111.再教育

「魔力補充薬を忘れたんだ」


 リディアがバーナビーを天幕に呼び入れたと同時に、彼は告げる。


 リディアは他の生徒は実習を続けるようにキーファに命じて、バーナビーだけをリタイヤさせた。

 彼の顔色は悪い、だがその自己申告に僅かに違和感を覚えた。


「次の服用時間は何時?」

「本当は過ぎている、あと二時間ぐらいしか持たないかも」

「体調は? 病院へすぐ行きましょうか?」

「低魔力の症状はないよ」


 リディアは血圧や脈拍数などを取り、血液を採取することをバーナビーに告げる。


「緊急時だから、私の権限でリタイヤさせることになる。一応及第点はもらえると思うけれど、最終決定は学内の会議で決めるわ。場合によっては、レポートや何かを提出してもらうかもしれない」


 頷く彼に、転移陣へ案内しようとすると、彼が首を振る。


「ところで。呼びかける声が地下から聞こえるんだ」


 バーナビーがわずかに微笑みながら告げる。

 顔が白い、予知をすることで魔力の消費を増し、体調に影響はしないだろうか。


「人じゃないから、複雑な会話はできないよ。ただ“ここからでたい”って言ってる、何かが蘇ろうとしているのかもしれない」


 副団長のガロは、ディアンについてスルタン達と交渉に赴いている。


 ディックが何? とリディアに問うように視線を向ける。


「バーナビー・オルコットは予知の力があるの。その他にも不可思議な能力があるの、彼の言葉は確かだと思うわ」

「魔獣の巣があるって、団長は予想してたな」

「……地下のダーリングは平気かしら」

 

 ウィルをリディアは案じる。

 彼はシリルといるはずだが、どちらからも連絡がない。


「殺したって死なねーだろ」

「シリルがついてるから、大丈夫だと思うけど」

「埋めちまえ」


 リディアは、ディックを睨む。

 ウィルのことを心配して下さい。


「――そいつらを眠らせておくことは可能か?」


 見送りが終わったのだろうか。

 不意にリディアの横に立つディアンの声に、自然に肩が跳ねた。


 ――接近するまでは気配がない。なのに存在を認知させると、全ての注目をかっさらうのだ。


「頼めば寝ていてくれるかもしれない。でも、お腹をすかせているからすぐ起きちゃう。彼らはこの次元に送られてきているから、ここで繁殖をしたいんだよ」


 だが、バーナビーは全く動じていない。穏やかで自分のペースで述べている。


 ディアンは、バーナビーの謎の説明も理解しているようで、「だろうな」と頷いている。

 どういう魔獣ですか?


「倒すしかねーな」

「あと人間もいる。二人だね。ウィルの気配だよ」


 リディアは目を瞬いた。そこまでわかるバーナビーはすごい。


「つまり、シリルがいるっていうことね、良かった二人共無事で」


 ちっとあからさまに、ディックが舌打ちする。


「アイツ、しぶといな」


 ウィルを心配してください。


「正確な場所はわかるか」


 問われるとバーナビーは頷く。

 ディアンは天幕後方のホログラムの立体地図を示す。現在その映像では、地下空間の予想図を作成し解析している。


「あっちに行って、その位置を教えてこい。ガロに説明しろ」

「副団長。手短にお願い。早くオルコットを返してあげたいから」


 年配で貫禄のある副団長にリディアは頼む。


 バーナビー・オルコットの魔力欠乏症は、血中の魔力素が低下すると深刻な症状を引き起こす。


 ガロが彼を首都の病院へ送り届ける算段をつけているのを聞いていると、その当の本人がひょろりとやってきて、リディアを案じる眼差しで見下ろす。


「リディア。何度も言うけど、心を繋いで。そうすれば乗り切れるよ」

「オルコット?」


 赤い瞳が優しげに微笑む。彼は屈んでリディアの頬に口づける。


「!」


 柔らかい感触に驚いていると、「頑張って」と告げて彼は離れる。


「一応、魔除けだよ」


 キスもさりげない。

 その後も未練も何もなく離れる仕草は自然だ。


 性的な接触は何も感じず、本当に魔除けのおまじないかもと、リディアは目を瞬く。


 ディックが振り上げていた拳を、虚をつかれたように行き場を無くして下ろす。ムスッとリディアの頬に手を伸ばし、ぐいと拭おうとするから顔を引く。


「は?」

「え、拭いたら魔除けの意味ないし」

「はあ?」


 ディックはその手で、リディアの頭を小突いた。


 なんで!


