87.次の災難
「――!」
誰かが声もなく叫んだ。
チャスの胴体が宙ぶらりんになり、木にぶら下がっている。え、何、あいつふざけてんの? 頭が真っ白になり、ウィルは動きを止める。
(なんだこれ? ハロウィンか?)
なんでアイツいつの間に、って思ったけど、見える足がバタバタもがいて、手が泳いでいる。
――チャスには頭がなかった。そのかわりそこには、でかい南瓜があった。
「か、、か、かぼちゃ? 仮装?」
「違う、虫だ!!」
南瓜に見えたのは、巨大な黄色い芋虫が丸まっていただけだ。
チャスが頭を覆う芋虫を外そうともがいているが、その動きが次第に弱まる。
(やばい。チャスが死ぬ)
くたり、と手が脇に落ちる。足が動かなくなる。
「チャス!」
キーファが枝に切りつけて、芋虫ごとチャスが落ちる。ウィルは落ちた芋虫を蹴り飛ばすが、頑丈すぎて足が弾かれた。全く外れる様子はない。
迷わずキーファが芋虫に剣を突き刺す。
剣の残像が揺らめく、おそらく炎の効果をつけているのだろう。ブシュウウと水分が揮発する音がして、嫌な匂いと共に粘液が周囲に飛び散る。
そして、粘液まみれのチャスが、ゼエゼエ言いながら四つ這いになっていた。
(すげえ、チャスが中にいるってわかるのに、切るって)
蛇との戦いの時もそうだが、キーファの鬼神ぶりが半端ない。
刃物を持たせると違うのかもしれない。
「チャス、平気か?」
「死ぬ、しぬかと……」
他の芋虫は木にぶら下がったまま、どうやら積極的には襲ってこないようだ。近づいた獲物に喰らいつく、そんな感じだ。
チャスが腕で頭を拭うが、粘液は取れない。水袋から貴重な水を頭から被り、顔を洗いながら、粘液を落とす。
「サイアク――もう俺帰りたい」
「吸血芋虫だ。擬態して獲物を捉えて、窒息させたあと耳孔や鼻腔や口腔から血を吸う。血は吸われていないな」
キーファは説明しながらチャスの頭を調べる。この地帯の生物をちゃんと予習してきたらしい。自分は魔獣しか調べていない。
相変わらず準備に余念がないとウィルは感心する。
一方でチャスはいつもの軽口をなくし、消沈している。
「まじキモイ。頭全体が生臭い中に閉じ込められるんだ。ねちゃねちゃ不気味な音が響いてた!」
「――虫と蛇とかなんなんだよ!!!!」
ケイが叫ぶ、皆がそう思っていたが誰も何も言わない。文句を言い出したらきりがないからだ。まだ魔獣と闘ってもいない。
「早くここを去ろう」
顔の粘液を落としたチャスだが、外套にもこびりついたまま。このままそれで進むか、と考えたときだった。
「みんな、来るよ」
バーナビーが突然声をあげる。
だが、どこから現れるかわからない。キーファは空を見上げ、チャスは周囲を見る。ウィルは先ほどと同じように地面を見て、そしてぼこり、と空いた穴に「下だ!」と叫んだ。
また、蛇か、と思ったが、チャスの先程にも負けない叫び声が響き渡る。
「なんだよ、これ!! なんだよ」
チャスの足には、びっしりと昆虫――いや、蟻がたかっていた。
「うあわわわわわ」
あちこちで叫び声があがる。赤茶色の蟻がびっしりと足から這い上がってくる。それだけでも気持ち悪いのに、その大きさ。子猫ほどの大きなものが、顔を目指してくる。
砂からどんどんでてくる蟻、だが逃げようとしても動きを阻まれる。
ケイが転ぶ、キーファが腕を掴んで引き上げる。
「走れ!!」
「くっそおおお。なんだよ、虫だらけじゃんか!!」
足に、胴体に、腕に、ガチガチ食い込む蟻をそのままにを走ろうとするが、足を取られて転ぶケイ、続いてバーナビー。
蹴り飛ばして走るが無理だ、パニックになる。
ウイルは、蟻を掴んで引きちぎろうとするが、ガチガチと尖い顎を鳴らして噛み付いてこようとする。巨大化した蟻はとてつもなく怖い。
「ウィル!! 地面だ。熱で焼け!!」
キーファが全身を襲われながら、蟻を引きちぎり、バーナビーを救出する。
チャスがケイを乱雑に引き上げて、二人で転んでいる。
(くそ!!)
