120.乙女の危機

*乙女にあるまじき危機ですけど、悲惨なことにはなりません。それでも苦手な方は、すぐにページをお閉じくださいませ。






『リディア、リディ!!』


 リディアは呼びかける声に目を開けた。何かに身体を掴まれて宙にぐいーっと逆バンジーのように振り上げられたせいで、目が回った。


 リディアは、めまいを覚えた頭を手で押さえようとしてぎょっとした。

 動けない。手足が全く動かない。


 蜘蛛の巣から逃れたはずなのに、なぜ?


 いや、なんかこう、周囲が生冷たくて、しかももぞもぞ、ごそごそ肌の下で何かがうごめいている。まるでシラタキの上に転がっているみたい。


 引っ張ってみると、ゴムとか弾性のある縄に捕らわれているような感覚がする。


(な、なに……)


 顔をめぐらすとイヤーなものが見えた。周囲には無数の白いミミズの形状のもの。

 リディアは吐気を堪えて、一度目を閉じる。


(落ち着こう、落ちつこう)


 まずは心を平静にして、今の現実を受け止める準備をする。

 現実逃避をしても意味はない、解決にはならない。


 今見たのは――そう、触手だ。たくさんのミミズ状のものがリディアの周りでうごめいていた。今も肌の下でざわざわしている。どうやらその中心に囚われたらしい。


 リディアは嫌々目を開けて現実を直視した。


 無数の触手の中。

 ミミズのようなそれは、細いものはリディアの指ぐらい。太いものは、手首ほどもある。それがざわざわしていて、さわさわと撫でてきたり、絡みついたり拘束したりしているのだ。


 噛み付かれる気配はないけど今後はどうだろう。


(イソギンチャク……?)


 形状はミミズ型、でも色は白。形態はイソギンチャク型。新種だろうか。リディアは触手の研究者じゃないからわからない。


 せっかくの新種でも、調べる気にもなりません!


「苦手だと言っていると、そいつに好かれるタイプだよな、リディアは」とシリルに呆れられたのを思い出す。

 虫系魔獣は何故か毎回、虫を嫌がるリディアにばかり寄ってくるのだ。


 じゃあ好きになればいいのか、と泣きそうな顔をしたリディアに、シリルは顔を歪めた。「虫だけじゃねーって」と。

 じゃあ何、魔獣!?


(あーもう、もぞもぞしてる)


 まるでイソギンチャクの中で戯れるクマノミになった気分。いいや、そんな癒される光景じゃない。

 手足を動かそうとするとより強い力でぐいっと引き寄せられる。


 繋がれた犬が飼い主に好き勝手するなと、手綱を引かれているみたい。伝わってくるのは怒り。やだやだ魔獣の気持ちがなんとなくわかるなんて。


 獲物が自由になろうと暴れることに純粋な怒りを伝えてくる魔獣に、大人しくしてたまるか、とリディアはぐいぐいと暴れて手を動す。

 と、手首だけじゃなく上腕にまでぐるぐるとぶっといチューブのように、いくつもの触手が巻きついてくる。


(やっばい、刺激したみたい)


『リディ、無……事か?』


 シリルの声が耳にはめた通信機から聞こえるが、通信状態が悪いみたいだ。それはリディアが魔獣の中に囚われているからか、もしくは何かの妨害か、それとも機器の故障かよくわからない。


「う……っ」


 リディアは問いかける声に返事をしようとしたが、声が出てこない。


“女、女、女だ、おんな、おんな――だ”


 どうやらリディアが出来るのは、目を左右上下に動かすことだけ。


(落ち着いて、落ち着いて……)


 ――症状は、先ほどからあった。蜘蛛か、それともこの触手かは不明だが、麻痺系の作用のあるものに触れてしまったのだろうか。


(呼吸機能は保たれているし、瞼も動く。重症じゃない、感覚もあるし、少しずつ回復している気もする)

 強い毒だと呼吸機能さえも麻痺に陥らされて、死んでしまう。


“女、女、女、おんな、おんな――!!!!”


