162.追憶

--爆音が響いた。


 キーファが目を開けたとき、眼前には転がる車体と炎があった。

 事故現場だ。黄色いバスが横倒しになっている、ゆがんだボンネットが半開きとなり煙をあげている。


 キーファは愕然とした。

 また、――繰り返しだ。

 弟が腕の中で泣いている。キーファはゆっくりと身体を起こした。


(――何故だ)


 こいつは何をさせたい。そして、リディアはどこだ。


「お前は、何だ。俺に何をさせたい」


“――我ハ均衡ヲ保ツ 世界ハ円盤ナリ”


 響く声は荘厳。声音が変わる、気配が濃密に感じられる。キーファは背筋を正した。


“――オ前ハ 循環サセルモノ”


「循環?」


“――等シク 偏リハ タダス”


 キーファは考える。

 こいつは、レナと女性、二人の命を天秤にかけさせた。その意図はなんだ?


「二人同時には救えない?」”


“――生カス サスレバ殺ス”


「……リディアは、どこだ」


不穏な答えに心臓が早鐘を打つ。低い声で問う。


“――ソコだ”



***



 キーファは息をのんだ。

 いつの間にか見知らぬ場所にいた。明らかに今までいた場所とは違う。人間の世界だ。


 ――森。

 木々や植物、土の濃密な匂い。空高く響き渡る鳥の声。そして太陽の光。

 そこは人の手で切り開かれた空間だった。周囲は木々がうっそうと茂り、目の前の石造りの建物は窓も小さく、閂が駆けられた木戸は、貯蔵庫か倉庫にみえる。


 石切り場と、材木が積み重ねられた場所。茂る緑の木々の向こうには、赤い尖塔が見える。どうやらどこかの館の裏庭らしい。


 そこには一組の子どもの男女がいた。後ろ姿で顔は見えないが、少年は見事なプラチナブロンドで、肩までの髪がさらさらと風に揺れている。半ズボンから覗く足は細いが、皮膚は真白でつややかで、明らかに上流階級の子どもだ。


 そして、もう一人の少女の顔も少年の背に隠れよく見えない。丁寧に編み込まれた髪は深みのある陽光のようなブロンド。紺のワンピースに白い総レースの襟。

 仕立てのいい格好から、同じく上流階級の子どもであると思わされる。

 だがその少女は、子どもらしくなく俯き、目の前の少年に掴まれた腕をそのままに固まっている。どうやら怯えているようだ。

 

 子どもたちが遊んでいるにしては、明らかにおかしい。不穏なものを感じるキーファだが、光を写し波うつ髪の輝きに、すぐに誰かを連想させた。


「リディ――」


 呼びかけた声を止めたのは、手を離した少年が少女を後の穴に追い立てたから。


 首を振り動作だけでいやだと何度も何度も繰り返す少女に、少年はただ穴を指差すだけ。

 少女の声は聞こえない、恐怖で声が出ないのだろうか。だけど一歩、また一歩と穴へ下がる足。そしてその足が淵にかかる。


 少女が少年へ顔を向ける。ようやく見えたその顔の鮮やかなエメラエルド色の瞳は恐怖で見開かれていて、助けを請うように唇が震えていた。


「リディア!」


 キーファは声を上げて彼女を助けようと駆け出そうとした。


“――イイノカ?”


 背後からの呼び声に、ゾクリ、と背筋が凍る。

 キーファは、その試すような声を耳にして口を引き結び、振りむく。この景色の向こう側は、黒いもやに包まれていた。


 これは、試しだ。

 なんて悪趣味だ。だが、人外の存在が味方だなんて、誰も言っていない。

 

 ――バスが火に取り囲まれていた。


 キーファは凍りついたようにそれを見つめた。




 ***


 リディアは、呆然としていた。


 どうして、とその思いしかない。

 目の前にいるのは――兄だった。


 思考が停止する。声は聞こえない。ただ、彼が命じていることはわかった。

 手にしている禍々しい本は、リディアには恐ろしいものにしか見えない。彼がソレを使うのは、いつもリディアに怖いことをもたらす。


 彼が示すのは、リディアの背後にある穴。

 庭師だろうか、それとも下働きのものだろうか、何かを捨てるためか、それとも植えるためか。とにかく穴が深く掘られている。


 そしてそこに兄が術をかけた。

 嫌だ、とは言えない。首をふって、多分許してと言ったと思う。


 兄の言葉は絶対だ。


 後ろを振り向くと、穴の中は深く深く、そして何かがうごめいていた。

 そこは――大量の虫だった。青黒く光る背の虫が、大量にうごめいている。ざざざざざと音がしている。


 この中に入るの?


 ……どうして、何のため?


 死んだ虫を動かす術だ、リディアもそれを読まされた。勉強させられた、お前にそれをかけてやると。 

死んだお前の身体を自分が操れば、少しはお前も役に立つだろうと。

 けれど、リディアを殺す前に虫で試すことにしたようだ。


 どうして?


 虫に術をかけるだけじゃだめなの?


『――馬鹿だなお前は。魔法は、対象者がいてのものだろ』

 

 そうなの?


『お前はそれぐらいしか役に立たない。いや、それさえも役に立たないだろ』


 リディアは、兄の言葉に半歩足を後ろに動かす。


『だってお前は――』


 兄の言葉にリディアは何も答えなかった。彼が肩を押したのかはわからない、いやきっと自分が足を滑らせたのだ。いつもそうだから。


 身体が後ろ向きに傾ぐ、そして浮遊感。


 ああ、と思う。


 そして――。


『お前は――生まれてきたことが、間違えなんだから』



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