110.リタイヤ
騎獣を降りたリディアは、部族との会合を終わらせた彼等のもとに足を向けた。
砂を踏みしめて、ディアンの背を見つける。
真っ白いカンドゥーラをまとうスルタンに負けていない貫禄。そして、天幕からでてくる部族の長老を見送る姿も堂に入っている。
彼らは何度も何度も面談に明け暮れてきた、今日でようやく決着がつくらしい。
地位で言えばスルタンが最上級だろう。だが年長者という対場を重んじれば、長老が一番敬われるべきもの。
その絶妙なバランスを察知して、ディアンは部族が大事にする掟を重視し、禁止区域への立ち入りを乞うため、スルタンに調整を願い出ていた。
彼らの会話は、まず挨拶で半日が終わる。何回も会話を重ねて、ようやく交渉に挑めるのは、何日も何杯も茶を手に共に時間を過ごしてからだ。
砂漠の民の住まう地を担当するディアンは、その根気が求められる交渉術に慣れていた。
この実習前、部族の紛争のときから、ずっと関係を築くべく、茶を交わしてきたのだ。
そうしてようやく今日、本来の目的である禁止区域への立ち入りと、彼らにとっての“聖樹”への接近が許される。
ディアンのマントに隠れた背中は、逞しい。
長老のある種の年月を得た者が得られる徳を放つような雰囲気や、スルタンの堂々とした王者の振る舞いにも負けず、同等かそれ以上の気配で立ち回り、認められている。
団員たちの中では、飛び抜けてボリュームのある身体ではない。
けれど、筋肉質の腕や足腰で、魔法を使わずとも白兵戦をこなしてしまうのだ。
蹴りや拳を難なく受け止める体躯は、びくともしない。
知らない所で、まだ――守られている。
リディアは痛いほどそれを実感している。
何を言えばいいのか。
(何も、言えない)
いつものように、ずっと何も――言えない。
背中を見つめるしかない。
第二の仮指令室と化した背後の天幕から、モニターを監視していた団員が呼びかけてくる。
「リディア。教え子が、なんか呼んでるぜ?」
「待って、何?」
リディアは、ディアンの背中を見送り、意識を実習に戻した。
「――声が聞こえる」
ウィルが穴に落ち、マーレンがリタイヤ。
残りの生徒たちは、目的地を目指して残りの経路を消化するべく奮闘していた。
バーナビーの言葉に、キーファが顔を向ける。一瞬、脱水症状などで錯乱しているのではないかと思ったが、そうではないようだ。
「地下から。呼んでる」
「ウィルか?」
先程穴に落ちた仲間のウィルじゃないかと問いかけたが、バーナビーは当たり前のように首を振る。
「人間じゃないよ、魔獣かな」
げ、とチャスが呟いた。
ケイが鼻にシワを寄せて、苛立ちを露わにする。
いつも人形のように作られた顔を見せるケイにしては、あまり見ない表情だ。キーファは驚いていたが顔にはそれを出さない。
「もういい加減、魔獣なんてうんざりだよ! 他の領域は、用意された魔獣なのに、なんで僕らだけ砂漠で退治なの? あの女のせい!? 魔法師団にいたからって、こんなことさせてさ!!」
「お前。倒してやるって自信満々だったくせにさ」
チャスが言うと、ケイは完全無視した。
キーキーいうケイだが、実習前は「僕の足を引っ張らないですよね」なんて言っていたことがキーファの頭を過る。「第一師団にスカウトされちゃうかも」とも。
それにしても、ケイの苛立ちが激しい。過酷な地で本性が現れたのかもしれないが、取り繕う様を見せないのが、些か不自然な気がする。
キーファの中でケイに対する警戒が募る。
「課題としては大きすぎるかもしれないが、既に出発した後だ。魔獣は俺たちの事情に頓着はしてくれない」
「マーレンの暴走の時の魔獣退治って件数になる?」
キーファはチャスの問いにわからないと首をふった。
「チームでの評価になるだろう。マーレン一人で倒したものが、マーレンだけの点数になるわけじゃない。けれど、彼の暴走が討伐になるかどうか」
「じゃあ何さ、あんなに苦労してまだ、一件にもなっていないの!?」
ケイが叫ぶ。
「お前何もしてねーじゃん」
チャスのツッコミに、ケイは凄まじい形相で睨みつける。
だがぷいっと顔を背けると、不意にケイは大声で叫びながら手を振る。
「僕、リタイヤします!! 継続不可能ですっ、もう無理です! 先生っ!」
全員、顔を見つめ合う。
何もおこらない。キーファの衛星電話が鳴る様子もない。
そんな中、バーナビーが先程よりも更に弱々しく微笑む。
「ごめんキーファ。薬忘れた」
キーファが何かを言い出す前に、バーナビーが続ける。
「実習続行は無理みたいだ」
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