138.儀式

 外はすでに闇夜に包まれていた。

 基地は結界の中でひっそりと佇み、また周囲の森林も静まり返っている。


「つっかれた」

「センセ。なんか奢ってー。酒かアイス」


 何かあると、必ず奢れという彼らは、リディア自身も疲労したのだということを――理解しているのだろうか。

 帰り支度を促そうとしたときに、シリルが通りかかる。


「リディ。これから付き合えよ」

「シリル。それだけど私、学生を王都まで送ってかなきゃ―-」


 言いかけて、シリルの腕に抱えられた木箱に目を留める。その中には、大量の麦酒ビールの瓶。


「なに言ってんだよ。お前には残された使命がある」


 突然、ディックが後から首に腕を回してくる。


「使命?」


 そしてまた、ビールの木箱を四箱も腕に軽々下げている副団長のガロが、前から歩いてくる。


「みんなお前のこと、待ってるぞ」

「成人の儀式!! お前の二十歳の誕生日!!」


 シリルが指を突きつけてきて、ニッと笑う。


「え、リディア。今日、誕生日?」

「違うだろ、二ヶ月前――」


 ウィルが訝しげに問うと、答えるチャス。

 リディアは眉をひそめる、なぜ――知っている?


 ディックが、顔を寄せて愛嬌のある笑みを見せる。その気になると、彼はそのとっておきの笑みで女性を落とせてしまう。

 ぶっきら棒で雑な振る舞いと、時折見せる凄み。女性には怖がられそうなのだが、いきなり見せる愛嬌のある笑みとのギャップに心を打たれるらしい。

 でも初恋の女性に片思い中な一途さで、リディアに下心もなく構ってくれるところを、リディアは安心して頼っている。


「とにかく、二ヶ月遅れだが、今日祝ってやるよ!」

「ほら、お前らも。全員成人してるんだろっ、酒を取れ。参加してけよ」


 途端にあがる歓声は生徒たちのもの。リディアが驚いて左右を見渡すと、みんなすでに準備万端。栓を抜いた二百ミリのビールを渡される。


 ためらっているとディックに引きずられるように、建物から中庭へ。

 そこは、砦のある森ではなく、魔法師団のテリトリーの広い南東砂漠に繋がっていた。

 月明かりに照らされた白々しい砂漠。そこにたくさんの影。


 いきなり周囲が明るくなる。闇夜に浮かぶ野外サーカスのように、一帯の天幕を飾る輝かしい光の数々。

 そして、テーブルに、椅子。鉄板では肉と魚と野菜が焼かれ、煙とともに食欲をそそる香ばしい匂いが立ち込め、すでに満面の笑みの団員たちが、ビールを片手に揃っていた。


「え、なに?」


 団長であるディアンの前に押し出される。彼もすでにビールを手にしている。

 彼は状況が読み込めていないリディアに、手を伸ばす。


「あの」

「諦めろ」


 何?

 警戒からか、思わず身体を引くと髪ではなくおでこを軽く掌がつく。


「全員飲み物もったか!?」


 ディックが号令をかけると、一番元気よく返事をしたのは生徒たちだった。団長の顔なんて二度と見たくねーなんて悪態ついていたのに。


「うちの伝統をお前はすっぽかした。まだ分かっちゃいないなんて言うなよ」


 ディックが指をさしてリディアを脅すけれど、その顔は笑っている。


 目の前に立つ黒髪の彼の瞳は、松明の灯りを写しこんで燃えているようだ。

 感情が見えないが、彼が承諾したのか、それとも当たり前のように皆と企画してくれたのか。胸が熱くなる。


「あの、二十歳の……成人の儀式ですよね」


 魔法師団は、未成年者も多く所属する。

 そして、ここで育った団員は二十歳の誕生日の夜、所属する団員全員から祝いを受けるのだ。いわゆる成人の儀式と言われ、初めてのお酒を飲むことを許されて、皆で乾杯する。


 でも、リディアが辞めたのは二年前だ。だから、もう祝ってもらう資格なんて――。


「それじゃあ、二ヶ月遅れだが、二十歳の誕生日を祝って――」


 ガロが大きく声を張り上げる。


「そして、成人を迎えての祝いだ。リディア・ハーネスト。俺は第一師団ソードの団長として、お前を成人した団員として正式に認める。お前は俺達の仲間だ――ずっと」


 ディアンが引き継いで、語る。けして大きくない声なのに、低く深みのある声が空間に染み込んでいく。リディアの目頭が熱くなっていく。


「お前が俺達を助けたように、俺達はお前を助ける、未来永劫の誓いだ。お前は、お前の人生を歩め。お前の人生の先行きに、光が共にあらんことを。そして、新たな成人の仲間としてお前の未来に――」


