97.謝らない

*作中に、少々お下品な表現があります。ご不快になられたらすぐにお閉じください。 






 リディアが激しく身じろぎしている。けれどかまうもんか。


 空で爆発したのか、結界の外では爆風が暴れまわっている。リディアがウィルの下で身を固くして、ギュッと目をつぶった。

 それは何かに耐えているかのよう。


 ――ドキドキする。

 

 心臓が高鳴り、自分の下のリディアの身体が確かな存在感を放っている。

 あと唇がすごく柔らかい。自分の全身が心臓になったみたいに、身体が拍動してリディアを感じている。


 リディアの唇が動く、僅かに開いた口にそっと舌を差し込む。


 リディアの身体がびくりと震えた。やばい、下半身に熱が集中して、ちょいこれはやばい。

 でも止まらない。


 と、リディアの足と手がいきなりすばやくバネのように動き、ウィルの身体に力がかかる。


「つ――わあ」


 どうやったのかわからないけど、リディアがウィルを跳ね飛ばし、二人は砂まみれで起き上がる。


「わ、砂だらけ」

「……」


 リディアは無言ですくっと立ち上がり駆け出そうとする。その肩を掴む。


「リディア?」

「……離して」

「リディア!?」

「それどころじゃないでしょ、早く魔法陣を完成させなさい!」


 まだ魔法陣の上で、コカトリスは暴れている。

 

 けれどウィルはリディアの顔を凝視していた。

 振り向いたリディアは、なんとも言えない顔をしていた。気まずそうで悔しげだ。


「リディア」

「リディアはなし! そして今のもなし」

「なあ、おいって!」

「何もなかったんだからね!」


 激怒でも、イライラでもなく、眉を寄せて泣きそうな顔。


「……リディア?」

「早く。魔法陣が消えるわ」


 消え入りそうな声。いつものように怒ったり睨んだりしてこない。


「……らしくねーけど」


 リディアは俯いて何かを呟いて、それから顔をあげて、ウィルに向かい小さく疲れたような笑みを見せる。


「え、何?」


 その笑みは嫌だ。いつものように瞳が輝いていない、どうしてだ。


 その笑みは頼りなげだった。

 呆れているのでも疲れているのでもない。なんだか、か弱くて、寄る辺無くて、どうしたらいいのかわからない、そんな顔。


 と、背後で轟音が響き渡る。

 二人が振り向くと魔法陣の外縁から内部へと突然石畳に亀裂が入り、砂礫化し崩壊した。



――ギョエエエエエエエ


 最後の風化魔法を発動させるまでもなく、暴れるコカトリスの体重で地面が崩壊したらしい。叫び、羽ばたいて上昇しようとするコカトリス。

 しかし、石畳ごと崩れた魔法陣の残滓の光がコカトリスの身体に巻きつき、地中へと引きずりこむ。絡み取る蜘蛛の糸の発動だ。


 恨み辛みの激しい雄たけびをあげる魔物が、崩れ落ちる地面と共に地中に消える、その瞬間だった。


「――つ、わあ!!」 


 残骸が残る魔法陣の名残、地中に向かう闇へと突然ウィルの足が引っ張られる。なに?なんだよ!?


 垣間見えた足には何か赤黒いものが巻き尽きていた。


 直後、ウィルは穴に引き落とされていた。




***




「くそ」


 見上げた空は、憎らしいほど真っ白で強い光を投げかけている。


 ゴーグルはどこかに行ってしまった、まぶしくて目が焼ける。


 それ以上にきついのが、腕、指先。硬い岩盤に爪をたてて指の力で張り付いているけれど、落ちるのも時間の問題。プルプルと前腕の筋肉が波打つ。


「くっそ」


 自分で作った落とし穴に落ちるとかなんなんだ。リディアにキスした罰?

