130.聖剣
「俺に働かせて、ずいぶん楽しそうだな?」
「す、すみません! 私が騒ぎすぎました!」
リディアが、反射のようにぴょこんと頭を下げて、今度は伺うように恐る恐ると見上げている。潤んだ目で伺う眼差しは、まるで小動物のように怯えている。
どうしてかキーファには、リディアのそういう顔が、可愛く見えて仕方がない。
向かい合う男に目をやると、そんな微笑ましい気持ちにはなれないのに。
黒装束の男――かの有名な第一師団の団長は、リディアを見下ろしている。
負けずと見返すリディアの顔は悔し気。だが、ディアンの容赦のない圧迫感を伴う視線に、リディアの頬が赤くなっていく。
「な、なんで、ずっと見ているんですか?」
そんなリディアの上ずった声で放たれた質問に、ディアンは微かに息を漏らした。仕方がないなと、全部わかっているという嘆息に聞こえた。
「身体の調子はどうだ」
「平気、です」
リディアがか細い声で応える。でも彼女らしく、俯かずにディアンを真っ直ぐに見上げる。
「ありがとうございました」
彼が手を伸ばすと、リディアの肩が怯えたように微かに引かれる。その手はそんなリディアに気づいているだろうに、でも躊躇なくそっと優しく頭に触れただけだった。
「よく頑張ったな」
キーファはその声を聞いた時、平静を装えていたか自信がなかった。
穏やかな声の、ただのねぎらい。
ただ、わずかに潜む響きは優しかった。
冷淡で感情がなく残酷、悪魔より悪魔らしいと言われる第一師団団長の評判からは想像できなかった。
そして離れていく手に、リディアが息を漏らす。肩をなでおろして、腕をさすっている。
キーファは思う。
リディアの仕草は、彼の放つ恐ろしいほどの圧力に満ちた魔力から開放された安堵による、無意識な行動だと思う。
自分も毛が逆立つほど肌が痛い。
だが彼を見ていたリディアの様子、眼差しは、魔力による影響だけじゃない。
ある種の感情――キーファはその予感に堪えるように唇を引き締めて、一瞬で表情を消した。
一方、そのままキーファを無視するかと思えば、ディアンはまっすぐにこちら目を向けて、歩んでくる。
何かを悟られたか、とキーファが思い、身構えたときだった。
彼は、キーファが手にしたままのリディアの魔法剣を視線で示す。
「お前が主人だ。ソイツに名を付けてやれ」
意外な言葉だったが、キーファの反応は早かった。
リディアの仕草、二人の放つ気配、そして彼の放つ魔力や気配にも多少飲まれかけていたが、返事はいつものように淡々とした声で返していた。
「元の名前は?」
「前の持ち主は、名をつけていない」
なぜ知っているのか、とキーファはいぶかしく思いながらも、ディアンの言葉に耳を傾ける。
リディア以上に団長は、この魔法剣に詳しそうだ。
リディアも、前の持ち主を知らなかったのか、不安げに眉をひそめている。
「ただ以前は――持ち主の名から、聖剣バルザックと呼ばれていた」
リディアがひっと声を上げる。キーファも珍しく目を見開き、声をなくした。
「まさか……」
「昔の話だ」
リディアが叫ぶ。
「聞いてない! 聞いてないよ! だって、なんで……なんで、私がそんな。だってこれ短剣じゃない!! バルザックって長剣か大剣でしょ、あのモチーフからして!!」
リディアの様子から、キーファも自分の恐れが見当違いじゃないと悟る。
「ヴィクトル・バルザック……魔法師団の生みの親で、第一師団の初代団長ですよね。その剣って」
「……聖獣アロガンスを貫いた聖剣。……第一師団の紋章のモデルにして、ソードの由来となったのが――聖剣バルザック」
「誰もあれが長剣だなんて言ってない」
ディアンは興味なさそうに呟いて、もういいだろう、と話を終わらせる。
彼は――知っていてリディアに、伝説の剣を、第一師団の団長が持つべきシンボルを与えていたというのか。
キーファは、ディアンの底が知れない意図に愕然とする。
それよりも、これを自分が貰うことはできない。もちろん借りることさえも。
リディアは泣きそうな顔で、ありえないと呟きながら首を振っていたが、キーファを見て「あ」、という顔をして、安心させるように頷いた。
そして「気にしないで貰ってね」とキーファに囁く。
いや、それはまずいだろう、とキーファは思ったが、リディアがディアンを示すので言葉を飲む。
ディアンはかまうことなく背を向けて、炎が消えつつある空間に手を伸ばしていた。
まるで溶岩のように発色する赤いどろろとした炎から、人間の幼児ほどの大きさの蜘蛛をディアンは鷲掴みにして取り出す。
