159.教師の仕事
俯いたままキーファが、躊躇うように口を開く。
「あの、手を……」
「あ、ごめんなさい」
「嫌なわけではないのですが、抑えが効かなくなりそうで」
「ううん、勝手にごめんなさい」
「そういう意味ではないのですが」
リディアは気を使ってくれるキーファに、再度謝罪する。やっぱりボデイタッチは下手だ。距離感がわからない。自然に安心させるように触れるのはどうしたらいいのだろう。
「気にしていたのね、話してくれてありがとう」
「――いいえ」
「こうやって、少しずつ――原因を探しましょう。何か気にしていることがあったら言って」
「……少しずつ」
リディアがいうと、キーファは顔をあげて呟いて、なぜか眉をひそめる。
「――何?」
「いいえ。俺のことではなくて……」
何か言いたそうで、言えなさそう。”俺のこと”ではなく、はリディアのことだろうか。
彼のことばかり聞いてしまっている。
でも自分のことで、大した話はない。
「ごめんなさい、触れるわね」と彼の袖ごしに腕を強引に引いて歩きながら、リディアは考える。
「私にも兄がいたけれど、キーファがお兄さんだったら、たぶん、ううん、とても嬉しいと思う」
「俺が、ですか?」
「ええ。頼りになるし、なんでも相談していたかもしれない。私は兄とはあまり関係がよくなくて」
「リディアのお兄さんは、いくつなんですか?」
(あ、名前?)
”リディア”と呼ぶようになった彼、自分への壁が、低くなった気がした。
接し方を間違えると、更に壁を作られるかもしれないと思ったが、今の所なんとかなっている。
「五つ上。いつも……無視されていたから」
「無視? お兄さんにとっては大事な存在だったのに、不器用でそれを伝えられなかっただけでは?」
リディアは笑う、少し空虚な笑いになってしまう。キーファがそうだったのかもしれない。可愛いのに、そう伝えられない、みたいな。
「絶対に違うわ」
恥さらし、役立たず、すれ違いざまの小さな罵倒が耳に残る。同じテーブルで向かいに座る兄には、よく足を蹴られていた。食事のスープに虫を入れられていたこともある。
仲の悪い兄妹なんてそんなものかもしれないけれど、リディアは未だに兄が――怖い。
師団は男ばかりで、最初は男性そのものに怯えていたのは、兄や父の影響が大きかったせいかもしれない。男性恐怖症は克服したけれど、師団を辞めて帰省した際に兄に会って、兄恐怖症は全然克服できていないと思い知った。
心身に教え込まれたヒエラルキーは、消えることがなかった。
キーファの不審げな顔を笑って誤魔化す。墓穴だ、話題を作って、自分で落ち込んでいる。
気持ちを切り替える、キーファのことを優先しなくちゃ。
そしてリディアは不意に立ち止まる。
何もない空間だが、彼は戸惑うように「行き止まり、ですか?」と、リディアを振り返る。
「そう、ここが目的地。先に進めないでしょう?」
「この先はなんですか?」
「あなたの魔力の秘密が隠されている場所」
キーファは、驚きはしなかったようだが、問うようにリディアを見つめ返す。
「俺の?」
「そう、ここはもうあなたの心の中。というか、最初からあなたの心の中よ」
リディアは驚くキーファに、いたずらを仕掛けた子供のように小さく笑う。普通は、自分の心の中に入れと言われても、入れないだろう。けれどリディアが「一緒に私の心の中に入りましょう」といえば、そういうものかと入り込めやすいのではないかと思ったのだ。
そして、彼は眼鏡の下の目を緩めて、ふっと苦笑した。
「ありがとうございます」
キーファは「騙された」、なんて怒らなかった。リディアの意図まで読んでしまうのだから、先生としての立場が無くて、少し恥ずかしくなる。
「――さて。これから会う方には、一人で対面よ」
「会う?」
「そう、さてキーファ。あなたの心の中には、見えない壁とその向こうに何かがいます。それが、この六属性よりも上の方。あなたの心に門を構えているのが存在の証拠。あなたはその方と会い、結びを得るの。あとは、どうやってこの中に入るかだけど――」
「俺の心次第、ですか?」
「自分の心を自分で知るのは、難しいのよね」
彼の心の問題だ。彼がなんとかするしかない。
リディアが一歩下がると、キーファは一歩前に出る。そして眼鏡を外して胸ポケットに入れる。
彼は黙って目を閉じて手を伸ばす、まるで見えない壁に触れているかのよう。
彼は魔力を放出しているのだろうか。魔力計測のときのようの佇まいだ。
そして見えない壁であったはずのものが、彼の触れる箇所から色が浮かび上がり、やがて精緻な細工が施された青銅の門が出現した。
「すごい。……よく、門を出現させたわね」
自分で促しておいて言うのもなんだけど、彼の飲み込みの早さとその対応能力に舌を巻く。
「自分の心の奥底まで来て何もできないなんて、恥ずかしいですし。しかもそこに――大事な人を連れてきておいて」
「え、っと? ……あの?」
「ここまで来て、誤魔化すつもりもないです。リディアのおかげです」
「ええと、あの……私は何もしていないけど」
大事な人、それってどういう意味? これって何か答えないと――。
「流してくれていいですよ。ところで、この六角形は、魔法の相関図ですか?」
(ええ? 流せと言われても――いいの?)
