95.魔法陣発動
廃墟の広場跡にぽつんと一人、芋虫の粘液がついたチャスの外套を羽織って立つ。コカトリスは巨大芋虫を餌だと思っていたのだ、匂いに反応してくるだろう。
(リディア、見てるか?)
ウィルはわざと左手の手首を晒して、組紐で編まれた赤い石を見つめる。
リディアがこの光景をモニターで見ていることを意識しながらも、一瞬それは意識の端に追いやり集中する。
魔石に右手を重ねて、目を閉じて深呼吸。
砂混じりの熱い風、空からの灼熱の光を感じる。そして自分の中の熱いうねりが右手から溢れて、触れた石へと魔力が移っていく。
高まりすぎた魔力の放出。定期的な行為だ、このあと、魔力を出しすぎないための処置。
――リディアの顔が眼の前に浮かぶ。
翠の目は、じっと見つめてくる。なのに媚びたり、意味ありげな眼差しをしてきたことがない。むしろ怒っているか睨んでいるか、たまに心配げなときもあるけど、すんごく綺麗な宝石のような色だなといつも思っていた。
その目の中に特別な感情が含まれたらいいのに。愛しげに笑いかけてくれたらいいのに。
(結構――重症じゃん、俺)
自嘲の笑みさえ湧いてこない。
自覚と同時に、何故か心の中は静まりかえっていた。
目を開けると、血よりも濃い紅い石が静かに組紐の中に収まっていた。まるでずっと昔からあったみたいに、今はこの腕に馴染んでいる。
その腕を持ち上げて、石に口づける。
「んじゃま、やりますか!」
(リディア、見てろよ!)
空は、真白く強い日差しを投げかけている。そしてゴミのような黒い点が――いくつか。一つじゃない、複数だ。しかし一匹だけ抜きん出て早いやつがいる。
「きたきた、おっさんが来た!」
チャスが、見事に奴と――仲間を連れて来た。
腕の中には、橙色のカボチャ――ではなく、吸血芋虫。逃げる最中、途中まで持ってきていたらしい。けれど余裕がなくなり途中で投げ捨てた。そいつを回収してコカトリスをおびき寄せてきたのだから、すげえとしかいいようがない。
なんでそいつを持っていたかと言うと、この砂漠の魔獣は特殊らしく、何か一つは持って帰って売りたかったらしい。よく自分の命を狙った吸血芋虫なんて持って帰ろうかと思うよな。
前のめりになりながら走るチャスの頭上を、ぼろぼろの翼のおっさんコカトリスが「ぐげええええ」と雄たけびを上げながら、追いかけてくる。
「チャス、こっちだ」
ウィルは、チャスの姿を見つめたと同時に屈んで魔法陣に手を置く。
最後の仕上げ、外縁の両端を蝋石で描いて繋ぎ合わせる。これにより円は成され、魔法陣は完成となる。そのまま、魔力を注ぐ。
「ちっくしょうううう!!」
チャスの背を掠めるように、コカトリスの嘴が急降下してくる。チャスは、吸血芋虫をウィルに投げつけてくる。かろうじて魔法陣から手を離さずキャッチして、それを陣の中央に置く。
「マーレンいまだ!」
「“裁きの風、東から吹きし災厄よ、醜きものを地に這わせよ”くらえ!」
マーレンが、異様に血走りぎらぎらした眼差しで、手で振り払う。その動作に合わせてごうと鳴った強風が、コカトリスの身体を横なぎにする。
「つ、わっ!!」
横なぐりじゃなくて、上から叩けよ、と一緒に転がりかけたウィルは焦る。体勢をくずした化物は、地面すれすれには翼をはためかせて、空中で起き上がる。
奇しくもウィルの背を翼が掠めそうになり、慌てて身を伏せながらもウィルは魔力を注ぐ。
「くそ、魔法陣に来やしない」
コカトリスが上昇してしまう。キーファが
「ウィル、逃げろ!」
(くっそ、まだ魔力が満ちてない)
水が枯渇しすぎた地面のよう。いくら魔力を吸い込ませても表面を滑り、吸い込まれていく感触がない。
ウィルは左手で魔力を吸い込ませたまま、右手で砂の軟化術式を書く、ようやく魔力が吸い込まれていく。
「ウィル!! 五十秒だ!」
「くそ、まだなんだよ」
マーレンの作った強風が叩きつけてくる、ウィルは転がりそうになりながらも魔法陣に触れた手は離さなかった。その強風に煽られて、コカトリスが魔法陣に落ちる。
「やった!」
チャスの声、だがまだだ。コカトリスはばさばさ翼を夢中で動かし、逃げようともがいている。
まだ魔法陣は発動していない、このままじゃ逃げられる
ウィルは素早く内部に線を引き、絡め取る蜘蛛の糸の印章を描く。
「ウィル、一分だ、もういい!」
魔力の放出は四十秒まで、というのはリディアとの約束だ。それ以上は暴走するから禁止と言われていた。それを知るキーファが静止する。
「キーファ!! 奴らがたくさん来るよ!」
キーファが珍しく焦った顔で、バーナビーの声に空を振り仰ぐ。
ウィルも目を向けると黒い影が群れをなして、こちらに降下してくるのが見える。
キーファが素早く矢をつがえて、構える。
マーレンがなぜか高笑いをして、両手を振り上げる。
ケイは姿が見えない。
(ここを離れらんねえ!! でも諦めるしかないのか)
もはや一匹のおっさんコカトリスに構っている場合じゃない。せっかくやつを仕留められそうだか、まだ時間がかかりそうだ。
「ダーリング! まだ魔力を注いで大丈夫! 私が見てるから!」
突然、中央通りの向こうからリディアが声を張り上げて、駆けてくる。
「私があなたの魔力をスキャンしているから任せて! 魔力を一瞬でいい、叩きつけて」
リディアの言葉にウィルが思いきり魔力を魔法陣に叩きつけると、ガッと魔法陣の外縁が炎を出現させ燃え上がり、直後に消える。
続いて冷却魔法の発動、真っ白い冷気が噴出し、魔法陣の内部を凍らせる。ウィルは耐えて魔法陣に手を置き、行末を見据える。
「ウィル!! かわせ!」
突然のキーファの声。ウィルが状況を把握する前に、いきなり身体が拘束されて、ついでブンと振り上げられて、何かに背中から釣り上げられた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます