96.三度目の


「っ……!」


 何がなんだかわからない。目が回る、歯を食いしばり、ウィルはなんとか状況を把握しようとする。

 

 眼の前に蛇の頭部が迫る。デカイ、ものすごく。

 そして眼下には地上――。なんと空を飛ぶコカトリスに連行されているらしい。

 

 まだキーファたちより少し高いぐらいだ、恐らく十メートルはない。

 

 ウィルがいるのはコカトリスの口の先。嘴に上着が引っかかって、ぶら下がっているだけの絶体絶命。


 しかもうねうねと巨大ヘビが頭を伸ばしてくる。

 今回のは資料の通り、一般的なコカトリスの形態。セオリー通りの頭は鶏、尾は蛇の合体だがちっとも嬉しくない。

 

 そいつは、しきりにシャー、シャーとウィルを威嚇し、不気味な爬虫類系の瞳でウィルを睨みつけて、丸呑みしようと狙ってくる。

 

 しかし、ぶらぶらと揺れるウィルを捕まえられないらしい。


「――ダーリング、ウィル・ダーリング!! 飛び降りなさい!!」


 その声――凛として張り詰めた厳しい口調。なのに、耳にその声が届いた途端に、胸が波打って心臓が煩くなる。


「リディア!」


 下から見上げてくるのは、リディアだ。ウィルは半分脱げかけていた上着を、袖から脱ぐように外して掴まる。

 引っかかっているだけの上着に掴まるなんて、非常に危うい状況だ。しかしそれは数秒程度のこと。

 ウィルは、振り子のように己の身体を揺らして、タイミングを見計らい短剣を突き出し、蛇の首に突き刺すようにしがみつく。


 当たり前だが、とたんに暴れだす長い首。


(くっそ、うまく掴まれない)


 鱗の合間に剣が突き刺さっているが、くねくねと曲がる蛇の首は予測不能な動きで、ウィルを振り回す。


 先ほどの小さな蛇のときのように、魔力を注げば体表を焦がし殺すことが出来るのではないかと思ったが、大人しくそんなことはさせてくれない。

 

 地上までまだ高い。飛び降りたら大怪我だろう。

 

 そして、先程の魔法陣の中央には暴れるおっさんコカトリス。だが外縁は点滅し、今にも効果が消えそうだ。まだ最後の仕上げがあるというのに。


「――後は、こちらに任せて! 飛び降りて、受け止めるから」


(受け止めるったって……)


「アンタ、女だろ。役割反対だっツーの!」


 ウィルは、揺れながら懸垂の要領で蛇の胴体を登る。

 向かい合いウィルを狙うコカトリスが大きく口を開いた途端に、脚力で蛇の胴体に足で絡みついて、コカトリスの鶏頭に叫ぶ。


「くっそ!! もったいねーけど、受け取れよ」


 左腕の組紐を引きちぎる、そして右手ごと口の中につっこむ。嘴が服をひっかき、喉の生臭い息が顔スレスレにかかり、吐き気を催したが、できるだけ喉の奥に押し込んで、手と足を離す。


 地上へと落ちていく感覚。

 足を丸めて、なるべく衝撃を減らそうとした――身体がふわり、と浮遊感に包まれる。


 リディアの顔が近づく、真剣で必死な顔。


 この瞬間、永遠にも思える。ウィルはリディアの身体にしがみつくと、そのまま覆いかぶさるように押し倒す。


「ちょ、何」

「魔石、突っ込んだ!」


 背後の空で急速に熱が高まる。あの実験室での暴発と同じようなやばいという感覚が、ざわざわと胸を騒がす。


 リディアが驚きから一変させ、真顔になる。彼女が庇おうとしたのか、上になろうとウィルの背中に手が回るから、そのまま地面に押し込んで彼女を拘束する。


 リディアは表情を変えなかった。意識を切り替えたのか口がすばやく動く、何かの詠唱をしているらしい。

 強風が拭き上げて、砂が周囲で吹き上がり、視界が不明になる。

 全身に砂礫が降り注ぐ、埋まりそうにな勢いだ。 


 けれど周囲の熱がいきなりなくなる、ひんやりとした清浄な大気が満ちる。風が自分たちを中心にドームを描くように、暴力的な力を排除し、外からの刺激を防ぐ――結界のようなものが自分たちを守る。

 リディアの魔法だ。

 

 リディアの目がウィルを通り越し、空へと動く。

 

 その動きを見て――ウィルはリディアの唇を奪った。


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