 確かめようと身体に意識を向けたせいで、足指の先から太もも、わきの下までくすぐる様なうごめく感触に、リディアは顔を赤くし、ゆがめた。身じろぎしたいのに、できない。

 

 何よりも無数の柔らかいそれが全身に巻きつき、かつ撫でたり擦ったり、くすぐったりすき放題だ。

 こそばい。

 ちょ、わき腹はやめて。


(感覚があるってことは、弱い麻痺だ。そのうち回復する)


 恐らく拘束が強すぎて、動けないだけだろう。


(でも、口が動かないのはなぜ?)


 特殊な毒なのかもしれない。


「……こりんず、は」


 無数の触手から垣間みえる先では、キーファが魔法剣を片手にケイと対戦している。リディアは焦る、キーファを焚き付けてしまったせいだ。

 本当は逃さなきゃいけなかったのに。


『……アイツなら……問題ない』


 リディアは、腹や喉に力を入れるがやっぱり声が出ない。


(コリンズ、もういいから逃げて)


 その一言が言えない。


“女、女、女、おんな、おんな――おんなああああ!!!”


(――ああもう、煩い!!!!)


 先ほどから、何かの意識が興奮状態だ。無視していたが、ホント無理。


 しかも無数の触手がうごめいて、袖口や襟首から侵入し、肌の上を這い回り、そして下半身のワンピースをたくし上げてくる。こっちも無視していたが、ホント無理。


 リディアはぎゅっと目をつぶる。軽く涙が滲む。

 魔法が使えたら、自分ごと火で焼いていたかもしれない。


 感覚が回復したら、こいつ焼いてやる、ぜったい。


『通信……が、……よく……ねえ。きこえるか……瞬きしろ』


 ブンと微かな風のうねりが聞こえる。シリルの声に続いて、虫目がリディアに近づく。

 小さな羽虫の形態だが、リディアの顔を写しているのだろう。


 リディアはシリルの声に“瞬き”をする。


『蜘蛛の化けもんは、あの木に寄生しているらしい。学生に木を攻撃されそうになって再覚醒しちまった。とはいえこの蜘蛛、今は喰ったコカトリスアメーバに乗っ取られているみたいだな』

「な……か、おんなって、さわ……いでる」


 なんで、この触手アメーバコカトリス+蜘蛛は、リディアというか、女に執着してるの?


『そっりゃ、古ぼけた木なんかほっといて、リディアを食いたくなるだろ。誰でもそうだって』


(――だれでもって、魔獣ですけど!)


 虫とか魔獣にモテるとか、嬉しくないよ!


 断じてそんなものを惹きつける要素はないと言い張ります!


『ライフルはアメーバに効かねえし、一斉攻撃は全員黒焦げにしちまうだろ。地道に少しずつ蜘蛛の巣を駆除しつつ進んでいる、もう少し辛抱できるか?』


 少しクリアになっった音声に、リディアは口を動かした。


「コリンズと、ベーカーは?」

『キーファ・コリンズは、ケイ・ベーカーに聖樹が焼かれるのを防いでる。ヤツに任せる』


 リディアが彼に頼んだからだ。確かに、キーファがリディアの剣をかざして必死に防いでいる。

 

 リディアは「もういい」と彼に伝えたい気持ちを飲み込む。シリルたちだって、キーファが防げるかを図っているのだ。やめさせるのは簡単だ。でも彼の実力を見定めて任せるのも必要なこと。

 

 リディアは少しずつリハビリのように力を込めて動くようになった首をめぐらして、自分の境遇を観察する。

 無数の長い触手がうねうねとしているが、目を凝らすとこの魔獣、本体は蜘蛛で足はスライムだ。         

 リディアは何とか声帯に力を入れようとするが、中々回復しない。こんな口じゃ、請願詞は唱えられない。


(それにしても)


 先ほどキーファは、この蜘蛛の頭部を切り落とした。そこから粘液が溢れて、爆発して、シリルの攻撃を受けて、まぜこぜの魔獣になった。

 こいつは、頭がなくなったはずなのだ。


“女だ、女だ、女――はあ、はあ、はあ”


 頭がないはず。

 なのに先ほどからリディアの顔の横で、はあはあいう変質者の息遣いが聞こえる。なぜ?