とはいえ、キーファの大人っぷりと言うか、余裕に助けられる。いや掌に転がされているような、よくわからない。とりあえず言葉に甘えて流すことにして、リディアは彼の“門”を眺める。
黒い錆に侵された円陣。よくみるとその印章は魔法の相関図だ。
立派な扉にそこだけが異物のように描かれているが、劣化し途切れ途切れでよく見えない。
「この図をみると、まるで意図して消滅させらているみたいですね、だから使えないのでしょうか?」
「そうみたいだけど……」
リディアは、じっとその図を眺める。そして門を改めて見上げる。
立派な門だ、そして門があるということは、キーファの主は彼を拒絶していない。でも、これだと、リディアの予想だと――。
「キーファ。もう一度確認する。あなた、魔法が使えるようになりたい?」
「――はい。以前は諦めていました、けれど使いたい。そう思っています」
キーファの瞳は熱を帯びている。リディアには直視できない。
「だったら、諦めてもらうしかない」
「……」
キーファは黙っている。
「あなたには、火も水も風も起こせない、皆と同じような魔法師にはなれない」
「わかりました」
そして続ける。
「でも、諦めてはいません。六系統以外の魔法が、まだあるはずです。そういうことでしょう?」
リディアは、キーファを見上げる。彼は背が高い、薄青の瞳は、暗闇の中で綺麗に光っていた。この暗闇での唯一の光だ。
その瞳は、諦めもなく、穏やかな決意。彼はリディアの意図を理解したようだ。
「この封じられた六属性。それは、俺に使うなということでしょうか」
「恐らく――。あなたがこれらの魔法を諦めて捨てたとき。ここの主はあなたに違う魔法を授けるわ」
リディアは門を改めて見上げる。とても強い主なのだろう。
「すごく、個性的だと思う。他の系統を許さないなんて、独占欲が強いにも程がある。あまりおすすめできないけれど」
リディアは心配だ。でもキーファの瞳は切望を帯びていた。
「あなたが決めたのならば、行ってらっしゃい」
キーファはリディアを見下ろす。そして離していた手を彼の方から握りしめる。
「キーファ!?」
「置いていきません」
「――あなたの魔法の根源――主との対面よ! 許されるはずがない」
何を言うの? 彼はもっと理知的な人のはずなのに。
「他者の心の中、魔力の源泉に入り込むのは危険だと文献で読みました。特に奥底ほど抜けられなくなる可能性があると。あなたを一人で残すのはかなり危険なのでしょう?」
「そ、れは――」
本当に、優等生で秀才だ。授業でまったくやっていないのに、沢山文献を読んでいる。
「俺の中で行方不明になられたら困ります」
「そう、だけど。なるわけないから」
「主も俺の一部です。連れて行ってもあなたを問題視はしません。あなたは俺が守ります」
――すっかり。ほだされている。
でも他者が入り込んで、契約が履行されなくなる可能性もある。
「先生はその何者かとの契約がされているのですよね。だったら通った道です。――いてくれると心強いです」
(ああもう、上手すぎる)
リディアは、目を閉じて深呼吸をする。
人は、自分が教わったようにしか教えられない。
リディアは――、経験しているのだ。ちゃんと導いてもらった。
ならば。
自分ならば――キーファに伝えられるのではないか。
「わかりました。行きましょう、キーファ」
「はい」
彼の手が強く握りしめてくる。彼の手は大きくてリディアの手をすっぽりと包み込んでしまって、驚いた。
思わず凝視してしまう。
「俺は、魔法師になります。――そしてあなたと、肩を並べたい」
リディアも前を見つめる。そう彼が願うのであれば、それを叶えるのが教師だ。
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