129.覗いて?
どのくらい時間がたったのか。
ようやく視界が正常に戻ると、自分たちを包む空間の外は、炎の海だった。
けれど、熱くもない、音もしない。
炎は一定の距離を置き、彼らを包み激しく火の手を揺らして踊り狂っていた。
キーファは手を重ねているリディアを意識する、小さな手だった。
彼女はキーファに抱きしめられたまま離れない。
なぜか彼女の体重がかけられている。それを支えながら、キーファはその理由に思い当たり口を引き締めた。
まだ本調子じゃないのだ。おそらく、自分で身体を支えきれない。
キーファは彼女の姿勢を苦しくないように距離を縮めるように引き寄せ、背中を支える。
リディアの背の力が抜けて、キーファに力がかかる。
――嬉しかった。
緊張が抜けた肩。
それを見ながら、リディアの重ねる手を感じながら、掴んだ柄からあふれる光を抑え続ける。気を抜くと、吹っ飛んでいきそうなほど、剣が暴れているのだ。
――やがて炎が消えて、そして光も収束する。
ふうっとリディアが力を抜くから、慌てて支え直すと彼女が顔を上げる。
「先生?」
リディアの肩が震えている。、もう一度呼びかける。
「ハーネスト先生? ――リディア?」
「ええ、平気」
そう言ってリディアがようやく振り返る。
さり気なく呼んだ名は、聞こえたのか、流されたのだろうか。
「コリンズ……無事!? 怪我は!? ああ、ねえ……」
リディアが振り向いて、震える手でキーファの頬に触れる。
「はい、先生は?」
「私は平気よ……」
キーファは彼女の手を取る、ひどく冷たい。まだ震えているそれを包み込んで、胸に彼女を引き寄せる。
「コリンズ――」
「落ち着くまで、少しだけ」
キーファはどちらが、とは言わなかった。
ただ彼女が少しでも気が落ち着けばいいと、背筋に沿って手のひらをあてると、リディアはキーファの胸に顔を埋めてしまった。
ぎゅっと抱きしめてきて、背中を手でなでて、感触を確かめているようだ。
あんな目にあったのだ。普通は怖くて、すぐに反応などできるはずがない。
ただ教員としての彼女が前面にでているのだろう。それがなくなれば彼女はぷつりと糸が切れてしまうかもしれない。
「……ごめんなさい。……ありがとう。コリンズ」
こんな時でも名を呼ばないリディアに、キーファは少しだけ寂しく思いながらも頷く。
まだ震える小さな肩に気がついて、キーファは抱きつくリディアの背を守るように包み込む。こんなに華奢な身体で、いつも必死なのだ。
キーファは自分の手のひらを包む僅かな白い光の輪郭が、ゆらぎ消えるのを感じた。
そしてリディアがゆっくり身を起こしてキーファの腕を取る。
そのぬくもりと感触とが消えて、寂しく残念な名残惜しさだけが胸をかすめたが、キーファはリディアの好きにさせる。
光の刀身はなくなり、手の中には柄だけがあった。それは、内包する砂金を躍らせて、まるで刀身など最初からなかったかのようだ。
「――粛清の光。聖剣をあなたは発動させたのね」
「聖剣?」
「すごいわ」
リディアはふわりと笑う。
力が抜けて、優しさと穏やかさの垣間みえる無邪気な笑みだ。彼女が背後を指差すと、そこには真っ白に輝く大樹があった。幹は真珠のように不思議な光沢を放ち、緑の葉は瑞々しい。
「あなたは呪われていた大樹――つまり聖樹に呼びかけて力を借りて、聖剣を目覚めさせた。そして粛清の光で聖樹にかけられた呪いを清めた」
それから、とリディアは這うように前に進む。
キーファは慌ててリディアの手を取り制止する。彼女の目指す先は、倒れ伏すケイだった。
キーファはリディアの代わりにケイの脈をとる。
「寝てるみたいです」
ケイはうつ伏せになり、クークーと平和そうに寝息を立てて寝ている。
「あの聖剣……欲望も祓う力があるのね。ちょっと彼は――おかしくなっていたのかな」
だから、欲望にまみれた魔獣がリディアを離したのか、とキーファは納得した。
「ところで聖剣って……?」
「この剣の本当の姿なのね。私も知らなかったのだけど」
まさかそんな隠れた機能を持つ剣だとは思わなかった。
それにしても――自分がリディアに抱いている感情は見逃してもらえたのか、とキーファは柄を見ながら胸をなでおろす。
本気で大事にしたいと、守りたいと思っている。
が、そう思いたいのは自分だけかもしれない。
祓われないでよかった。この感情は――無くしたくない。
「ところで先生、手足を見せてください」
キーファは寝ているケイの手をぽいと放ると、リディアの側に座る。それよりも優先することがあった。
今はリディアの体調が一番気にすべきところだ。
キーファも、通信機を装備していたのだ。つまり、リディアと団員との会話を聞いていた。しかも、どうしてなのかウィルと同調していたリディアの意識も流れ込んでいた。
