160.対峙する存在


 キーファの大きな掌。長い指は、弦を引く時に有利だったのだろう。

 かれは強い力で、リディアの手の甲を包み込むように握ってくる。


「リディア。もう一つ、言ってないことがあります。俺は――昔、その何かと会ったことがあります」

「……そう」

「驚かないのですか?」

「私が六属性の上位存在を話しても、あなたはすんなり受け入れていたから」

「――すんなりではないですが、先生と話していて思い出したような気がします」

「会っていたなら、あなたはもう一度会うことができる」

「何をすればいいのでしょう?」


「――答えを。猶予を与えられていたということだから、返答を。条件を出されたらそれをのんで。そして名を与える」

「……答えと名」


 キーファはわずかに考えるように黙る。


「卑屈にならず、敬意を示す。対等でいい。あなたには比較的好意をもっているはずだから落ち着いて対応して、相手はあなたの魔力を使いたいの、それを切り札にして」

「先生も、そのような存在と会っているのですね」

「――私の時は、危機的状況だったの。私を見ていられなくて、声をかけてくださったの」

「見ていられなくて――」


 キーファは、突然空中を睨み、すうっと息を吸う。


「――時は巡った。答えを告げよう、姿を見せてくれ――」


 何も起きない。

 ただ、リディアは何ものかが起きた――と感じた。扉は開かない。

 けれどここに、だれかがいる。だれかが――見ている。


「そこにいるのはわかっている。ずっと俺のことを見ていたのだろう?」


(……なるほど)


 キーファはリディアの“見ていられなくて”から推測したのだ。その存在もキーファをずっと見ていたのだろう。


 突然、世界が真っ白い濃霧のようなもので満たされる。

 固い地面に立っている感じはあるが、地面は見えない。


 何もない、リディアとキーファ二人だけが、取り残されている。

 そして門も見えなくなってしまった。

 ただ、濃密な霧に包まれてそれが揺らぐだけ。


“――誰ソ”


 あちこちで、上で下で、横で、背後で、霧がゆらぐ。

 どこからか声が聞こえる。


”――何ゾ”


 その声は冷たく、そして熱い。音のように耳を通して聞こえ、頭の中で響くよう。


 高慢で居丈高な響き。人間くさいともいえるが、聖職者によると人は神の模倣品だそう。

 人間的と表現するのは間違いなのだろう。


 とはいえそんなことはどうでもいい。

 横に立つキーファの呼吸が、わずかに不規則で荒い。


”――死ヲ望ムカ”

 

 胸に重しを載せられているように圧される感覚が増してくる。

 息をするのが辛い。ぺちゃんこに潰されそう。

 とてつもない存在感と魔力、リディアは息ができず、かつ吐き気がこみ上げてくる。


 きーんという耳鳴りがしてきた。

 眼の前の霧が横に流れているような回転性のめまいが酷い。心臓の鼓動がうるさく、そしてなぜか胸の奥から湧き上がる恐怖。叫びだしそうなほどだ。


(……キーファを補助しないと)


 密着してキーファの横顔を見上げると、汗が滲んでいる。

 初めての上位存在なのに、よく耐えている。


「……キーファ」


 握る手に思いを込める。


「合わせて、息をして。息を止めたらだめよ」


 リディアは彼の手を自分の胸元まで持ってくる。驚いたように力が抜けたその手を、ためらわずに自分の胸上に押さえつける。

 流石に胸に触れさせたら痴女でしかない。彼の手に触れさせたのは鎖骨より下。出っ張っている骨――第二肋骨の箇所。そこに当てて、わかりやすくゆっくりと息をする。


 リズムを取るように、吸う、吐く。交互に繰り返す。

 キーファの掌はまるで一線を越えないかのように力が入れられていないが、リディアは呼吸が伝わるように、そして自分で自分を落ち着かせるように呼吸を整える。


(――のまれないで)


 ――甘く見られたら、いけない。評価に値しない人間だと思われると契約が結べない、それどころか無事に戻れなくなる。


 キーファは敏かった。リディアを見たり、疑問を挟むことはない。リディアの実地で示された呼吸に、彼の呼吸が同調シンクロする。


「死にに来たわけじゃない」

 

 キーファは、落ち着いた声音で告げる。


「俺は、キーファ・コリンズ。あなたの”力”を継ぐもの」


“――力ヲ継グ”


「そうだ。以前あなたは俺に力を貸すと言った、けれどそれは断る」


“――何ヲ”


 リディアは、キーファと存在のやり取りをじっと耳を傾けて見守る。

 口出しはしない、そう決めた。


(六属性の魔法を認めないとか、ちょっとめんどくさそうと思ったけれど)


 キーファのほうが有利に交渉を運んでいる気がする。


「あなたは力を貸す存在ではない。――継ぐものを探しているのだろう」


 リディアは、キーファの返答に内心で驚く。キーファはその存在の正体に気づいているのだろうか。


(ううん、わかってはいないはず。その存在は、人間には知られていない)


 その契約をした魔法師でも、存在していることしかわからないのだ。

 けれどキーファは、本質を掴んでいる気がする。


“――オマエガ値スルト?”


「そうだ。俺は、あなたに魔力を提供できる」


“――ナラバ”


 キーファの手がいきなりリディアの手を握り直し下ろす。そして前を見据える。それは明らかに何かの気配が変わったからだ。


“――ソノ穢れシ者ヲ ――殺セ”


 その声が示したのは、リディアだった。

 濃霧だけしかない、手も視線も向けられていない。


 けれど確かにリディアの事を言っているとわかった。

 そしてキーファは驚きを見せなかった。ただリディアの手を握ったまま離さない。


「穢れてなどいない」


“――殺セ!!”


 圧倒的な力、声。巨大な風圧がリディアに迫る。

 リディアは、それをそのまま返そうとして、やめる。凝縮されて圧力を増した岩よりも重い空気が向かってくる。身体が壊される、そう思う瞬間。


「やめろ!」


 キーファが叫んで、リディアを背に隠す。


 背中越しに感じる彼の気迫、リディアは自分をかばうキーファにそれをやめさせようと思いながらも、つい気をのまれてしまう。そして濃密な魔の圧力が、ふっとかき消えた。


“――穢ヲ庇ウカ”


「穢れてなどいない」


 リディアは、やはりと思う。

 この方はリディアの呪いに気がついている。顔を強張らせて、どうしようか考える。呪いがこの存在にどう影響するのかは不明だが、嫌なのだろう。


「俺は彼女を守るために力を得たい。彼女を守れなければその力など無用だ」


(キーファ、何!?)


 リディアは驚いて仰天していたが、顔には出さないようにする。


「あなたは過去にも俺を試した。俺に大切なものを守れるか、と。今答えを告げる。俺は彼女を守る、絶対に」


 沈黙が満ちる。ゆらりと空気が揺らいで、声が放たれる。



“――ナラバ、試シテヤロウ”


 それが告げたとたん、さらに濃密な魔力が渦を巻いてリディアとキーファ飲み込んだ。

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