184.リディアとディック

 合流したディックは、多くは訊かなかった。

 リディアの肩に掛けられていたウィルの上着、その下のむき出しのブラジャー、血だらけの服。汚れた石舞台と、捕まえられた森の子たち。

 

 それらを見たはずのディックは険しい顔をして駆けつけると、リディアを迷わず引き寄せて抱きしめていた。


「ディック」

「……嫌な、思いをしたな」


 うん、って頷いてリディアはそのまま目を閉じて頭を預けていた。

 迷わず身体を預けられる信頼関係があるのだ。


 ウィルには悔しさしかないが、目を離すつもりはなかった。けれど、いつまでもディックはリディアを離そうとしない。ぎゅうって抱きしめて抱擁したままだ。


 長すぎやしないか?

 でもリディアも文句も言わず、されるがまま。


 ディックは当然のような手つきで、頭を撫でている。


(くそー。俺がやりたかった)


 リディアは泣いているわけでもなさそう。いい加減離せよ、と苛立ちに変わる頃、ディックはリディアを離す。


 と思えば、突然彼女に触りだした。

 上から順に頭に触れ、顎を持ち、顔を覗き込み、身体を左右に撫で、指を掴む。


「怪我はねえか? 魔力は、ン、正常だな。身体は、何もされて――ねえか?」

「……うん」


 ここへきて、ウィルはリディアの調子がおかしいことに気がつく。おとなしい、なんだかぼんやりしている。


「捕らえられた森の子の鍵……」

「ああ、預かる。ヘイについては、俺が話を回しとく。リディアは大学側から苦情いうか?」


 リディアは少し考えて、首を振る。やっぱり、いつもより動作が鈍いみたいだ。


「あの実習内容については、大学側からの苦情はないと思う。何か言って実習を断られたら困るから、黙っていると思う。ただ私が中止にして、生徒を帰らせたことは報告しておく。森の子については……」

「うちの団長から、第ニ師団に話してもらったほうがいいだろうな」


 うん、とリディアは頷いていた。やっぱり元気がない。というか、ウィルは口を挟む気もなかったが、リディアをもどかしい思いで見つめていた。


 彼女は何も言わないけれど、犯罪だろ。


「大学にはどう報告する? うち第一師団から言うか?」


 ディックも同じことを思ったようで、服を指す。


「これをしたのは生徒じゃないから。ただ、生徒が私にしたことは――今は言わない。私に怪我はなかったし。他の女の子が被害にあうのならば、今後は防止策を考えるけど」


 ウィルは息を呑んでいた。

 自分に怪我はなかったとか、他の子が被害にあうのならば、とか。


(そんなの!!)


 破れたストッキングに、赤くなった手足。無数の擦り傷。

 どれだけ乱暴されて、傷ついたのか。なのに全く自分のこととして話していない。

 だが、何かをいいかけたウィルに横目でディックが制止する。


「――わかっているだろうから、前もって言っとく。うちの団長には、――言うぞ」


 リディアは、顔を少し歪ませて、「うん」とうなだれた。


「わかってる。ディックは――“耳”だもん」






 

 車中でも、後部座席のリディアはおとなしかった。

 ディックが、後部座席のドアに覗き込みながらリディアに声をかける。


「リディ。うち魔法師団に寄るぞ」

「――行かなくていいよ。一度家に帰って着替えて大学に戻るから」


「いーや。だめだね。とにかく、来い」


 リディアは、それ以上反論しなかった。ディックがリディアの額に手をあて、反射的にリディアが目を閉じる。


 ウィルは助手席からそれをながめ、何をしてるんだとドキドキした。リディアへの心配以上に、この二人の親密さに心臓がうるさくなる。


「少し寝ろ」


 驚いたことに、リディアは反論せずそのまま目を閉じた。







「なあ、リディア変じゃなかった」


 バックミラーでリディアが完全に眠っている様子を見て、ウィルは口を開いた。


「ああ、まあな」


 こっちを見ずに運転に専念しているディックに、ウィルは不満を覚える。


「アンタ、リディアのこと好きなの? あ、これ、恋愛感情ってことだけど」

「ねえよ。――別に付け加えなくてもわかるつーの。リディアは大事だけどな」


 にしては、親密すぎやしないか。

 ウィルの不審げな眼差しにディックは苛立ったように舌打ちした。


「ガキンころから面倒見てて、共に死線なんどもくぐってんだ、親密にもなるだろ」

「にしても、特别みたいだけど」

「特别だ」


 即答だった。


「お前、このへんで下ろしていいか?」


 王都の入口でディックに言われて、ウィルは嫌だと返した。


「リディア連れてくんだろ、俺も行く」

「お前の場所はねえ」

「アンタは――」


 信用できない、なんて言えない。リディアは明らかに自分よりもディックの方を信頼していた。


「何も聞いてない。リディアの様子がおかしいのも、アンタの恋心も、リディアの過去も」

「お前に話すことなんかねえ」

「じゃあ何で、リディアの様子が変なんだよ」


 ウィルがしつこく聞くと、ディックは忌々しそうに鼻にシワを寄せて、車を第一師団の基地の方に向けた。



***



 車を運転しながら、ディックがポツリと口を開いた。


「バーンアウトだよ」

「なにそれ?」

「燃え尽き症候群の一種。極度の緊張、それを乗り越えた後の緊張緩和。安堵した際に、見られる虚脱症状」

「いわゆる緊張の糸が切れたってこと」

「そ」

「にしては。随分ぼんやりしていたけど」


 あれ、大丈夫なのか。あんなリディアは初めて見た、無防備で、頼りなげで、危なっかしい。


「昔はな、たまになってた、つっても任務中はないな。大抵部屋に戻ってきてぶっ倒れてて、そんで気がついた。別にほっといてもいいけど、なるべくどこかで気を休まらせてやるようにしてる。今回は早かったな」


 ウィルは黙る。それってかなり問題じゃないのか? 無防備すぎるだろ。


「それって病気?」

「ストレス症状。――アイツは、泣かねーだろ、うちは泣けるような環境じゃなかったし、子どもだったのにな。で、酒も煙草もやれない、女も抱けない。そうやって俺らは緊張状態を解くのに、方法がなかったんだ。それって結構キツイぜ、戦闘時の緊張が続くってな。眠れねーし、寝ても悪夢を見る、手が震える、幻聴が聞こえる、怒りが治まらない。アイツの心が生み出した対処方法だ、糸が切れてぼんやりして眠っちまえば回復するなら、それぐらいさせてやるよ」


 ウィルにちらりと横目で視線を向けて、ディックは鋭く言う。


「ついでに言うけどな。アイツがああなるのは、大抵――ああいうろくでもねぇクソ野郎に嫌な目に合わされた時だ。リディアは、知られるのをすっげー嫌がるし隠すから、知らねえ振りしてるけどな。本当は、すっげえストレスで、怖いんだろ。だから――」


 ディックは、運転の最中だというのに、片手をハンドルにかけたまま、前方から視線を外して、ウィルの首に外した片手をかける。


 そのまま座席に、ぐいっと首を押し付け、締め上げる。

 息がつまり、目をむくウィルを睨みあげる。


「手ぇ出すなよ。――アイツを傷つけたら、ブッ殺す」





*狭義の意味でのバーンアウト症候群とは、違いますけど。雰囲気重視でそう書きました。バーンアウトの診断は複雑なんです。(一応、ストレスの研究者です)

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