161. Replay
--爆音が響いた。
キーファが目を開けたとき、眼前には転がる車体と炎があった。
事故現場だ。黄色いバスが横倒しになっている、ゆがんだボンネットが半開きとなり煙をあげている。
ゆっくりと身体を起こす、体中が痛かった。
ぱちぱちと、炎が道路ではぜている。
(あぶない!)
飛んでくる火の粉から自分を庇うように手をかざした時、キーファは違和感に動きを止めた。ありえなかった。
自分の腕は、子どものそれだ。白いシャツはあちこち黒ずんでいる、水色のズボン、これは、この格好は。
もういちどその景色をみてキーファは息を止めた。まるで時が止まったかのよう。この光景は――
(あれは――)
過去の、バス事故だ。
横転する瞬間、キーファはとっさに隣の幼い弟を胸に庇っていた。そして気がついたら、バスの外。どうやら窓から放り出されたらしい。
「うわあああああん」
派手に泣く弟は、見た目には怪我がなさそうだ。ホッとした瞬間にキーファは息を呑む。
――妹はどこだ。
すぐに思いだす。
妹は、あの中だ。車体の外には、放り出された子どもがほかにもいる。なきじゃくる子、倒れている子。
「にいちゃん。にいちゃん――」
そしてキーファの腕を必死で引っ張るのは、弟だ。泣きじゃくりながらしがみつく彼の背を叩いて宥めながら、キーファは恐怖に顔をこわばらせながらバスを見つめる。
そして、キーファはゆるゆると自分の腕を見る。
小さな掌が震えている。
(なんで、こんな……)
まさか現実なのか。焦げ臭い、きな臭さとガソリンの嫌な特有の匂い。そして熱さ。幻ではない。しがみつく弟の感触は確かだ。
「にいちゃ……ひぃけして。こわいよ」
キーファは自分の手を見下ろす、震えている小さな子どもの手だ。
「れな、れなっ――にいちゃん」
弟が突然妹のレナの名を連呼し始める。ハッと気がつく。そうだ、呆然としている暇はない。
(――水よ、でてこい!)
振り上げた手の先に、水の気配が集う。だが瞬間的に悟る、これではダメだ。こんな小さな水球では、何もできない。
道路に漏れ出ている黒い染み、そこで火が燃えている。漏れ出たガソリン上を火が走る。転がる車体は煙をあげるのみ、だが――嫌な匂いがする。
液体はバスからでている、地面を走る火が車体に引火してしまう。
“――力ガ ホシイカ”
びくり、とキーファは肩を揺らす。あの声だ。思いだす。過去にも、聞いた声。
そして先程までのと同じ声。
だが子どもの自分は戸惑うように左右に首を振り、声の主を探す。
“――力ヲ 貸シテヤル”
(だめだ)
キーファは思う、その声に頷いてはダメだ。
子どもの自分もそう思った。だから聞かなかった。
「おにいちゃん」
キーファは今にも引火しそうなバスを睨みつける。
“貸シテ ヤル”
胸が熱くなる、頭がクラリと揺れる。頷きそうになる、けれど胸がひやり、と冷たい氷を呑み込んだように冷えていく。
いつも自分の力で乗り越えてきたキーファだからこそ、これには頷いてはいけない、と思うのだ。
「れな、れな、うわあああああん」
弟が泣いている。
――キーファは前を見据えた。そして走りだす。
「にいちゃん!! にいちゃんっ」
「お前はここにいるんだ」
弟を振り払う。
自分の魔法は役に立たない。だからなんだ? 動くんだ、助けるんだ!
“――ホウ?”
何かが声をあげる。バスの前に立ったキーファは、ひしゃげたドアに手をかけ、引っ張ろうとして慌てて引っ込めた。凄まじい熱さに、手がじんじんした。真っ赤になったそれは、すでに火脹れていた。
けれど気にしている場合じゃない。シャツを脱いで手に巻き付ける。
「レナ! 返事をしろっ」
「助けて……」
か細い声に目を向けると、そこには頭から血を流し呻く女性――先生だ。窓から手を伸ばし、引っ張って欲しいと目で訴えている。
キーファは呻く。レナと、彼女と――どちらを優先すべきか。
“――助ケテ ヤロウ”
声が囁く。
”――タダシ ドチラカ片方ダ“
――ぞくり、とした。何もかもがあの時と同じだ。
キーファは、この先を知っている。自分はこの声を無視して、女性の手を引っ張って助けようとした。そして炎がバスに引火する。大きな爆発があって二人でふっとばされる。
そして衝撃で転がっていると、魔法師団が到着して救助活動が始まり、それからレナを救出してくれる。
先生に大きな怪我はなかった。優れた治癒魔法師がいたせいで、奇跡的に処置が間に合い、全員が一命をとりとめた。死亡者はいなかった。
けれど、レナは入院した。火傷を負い、長い間入院し何回も皮膚の移植のために入退院を繰り返していた。魔法師でも火傷の痕は、なかったことにはできなかったのだ。
――痛かっただろう、怖かっただろう。
そんな思いをさせたのは、自分だ。
“――助ケテ 欲シイカ”
声が囁く。甘い誘惑だ。キーファは唇を引き締めて、手を伸ばす女性を見つめる。まるで何分にも何時間にも思える時間だ。
(爆発まで、あとどれくらいだ)
「――何が代償だ。貸りは何で返す?」
呟くキーファに、ゆらぎが答える。
“――オ前ノ魔力”
「それなら持って行け、好きなだけ」
けれど、と続ける。
「――どうやって助ける。お前は、何だ?」
沈黙が降りる。キーファはぐっと唇を引き結ぶ。
相手は人外の存在だ。甘く見るな。
卑屈になるな、とリディアは言っていた。
助けを乞う、力を乞うのは違う。それでは、認められない。
キーファはガラスが砕け、窓枠だけになったそこから身体を滑り込ませる。
「レナ、レナ!! 返事をしろ」
「……おにいちゃ」
薄闇の中、ひしゃげて原型のない機械の塊の中で、間違えようのない声が響く。
「レナ!!」
キーファはその声に場所の見当をつけると、先程の女性の座席まで戻り、すばやく検分する。
「シートベルトがからまってます、外します」
過去に彼女を引っ張るのに時間がかかったのは、何かに引っかかっていたからだ。そして小さな自分ではひきあげられなかった。
キーファはねじれたシートベルトの先が潰れた座席の下にあるのをみて、すぐに判断した。
(――火よ)
指先に火を灯すだけのもの。訓練を受けていない自分ではこれが精一杯だった。
(……このときは、まだ魔法が使えた)
先程の水球といい、このときはまだ魔法が使えたのだ。使えなくて救えないと思っていたのだ。じゃあ何故使えなくなったのだ。
じわじわとシートベルトを焼いて、キーファは彼女を窓の方へ押し出す。
そしてレナのもとへと潰れた座席の間に潜り込むように駆け寄る。
「レナ!!」
「おにいちゃん……」
「行くぞ!」
レナのシートベルトを外して手をしっかり握りしめる。
(……助け、られた)
安堵に足が砕けそうになるが、キーファはなんとか力を振り絞り窓の外へレナを押し出した。
“――両方 救ウカ”
その声に、ぞくり、とした。
感心とも、呆れともつかない声。そうだ、終わりじゃない。
これは――まだ試されている。
(――リディアは――どこだ)
キーファは今度こそ背筋を凍らせた。慌てて周囲を見回す。一緒にいたはずだ。
なのに、どうしてリディアがいないのだ。
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