「俺はお前の教育を間違えた気がする」

「なんで!?」

「もっと男の怖さを教えておかなかったことを、後悔している」

「知ってるけど!?」


 ディアン先輩も、ディックも十分怖いけど?


 ディックはリディアの頬を指でぐいと問答無用で拭うと、耳元で囁く。


「ちなみに、俺の後ろでチクチク恐ろしく冷ややかな魔力を向けてくるボスが俺も怖い」


 ごめんねぇ。


 ディアンは、リディアが警戒を怠ると昔から結構怒る。

 わかってます。気をつけますってば。


 でも、改めて言えないし、過去のあのことも聞けないし、つい不自然に顔をそらしてしまう。


 画面の向こうでは、ケイがリタイヤできなくてプンプンしている。


 リディアは、彼らの様子をモニター越しに見ていて、口を開く。


「目標地点まであと二キロ。魔獣との遭遇があると思われますが、そのまま実習続行でお願いします」


(ケイのリタイヤ希望は無視。あとで、苦情を申し立てしてくるだろうけど)


 彼らの生体データーは、異常なしだ。中止にする理由がない。


 学生の体力と魔力が残り少ないけれど、彼等の意気はくじけていないし、むしろ今ここで中断させないほうがいい。


 危機的状況になれば即介入、その対応でいいだろう。 

 ウィルの方は、シリルが付き添っていてくれるからまず問題ない。彼女は無双だ。


(これで誰かが怪我でもしたら――問題になるかもしれないけど)


 リディアが頭の中で自分の判断を振り返っていると、ディアンが淡々と横で口を開いた。


「この地で何か問題が起きれば、それは俺の責任だ。お前は学生の体調と魔力の残りに気を配れ」

「――ですが」

「大学は、実習先の意向に沿う、そう契約を交わしたはずだが?」


 リディアは黙り、「ありがとうございます」と頭を下げた。


 実習先では、「学生の安全は守れないので教員が見張っていて下さい」なんて言われることは当たり前。

 実習で何か問題が起きれば、現場の人間が学生についていても「教員は何をしていたんだ」と、現場から教員の責任とらされる。それが実習の実態だ。

 