『『―――乾杯!!』』


 全員が叫ぶように声を張り上げる、打ち鳴らされる硝子の音。


 そして、誰かが魔法を仕掛けたのか、空に激しい音をたてて、眩しい光と共に花火が打ち上がる。

 うわあああ、という歓声。


 皆がリディアに抱きついてくる。まずはシリルが頬にキス。そしてディックが頭をグシャグシャにしてくる。ガロが笑って背を叩く。


「――リディア」

「は、はい」


 ディアンに当たり前のように、瓶を掲げられる。

 わずかに静まり返る場、いきなりみんなが固唾を飲んで見守るから緊張する。


 な、なんで注目してるの。

 緊張しながらディアンの前に進み出て、瓶を打ち鳴らす。カツンという音。


「おめでとう」

「あ、りがとう……ございます」


 優しい声に、なんだろう、目が、視界がぼやけてくる。


「呆けてるんじゃねーぞ」


 片手で後頭部を支えられて、胸に引き寄せられる。軽いハグ、頭に触れる手が温かい。

 ――何年ぶりの接触だろう。この人はあまりボディタッチをしてこない。


 久々に――ディアンの匂いに、胸が痛くなる。

 変わらない。黒装束の革の匂い、苦みのある森林ジェニパーの香りと微かな柑橘シトラスの彼の魔力の匂い。


 リディアの頭を押さえる力強い手に、革の布越しに感じる硬い胸。

 外気に冷えた頬に触れる彼のわずかな温もり。


「ありがとうございます」


 隠された視界の中、少し湿った声で答えて、大きく息を吸って吐く。


「もう、大丈夫です」


 彼から離れると、既に生徒たちは思い思いに喧騒を楽しんでいる最中。誰も見ていない。目を開けた先、夜の砂漠は、まるでジプシーの興行の催しのよう。


「全員じゃねーけど、来れるだけ集めた」


 シリルが笑みを見せる。懐かしくて頼れる笑みだ。


「リディア、酒飲むの初めてか? 慌てずゆっくり飲めよ」

「え、ええ、うん」


 ディックに促されて、恐る恐るビールの瓶の口を見る。


「へー、センセ。初めてなんだー?」

「俺が飲み方を教えてやる」


 チャスがすでに顔を赤くして絡んでくるし、マーレンは相変わらずえらそうで、リディはぷいっと顔をそむける。


「必要ありません。飲むのなんて誰でもできます――」


 彼らに背を向けて、思いきり勢いよく瓶を傾ける。ぐいっと仰ぐと、喉にいきなり入ってきた液体は炭酸だった。

 喉に入る前に、リディアはむせた。


「――っ、ごほっ、ごほっ」

「わ、反応予想以上!」

「リディ、平気か?」


 背中を叩くのは、シリルだろう。痛い、痛いよ!! 潰される。


「ごほっ、いた、いたい」

「は?」

「にが……っ、ごほっ、んっ」


 ようやく顔をあげて、息をつく。


「無理すんなよ。おい、誰か水」

「お前、お子様だったんだなぁ」

「ちがっ、気管に入っただけ、ごほっ」


 マーレンがニヤニヤしていて嬉しそうだ。

 みんなからもやっぱりなーというか、呆れられた視線に、顔が熱くなる。


「顔真っ赤だぜ? 弱いな」

「だから、違います!」


 マーレンがやけに絡んでくるから顔をそむけたら、離れたところにいたウィルと目が合う。彼は全然近づいてこず、そしてリディアと目があうと、露骨に顔を背けた。


 リディアも顔をわずかに歪めた。先ほどの失態を見せた羞恥からだ。

 情けない、あんな女丸出しで、なんて発言をしたのだろう。撤回したいけど、言いに行くのも恥ずかしい。なかったことにしよう。


「先生、水です」

「コリンズ、ありがとう」


 キーファから、差し出された水を受け取る。


 ディックに「残りは飲んで」と、瓶を渡すと、あっさりと彼は受け取り、そのまま口をつける。


 キーファはそれをちらりと見ていたが、その目が困惑しているように見えた。確かに、今は別の機関にいるし、少し距離が近すぎるかもしれないから、自重しよう。


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