 ウィルは足を引き上げようとするが、巻きついたものが喰らいついて離れない。


 少しずつ地中へと引きずリこまれている。



 そして方々からも、雄たけびが聞こえる。時折、黒いもの――コカトリスという魔獣が穴の向こうの空を飛んでいるのが見える。

 

 仲間のピンチ、なのにそこに行けない。


 ぐいっと引っ張る何かを蹴りつけるが、反撃とばかりにぐいっと更に引き寄せられて、ウィルの右手が岩を離れる。


「わ」

「――ダーリング!!」


 空中をさまようウィルの腕を掴んだものがあった。


 逆行で顔は見えないけど、その声は聞き間違いようがない、そして光に透ける金色の髪も大好きなもの。


「リディア!」


 嘘だろ、と思う。


 だって、自分の右腕を掴んでいるのはリディアの小さな手だ。乗り出した身体は、上半身がほとんど穴の中まで落ちているし、顔は辛そうにゆがんでいる。


 さっきまであんなことをした自分に気まずそうにしていたのに。

 今はそれよりも助けようとしている。


「しっかり!」

「リディア、無茶だって」


 体重差がどれだけあると思ってんだよ! 身長百七十八、体重六十八キロの自分を、女で小柄なリディアが、腕の力だけで引っ張りあげることなど、できるわけがない。


 リディアの魔法で、穴の周囲が照らされる。そのせいでリディアの顔がよく見える、リディアの額から汗が伝い落ち、唇が震えている。


「リディア、腕がもげるだろ!」

「だまって、“風よ、刃となりて――”っ、きゃあ!」


 リディアが請願詞を途切れさす、叫んだのはリディアの身体に伸びた赤黒い触手が撒きついていたから。


「や、やだなにこれ!」


 今まで地下に引き摺り下ろそうとしていたコカトリスの触手――ミミズ様なもの、が無数に這い上がってくる。

 やつのそれは、もはや無関心とばかりにウィルに興味を失い足の拘束を外し、代わりに無数に分裂しリディアの腕に、身体に、触手を伸ばし、彼女の顔や頬、首筋に触れて探査か、まるで愛撫するように擦り寄せている。


 が、その形態は男性の生殖器(に見える)、リディアは露骨に顔をそむけて半泣きの顔だ。

 卑猥な映像、本気で嫌そうで泣きそうなリディアを見ると拷問されているようにしか見えなくて、焦燥と苛立ちしか募らない。


「リディア!」


 ウィルは、リディアの光球で照らされた穴の底をちらりと見る、なんとかなりそうだ。


 足先で壁を蹴り、土変性の魔法と合わせて引っ掛けをつくる。足で魔法を放つなんて初めてだが、案外うまくいった。


 ウィルは両足を踏ん張り、なるべくリディアに負担をかけないようにして岩肌を掴んでいた左手を離す。

 無数の触手を掴む、がヌルヌルして掴めない。

 魔力を注いで引き抜くように潰すと、その先端から粘液が飛んでリディアの頬についた。

 

 嫌な生臭さが漂う。

 リディアが顔をぎゅっとしかめて思わず顔を背けるのを見て、ウィルは苦笑する。


 リディアの頬についた粘液を、親指で拭ってやると、リディアの碧色の瞳がこちらを向く。


 懸垂の要領で身体を引き上げて、呆然としている彼女の顔までなんとか自分を持ち上げ覗き込む。


「ウィ……ル?」

「リディア、さっきのなかったことにしねーし、あやまんねーから」

「……は?」

「後悔してねーし」

「はあ? なに、それ――」

「――だから、追いかけてくんなよ」

「……!」


 そしてリディアの頬に自分の唇を触れさせる。


 ほんの一瞬の掠めたようなキス。なのに感触はしっかりと記憶に刻まれる。


 予想通り柔らかい頰、満足感と物足りなさが同時に飛来する。


 ビクリと身体をゆらして驚くリディアの手の力が緩んで、ウィルは彼女の手から自分のそれを引き抜く。


 最後に見たのは大きく見開かれたリディアの目。


 ウィルはその顔を脳裏に焼き付けて、そして下まで飛び降りた。


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