 見たくないけど、現実をそろそろ直視する時期がきてしまった。

 リディアが目だけを向けると、にたありと笑う顔。


「ひっ」

『リディ、どうした?』

「あの、その……」


 思わず顔を逸してしまったけど、もう一度見る勇気がない。

 ああでも、たぶんわかる。だって、そっちに顔を向けなくても、なんかが顔を、頬を擦り寄せてくる。


(ジョリジョリするのは、髭?)


 きもい、きもすぎる!!


 そう、蜘蛛の頭部の代わりに人間の親父の顔がつけかえられたみたい。

 どうやらコカトリスのアメーバ遺伝子は、すばらしい融合をみせたようだ。


 ”はあ、はあ、はあ。女、うまそうだ“


 親父がリディアの耳元で囁いて、そしてれろれろとリディアの耳を舐めた。


「……!!!!」


“かわいいのお。生娘か? うまそうな魔力じゃ”


 もう叫び声もでません!


 背筋がぞくぞくして、嫌悪感なのか悪寒なのか、全身に震えがはしり、リディアが身をすくめた途端、触手の先端が更に侵入をこころみて、太ももを這い上がる。


「シリ……ル。も、お、むり」

『リディ。火炎放射器をもって行く。お前、シールド張れるか?』


 それどころじゃない。

 もうこっちは、色々大変なんです!


 だって……。

 リディアは、一番の懸念事項を吐露した。


「……ぱんつ、はいてない」


 ぐすっと涙声が漏れた。ボディスーツつけてればよかった。激しく後悔している。


「……」


 沈黙が返ってくる。いや、ざわっとした気配がある。


「リディ!! しっかりしろ。焼き尽くすから、シールドを張れ!! お前なら出来る」

「ディック……」


 きいてたのお。


「感覚遮断しろ」


 そんな魔法、ないよねぇ……。


「ディック……もぞもぞする。……変な気分になってきた」

「ちょ、後で! 後で聞いてやるから! 俺も変な気分になるからヤメテ」

「で、でも」


 触手の先端が、ざわざわと撫でてくる。

 満員電車の痴漢よりも気持ち悪い。あれもスカートの中に手を入れてきたが、こいつはもっと大胆だ。


  物体付けてちょっとずつせり上がり、太ももの付け根を目指す。

 ……やばい、上までもうすぐ。


「と、到達しちゃう」

「……」

「あ、ちがっ、私じゃ……なっ」


 リディアは自分の発言のまずさに気づいた。そうじゃない、やつです、やつが上まで来ちゃうって意味。


 ざわめいていた向こう側がぴたって沈黙しながらも、みんなが固唾をのんで聞き耳をたてているような気配。 


 ちゃんと否定したいのに、変な感じで声が出ない。


 触手はご丁寧に足先を愛撫してくれる。

 現地民と同じサンダルはいつの間にか脱がされていて、足指の先をくすぐり、足の指に巻きつき、くいくいひっぱる。 


 なにこいつ、足フェチ? 

 リディアの足がお気に召したみたいで、丹念に足指の間をしつこいくらいに丁寧に執拗に愛撫するから、足先がピンと突っ張る。


「っ、あっ……ん!」


 や、やだ、変な声でた。ディックの上ずった声が伺ってくる。


「……い、イッた?」


 ってません!!