彼の黒髪は、漂う魔力と炎に照らされて深みのある朱に見える。
彼が踏み出した足下から蒸気が立ち上る。
消えつつある炎ではあるが、地面は灼熱のはずだ。顔色も変えず汗もかかず、踏み出す足にためらいは一切ない。
そして、この男の面前では、六つの目を持つ蜘蛛が足を空中に浮かせぎしぎしとこすり合わせ悶えながら、拘束されていた。
「あれが、蜘蛛の――ウンゴリアントの本当の姿」
リディアがキーファに囁く。
アメーバのコアはもとより哀れな結合体のキメラは消滅し、あの炎でも消滅しなかった本来の凶悪な魔獣だけが残った。
図体はかなり縮小されていたが、凝縮されたように魔力は濃く赤い目は凶悪な光を宿して、目の前の男を睨みつけているかのよう。
その蜘蛛を捉える魔法陣は、六重だ。
宙に浮いた蜘蛛を捉える複数の魔法陣は、前後左右にそれぞれが回転し、赤い残滓を漂わせる。
複雑な術式が重なり離れ、そのたびに何らかの効果を放つのか火花が散り、蜘蛛の足を焦がす。またその魔法陣と蜘蛛を囲むように、四角形の立方体が出現する。その内部は、漆黒。
キーファは悟る、その中は――虚無だ。
蜘蛛を包む魔法陣ごと――飲み込み、閉ざし、最後にその空間を消滅させる気なのだ。
(六重の魔法陣と、空間招聘……!?)
キーファは驚いて声どころか、息も呑む。うめき声が漏れた。
――嘘だ、と呟いたかもしれない。
魔法陣は、描くものだ、道具を用いて。
詠唱だけで魔法陣を呼び出すというのはどういう技なのだ。しかも、六つも同時に保持している。さらに緊縛の魔法陣は禁呪扱いで、たった一人の人間が簡単に使えるものじゃない。
そして、空間招聘――もはやキーファには何が起こっているのかわからない。
リディアがこそっと耳打ちする。
「異次元にウンゴリアントを封じる気よ。アイツは死なないから」
「どうやって……」
「……わからない。異次元を呼ぶなんて、魔法なのかもわからない」
ディアンが詠唱をする。
キーファは眉をひそめる、リュミナス古語ではなかった。
リディアと繋がっていた時に使われていた言語だろう。
あのときはリディアと意識が繋がっていたから、意訳が伝わってきていた。
だが今は、音だけしかわからず、ほとんど意味がわからない。
その抑揚と古めかしい言い回し、リュミナス古語の原形――それはおそらく失われた神聖語だ。
"કmakhaiકnj jiuiકnj bકjiકnકninij kકaકvકmaકn pકકr કmaકl
Dકsiકrક uuiકsha pકકr jકrકકdક
Kકloકsક કrokકkha કfકrકmકr
કthકકrકnithકy કfoકrકuકકry કuકrકlaકsthકiકnj"
彼の低い声が響くとまるで神々へ捧げる詩のように厳かに、そして聞くものを酩酊させるように引き込む。
蜘蛛も、まるで酔わされたかのように、動きを止めてだらりと力なく大人しくなる。
そして空間は少しずつ圧縮して小さくなっていく。ぎゅうぎゅうに小さくなり、空に浮かび上がり回転しながら頭上に上りあがる様は、まるで手品だ。
空中に上下に伸びる一本の黒い線、それが出口であり入口。
異次元が閉じる瞬間――。
その線が瞼が開いたかのように縦のアーモンド型となり、無数の触手が勢いよく飛び出し伸びて鋭い先端がディアンに向かう。
それは無数の錐だった、それがディアンの黒ずくめの身体を貫こうとする。
瞬間だった、身をかがめたディックがディアンの前にすっと入り込む。
それは、素早く自然な動作だった。彼の手がなめらかに動き、鞘から抜かれた刀身は青い燐光を宙に描き、無数の銀色の錐をすぱりと切断した。
静かだった、何が起きたのかわからない。
無声映画のように、その錐は、ぼろぼろと黒ずんで塵になって溶け、風に吹かれていく。
異次元が再び閉じ、線は小さく小さく点となり、やがて消えた。
ディックが剣を柄に戻し、チンと涼やかな音が響いた。
「ディックは、詠唱が苦手だったの。彼の頭にあふれる魔法術式の構成の多さと複雑さ、彼は頭の回転が早すぎて請願詞の詠唱が追いつけなかったのね。だからディックは頭の中に溢れる術式を、剣に刻んだの。重ねてもなおあれほど美しく、高度な魔法が刻まれた魔法剣を、私は見たことがない」
リディアが、キーファを見て微笑む。
「だからあなたも。自分だけの魔法を高められるわ」
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