137.知ってる


 振り返りが終わったのは、それから三時間後。

 途中休憩を入れたとはいえ、かなり脳みそを使い、神経もすり減らしたはず。リディアも、色々すり減らした。

 

 廊下を歩んでいると、向こうから歩いてくる青年とすれ違う。いや若く見えるが、三十代だろうか。


(……あれ?)


 自分の記憶をたどっていると、去りゆく彼もちらりとこちらを見ていた。


 と、リディアは足を止めた。背後からいきなりパーソナルスペースをゼロにして顔を近づけ覗き込んできた存在。

 彼のほうが上背があるから、上から覆いかぶされたような形に近い。


「――リディアもシャワー浴びたんだ?」

「ダーリング。ハーネスト先生と呼びなさい」

「リディアもウィルでいいよ。そう言ってるじゃん」


 予想はしていた、彼からの接触を。


 食堂でテーブルが同じになってしまった時は普通だったが、それ以外ではさんざん避けられていた。なのに見計らったかのように、いきなり二人きりになり接触してくる。

 

 何を企んでいるのか。


 ウィルは後ろからリディアの髪を一房手に取るから、ピシッと手の甲を叩く。


「今日助けてくれたことは感謝している。でも離れて」

「魔法師の衣装、緑なんだ? 瞳と合ってて可愛い」


 全然聞いてないし、これってもう口説いてるの? 一体どうしたのか。

 振り返り、リディアはウィルを睨みつける。


「私、教師なんだけど、口説いてるの?」

「いいや、口説いてねーけど?」

「だったら、そういう冗談止めて」


「そういうって何が?」

「……可愛いとか、なんとか」


 言わされた感がある。自分で言うのは恥ずかしい。


 顔を赤くしたリディアにか、それともセリフにか、案の定、彼は笑う。


「意識した? 可愛いって衣装のことだけど」


 リディアは大きく息を吐く。だめだ、相手のペースだ。


「そうね。この魔法衣は魔法師団にいた頃から着てる。翠がよかったの」

「なんで?」


「……ある方が、それが似合うって」

「――アイツ? 団長?」


 ウィルの反応は早かった。

 リディアをからかい遊んでいたのが、一気に余裕がなくなる。


「リディア。アイツのこと好きなの?」

「……!」


 不意打ちだった。どうしてそんなことを聞くのだろう。そんな様子を見せたことなんてないのに。


「図星かよ」

「違う」

「違くねーだろ」

「違う! あなたには関係ないでしょ!」


 思わず声を荒げてしまい、リディアは口を押さえる。生徒に怒鳴るなんて。


「私は教師であなたは生徒。私のことは関係ないはず」


 それでも黙ってしまったウィルに気まずくて、どうして気まずいのかわからなくて、つい言葉を重ねてしまう。


「別に私のことは、好きとか、そういうのじゃないでしょ。だから」

「――好きじゃねーよ」


 ウィルの言葉は早かった。

 俯いていた顔が睨んで、けれど距離を更に近づけて、リディアが後ろに下がると、そこは壁だった。


「全然好きじゃねーよ。言ってみただけ、からかっただけ。でも――」

「だったら、もうやめて。離れて」


 壁と彼の長身に阻まれる。

 目の前には彼の顔がある、身長差があるはずなのに、覗き込まれているのだ。


 ひっぱたくか、蹴るか。でも、何に対して。詰めてきた距離に対して? 

 訊かれていたのは、何?


「言えよ。アイツのこと好きなのか? 恋人だったのか?」

「そんなわけない! やめてよ」


 思わずまた叫ぶ。なのに、声が震えていた。どうして震えているのかわからない。


「どうして、“そんなわけ”、ないの?」


 顔が近い。彼の低い声が、リディアを問い詰める。

 唇も近い、リディアの唇に重なりそうな距離で問いかけてくる。

 止めて、といえば重なりそう。キス、されてしまう。


 リディアは目を閉じかけて、色々な思いと記憶が蘇りそうになり、慌てて見開く。

 涙が滲んできそうになる。ああそうだ、泣きそうなのだ。


「私は……とっくに、振られているの」


 ウィルの目が見開かれていた。

 驚いていて、その瞳に映る感情は読めない。


 リディアは彼の胸を押す、簡単に彼は離れた。


 ウィルに背を向けて、リディアは離れる。明かされた、思い知らされた。

 何度でも思い知る。


「俺は、別に……あんたのこと――好きじゃねーからな!」


 リディアは振り返る。なんで振り返ってしまったのかもわからない、別に答えなくてよかったのに。


「――知ってる」


 そういったとき、彼の顔は赤く染まった。

 なんで宣言してそうなるのか。


 リディアは今度こそ背を向ける。涙がこぼれそうになり、けれど見られているだろうから絶対に手をあげない。拭わない。


「こっち向けよ」

「向かない!」


 腕を捉まれる。逸らそうとした顔を覗き込まれる。


「何で、……泣いてるの」

「泣いて、なんか。……見、ないで」


 涙をぬぐうように指が伸びてくる、いやだと顔を振る。


「知ってるって、なんだよ」


 追求してくる。やめて。……暴かないで。


(……知ってる)


 何が? 


 彼がリディアを好きじゃないことくらい。いつだってそうなのだ。


「だって、私は……いつだって、本命になれない」


 涙を拭う指が止まる。途端に、リディアは今度こそウィルを突き飛ばした。


「リディア!」


 呼び止める声。きっと、追いかけては来ない。振り向かない。


 もう、こんな感情は、終わったのだ。

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