 リディアは唇を噛む。もうしゃべらない、声出さないっ。


「て、ボス。――やめろ、アンタがやったらこの砂漠どころか、国が焦土になる!! エルドリアを火の七日間にしたのを思い出せ!」

「リディア、シールド張れ」

「むりだって。リディも学生も黒焦げになる」


 ディアン先輩……きいてたのぉ。


 恥ずかしさでもうわけわかんない。リディアは目をギュッとつぶる。


“無駄じゃ無駄じゃ。地下に眠りし、我が子達が放たれる。この地は我の子孫で満たされる”


 うほうほと親父が喜んでいる。どうやらこの親父、ウンゴリアントなんていう高位魔獣を吸収したせいで会話が理解できる知能を得たらしい。


 もう嫌だ、酔っぱらいジジイが宴会で騒いでいるみたい。

 

 というか、なにそれ。

 何をしようとしているの?


“さあ孵れ!!!! 地下に眠りし我が子たちよ!!!!”


 仰々しく魔獣親父が宣言するが、返ってきたのは沈黙。


 しかも、その沈黙が長い。

 地下からも、通信機の向こうからも反応がない。


 待ちぼうけのままのリディアと魔獣は置いてけぼり感が半端ない。


 魔獣と一緒にリディアも不安になってきた。


 そんな中でも盛んに動くのがこのイソギンチャク。っていうか、このもぞもぞなんとかして。

 

 でも、だんだんこの拘束に慣れてきたような気もする。


 不意に、ひょろろと矢が飛んできて、魔獣の足もとに刺さる。

 一度刺さったそれは熱かったらしく、親父が蜘蛛の身体と触手とスライムの足をもにょもにょさせて身悶えして、大騒ぎをする。


“アツ、熱っ!! なんだ火傷するではないか!!”

 

 ジュッと燃えてスライムの一部分が蒸発したみたい。

 それを消そうとして転がるから、リディアも揺らされて酔いそうになってきた。

 

 うぷ。三半規管が弱いので、乗り物酔いしやすい体質なのです、やめて。


『――あー。ちょい、こっちも紛糾してて。んで、えーとなんだっけ』


 シリルのボケが聞こえる、わざと?

 あまり挑発しないでほしい。


“つ、この恐れを知らぬ人間が!! 蘇れ、蘇れ――恐れろ、全てを虚無に返す。全てを喰らい尽くせ我が子らよ!!”


『あ、それだけど地下のお前の子ども、全部燃やしちまった』


 シリルがサラッという。


『わりいな。けど子どもをほっとくお前が悪い』


“おのれ……おのれおのれおのれ!!”


 ああ、何かわからないけど、この魔獣が呼び出そうとした何かをすでに退治したのね、なんてリディアがホッとするのもつかの間。


 リディアに魔獣の怒りが伝わってくる。ぶわっと魔力が膨れ上がり、身体も大きくなったかのよう。


“おのれ、おのれ、おのれ、おのれ――みておれ!! 我が分身があれだけと思うな”

 

 蜘蛛が、親父がいきりたつ。

 いきなりスライムの足で、腹を見せて仁王立ちになる。


“ならば、この娘を孕ませてやろう!! 我が子孫の苗床として利用してやろうぞ!”


 いきなり、なんツー宣言!!


 乗り物酔いで気持ち悪くなっている場合じゃない。リディアはギョッとして、触手から離れようと手を動かす。


 少しだけ感覚が戻っていた。ぶちぶちと触手をちぎり離れようとする。

 だがすぐべつ触手が絡み付いてくる。


 そして逃げられないまま奮闘をすることわずか。


 親父がカポッと大きく顎を開く。

 リディアの真横だ、当然見てしまう。


 だが、そこには大量の蜘蛛の幼生がびっしりとこびりついていた。


 ぞろぞろぞろぞろと、口から蜘蛛の幼生が溢れ出てくる。


“我が子よ。魔力を喰らえ、世界を覆い尽くすのだ!!!!”


 うごめく蜘蛛がぞぞぞと移動し、リディアに向かってくる。手に足に乗り上げてくる有象無象の蜘蛛の幼生たち。

 

 その瞬間、リディアの意識が暗転した。


 

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