいた声を、ディックが聞き咎めるように睨みつけてくる。
「だって。まだ誰もリディアを手に入れてねーじゃん」
諦めたくない、手に入れたい。
それ以上に、ほっとけない、ただ見ているだけなんて嫌だ。
手を出さないとか、ただ見守るとか、そうしたいならそうすればいい。
でも、それじゃ我慢できないから――だから告げたんだ。
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