 防げなかった自分たちの責任、なんていってくれる現場の責任者は少ない。

 リディアは息を吐いて、拳を握りしめる。


「この周囲で、何か感じ取れるか?」


 不意に投げられたディアンの問いに、リディアは地下や周辺に意識を飛ばす。そして首をふる。


「淀みは感じますけど、わかりません。人じゃないので意識がないと……」


 リディアの能力は人の意識を捉えて魔力を同調するもの。魔獣とは同調できない。


 だが、違和感というもので淀みを覚えるのは、学生に進入禁止を言い渡した地帯。


 地域の民でさえも入るのを拒んでいる箇所だ。

 危ない、そこに近づくな、の一点張りだったが、先程の会談で、ようやく“御霊沈めの儀式”とやらを行ってくれるところまで、ディアンがこぎつけた。


 長老達がそれを終えれば、土地に入ってもいいと言われたので、団員たちはそれ待ちだ。 


 一応監視カメラと虫目を飛ばしてを注意を払っているが、その地はただ巨木があるだけで、何の動きもない。


「地下のシリルの位置が確認できた。部隊を送る」


 報告をしてくるガロにディアンが頷く。

 リディアも立ち上がり、中途半端な姿勢で、ウィルの救助に自分も参加しようかと迷う。


「リディ。聞くが、キーファって奴が持ってる魔法剣、お前貸したの?」


 ディックが、不意に学生を写すモニターを指差し、問いかける。

 リディアは振り返り、頷く。画面には行程をこなす学生たちがいる。


「あげたの。役に立つと思って」

「は?」


 ディックは思わずといった様子で立ち上がり、ディアンはマップを確認していた視線をちらりとリディアに向けた。


「あれ、やっちったの!?」

「うん」


 リディアが言うと、ディックは絶句してそれから唸る。


 ごめん、そういえばディックは魔法剣マニアだよね。

 短剣は彼の好みじゃないけど、もしかしたら、欲しかった?


「じゃなくて。あれ、超レアアイテムじゃん。黄金期のってそうそうないぞ。お前の初任務で手に入れたもんだろ」

「そうだけど、私はもう十分命を助けてもらったから。きっと彼の命も助けてくれるんじゃないかなって」

「お前な――」


 ディックは、これ見よがしに大きくため息をついて、それから頭を振る。


「私もそうやって助けられながら育てられたから。次に、繋いでいくものでしょ」


 ディックはもう一度だけ大きく息をはいて、ディアンに目をやって、それから頷いた。


「私はここで育ててもらったからね。忘れてないよ」


 ディックは、わずかに目元を緩ませて、ふって笑ってリディアの頭に手を伸ばした。

 昔みたいに、髪をクシャクシャにはしなかった。

 

 ただ頭にぽんと手が置かれる。


「お前の感謝は受け取った。でもなあ。リディ」


 いきなり声に凄みが入る。


「俺はお前の教育をやり直すことにした。まずは行動だ!」

「ええ?」


「其の一、モノはやらない!」


 あげてないよ。実習に必要なもの以外は。


「其の二、ボディタッチ禁止!」


 してないよ。治癒以外の時は。


「其の三、野郎と一緒の空間禁止」


 なってないよ。指導の時以外は。


 ディックは、リディアのふんふんと頷く顔を見て、頭を両方の拳で、ぐりぐりしてくる。


「――ぜんぜんっ、聞いちゃいねえ!!」

「聞いてるよ!」

「わかった。お前にはこれしかねえ。野郎とは金輪際、会うな。女子だけ教えてろ」

「学生、男子しかいないし」


 ディックが眉を吊り上げる。顔に凄みを増す。


「――なあ、リディ?」 


 頭を掴むその手を、どかそうと頭に手をやると、ディアンが背後に立つ。


「――楽しそうだな」

「いえ、そうでも」

「楽しくねーよ、俺は怒ってんの!」

「俺も全く楽しくないが、お前らにも共有させてやる」


 ディアンは、交渉の成り行きがかなりご不満だったようだ。

 魂鎮めの儀式は、まだ始まらない。天候が良くないからと、明日に持ち越しになりそうだ。 


 ディアンがモにターが立ち並ぶ一角に立ち、一画面をトンと指の背で叩く。


「コレをどうする?」

「は?」


 ディックのリディアで遊んでいたその顔が怪訝そうに顔を顰め、ついでに、ハッと顔色を変える。

 慌てて身を乗り出し、モニターを監視していた他の団員と言葉を交わす。


「こいつ、どうやって?」


 画面中は、無人であるはずの土地。

 焼け焦げたような枯れた大地に、地面を這うようにうねる根を伸ばす巨木。聖樹というより、呪いそのもののような大木。


 その下に、小柄な人影が映る。


 そこに人が映るのはありえない。


 地元の民が立ち入り禁じている地だ。


 その中央に位置する聖なる大樹に歩んでくるのは魔法師団から支給されて、馴染まない様子で特殊外套を着ているというよりも着らされているという様子の華奢にも見える男子。


「まさか――ケイ? ケイ・ベイカー!?」


 ディアンが首肯した。


「つまり、――実習中止だ」


 ディアンの宣言と同時に、リディアの懐の中が振動した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る