ウィルは蟻を蹴散らし地に触れようとするが、一向に地面が見えない。
「マーレン、風で蟻を薙ぎ払え。ヤン、ウィルの補助を」
「ち、飛ばされんなよおまえら!!」
マーレンがロッドを振り払う。
ごうううっとうねりが最初に響き、ついで砂埃と共に強風が吹き荒れる。
「顔を守れ!!」
キーファの指示で、片手で顔を隠しながらウィルはすかさず砂地に手をついた。
グローブ越しに熱を感じる、素手だったらやけどをしていたかもしれない。まだ早朝だが、すでに太陽光で熱を帯び始めた砂。
ウィルはそこに、更に熱を流し込む。
(くそ、広すぎて――おまけに伝わりにくい!)
すでに地面は温まり始めているといえ、熱伝導は弱い。おまけに範囲を設定していないから、広すぎるのだ。捧げた熱が広がり逃げていく。
マーレンの風魔法で薙ぎ払われたはずの蟻だが、攻撃が効いた様子もなく地面からわらわらと這い上がってくる。
地面に手をつくウィルの全身に、ヤンが摩擦係数ゼロの魔法をかける。
(それ、かなり高度な魔法じゃん)
つるつるウィルの身体から滑り落ちていく蟻を見ながら、ウィルは考える。
砂地だから熱が伝わらない、保持できない。
なら――。
砂を凝固させる。ウィルは土属性が高いとリディアにいわれたのだ、出来るはずだ。
組成じゃない。砂に思い込ませるイメージだ、さらさらの砂ではなく硬く結合して一部のすきもない鉄板のような地面。
何も通すな。水も空気も通さない。いや、全てを分解――硬く結合をしろ。
――巨大蟻の大群を、この地に閉じ込めてやる。
ピシピシビシと音をたてて、ウィルを中心に放射状に黒ずんだ地面となっていく、もはや砂ではない。砂の中の金属性に魔力を注ぐ。
そして閉じ込められた表面の下に熱を注ぎ込んでやる。
三十、三十五――ウィルはカウントする。
どんどん熱があがる、自分たちのブーツは、熱耐性があり千度までは平気だ。
“――”
声がした。
いつの間にか、ウィルは不思議な空間にいた。
闇ではない赤黒いような粘着質の空気にとりこまれている。
そして凝縮した何かがゆらぐ、圧倒的な存在だ。
地面の下、ではない。もっともっと、深い。奈落。
そこにいる何か、全てを喰らい尽くす存在が、ウィルを感知した――
(誰だ、お前?)
ウィルは問いかけるが至高の存在は返事がない、ただ揺らいで感情を伝える
それは、――怒りだ。
四十、四十ニ――
「ウィル!!」
キーファがウィルの肩を引いて、地面から離れさせる。
同時に何かから弾かれたようにウィルは転ぶ。
「っ、あちい!」
硬い地面は、鉄板のように熱を持っていた。焼肉になる!!
キーファが腕を引き上げる。いつの間にか、地面の蟻は腹を見せてひっくり返っていた。こげた匂いが立ち込めている。まるで地獄絵図のように当たりは真っ茶色の不気味な虫で覆われていた。
「走れ!!」
皆の姿もない、慌ててウィルは蟻の死体を蹴散らしながら足を踏み出す。
順応性の高い身体はすぐにスピードを出し始め、キーファに追いついた。
いつの間にか皆は先を走っていた。
そして、まだ地面が硬い、どこまで自分は変性をしたのか。
リディアとの約束を違えて暴走するところだった。
「悪い、助かった」
キーファがちらりと視線を向ける
「それはこっちの台詞だ」
「――魔獣だ、来るよ!!」
バーナビーの予測に、皆が悲鳴を上げて走るペースをあげる。もうパニック状態だった。
「空だ! マーレン!! 翼を狙え! 皆で全力疾走、ウィルは皆を守れ。前方の廃街を目指せ」
キーファが声を荒げて立ち止まる。アイツは逃げない気らしい。
構わずケイがすさまじいスピードで抜かして行く。
(あいつ、あんなに早いの!?)
チャスが頭上を振り仰ぐ、一番目がいい彼が叫ぶ。
「鳥だけど――何か、キモイ顔!! もしかして、コカトリス!?」
キモイ顔って何!?
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