――キーファも健全な男性だ、しかも好意を持っている女性のこと。
相当際どい内容で何度も集中が途切れそうになったが、リディアの危機だと自分に言い聞かせて
というか、それに反応したら男として終わってしまうような気がした。
「だ、大丈夫よ」
「見るのは手足だけです。何もしません」
リディアの顔が赤く染まる。キーファはあえて、というか絶対に色々な会話を聞いていたことを漏らすまいと決めた。
だが、これだけはやはり流すことができないと、キーファは案じる瞳を向ける。
「服の下に違和感や痛みはありませんか?」
触手に大事な箇所に侵入されたか、とまでは訊けない。
だがリディアは女性だ。最後の侵入はなくても、あんな目にあったことは十分に酷いことで、彼女に対するフォローは大事なことだと認識していた。
終わったことだと、軽視していいことじゃない。
それにキーファはあの光景を、あの状況を許してしまった自分が腹立たしくて、今でも胸が憤りに満たされる。
「すみません。あんな目に合わせてしまって」
リディアは、キーファがどこまで知っているのか迷う瞳をしていたが、謝罪をすると顔を赤くしたまま勢いよく首を振る。
「あなたのせいじゃない。私の読みが甘かったの」
「――手を、失礼します」
いつまで待ってもリディアは見せることを固辞するだろう。
キーファは返事を待たずに、リディアの拘束されて赤くなった手首を持ち上げる。すると、リディアのうなじから、小さな蜘蛛が襟元へと落ちていくのが見えた。
「あ、蜘蛛が……」
「っ……、やあっ!!」
「背中に落ちて――」
「や、やだあ!!」
すばやく止めようもなかった。
リディアがキーファの腕を振り払い、ワンピースを脱ごうと捲し上げる。
白いお腹と、垣間見えたのその上の膨らみの部分……に、キーファはものすごく焦った。
「先生!!!! 脱いじゃ駄目ですっ」
何も着ていない。真っ白い肌はキレイで形の良い部分が見えて…キーファにとてつもない衝撃を与えた。
「だってだって!! とって、とって!!」
突然、リディアが背中を向けて、服をひっぱり襟首を大きく開いて見せてくる。うなじと、そこから伸びるなめらかな肩、白い背中。
「せ、せんせ――」
「早く見てっ!!」
泣き叫ぶような切実な声は、キーファに覗き込めと促している。
「お願い!!」
半泣きの女性のお願い、には逆らえない。キーファの頭はパニック寸前だった。
意を決して、覗き込もうとしたとき、突然頭を掴まれる。
「何やってんだ、てめえ」
抜き身の剣を手にして、恐ろしいほどの魔力を纏う男――ディック・リトラ。彼の魔法剣には陽炎のように魔力が漂い、今にも誰かを切り刻みそうだ。
「ディック、蜘蛛、蜘蛛っ!! なんとかしてっっ」
リディアが背を向けたまま泣き叫ぶ。
「おら、どけよ」
ディックは、キーファをむんずと掴んで後ろに下がらせて(本当に動かされたのだ、片手で)、俯いてうなじを見せるリディアの襟首から、迷いなく背中に手を突っ込む。
「ほらよ」
そして、動揺するキーファをものともせず、襟首から蜘蛛をつまみ上げて見せた。彼の手からは青い陽炎が立ち上がり、一瞬で蜘蛛を炭に変える。
「……あり、がとう」
振り向いたリディアは、声が震え、目が潤んでいた。今までで一番参っているという顔だ。
なんというか、その泣き顔に呆然として目を奪われて、キーファは世界が止まった気がした。
こんな状況なのに、可愛いと思ってしまう自分は、何なのだろうか。
だが、更にキーファが驚愕する出来事があった。ディックはなんと、後ろ襟を引っ張ったまま再度リディアの服の中を覗き込んだのだ。
「ま、まだ……いるの?」
「ん、いねえけど……確認」
リディアは怯えたまま半身を振り向き、ディックのその行動に異を唱えない。
「ね、ねえ?」
「リディ。――ヤられてねえよな?」
リディアの行動は早かった。
ばっとディックの腕を振り払い、彼から飛び退るように距離を取り、真っ赤な顔で睨みつける。その口が開き何かをいいかける。
しかしその口は何も言わない、代わりに半分怒っているような顔で、気まずげに黙り込む。
「後で、見てやるって言ったろ」
「い、言ってないよ!! 話聞いてやるって……言ってたけど」
「同意義。……で?」
「言わないよ!!!! もう、いいよっ!!」
「よくねーって。全部吐き出せ。何された?」
「だから言わないってば!!」
「――おい。何を、遊んでいる?」
ところがリディアどころか、ディックの顔色さえも変える、恐ろしい声が背後からかかった。
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