65.魅了
リディアは、ケイを待っていた。
キーファには二人きりになるなと言われたけれど、どうしても今、話をしておきたい。
あんなこともあったし、通常であれば上司に報告をして他の先生に代わってもらうことを考えるべきだろう。
けれど、上の二人は学生の面談なんて思いつきもしていないし、リディアは報告さえしていない。しても無駄だし、余計な思いつきや言いがかりをつけられて、仕事が増えても困る。
「――先生、お待たせ」
ケイは、天使の笑みを浮かべて教室に入ってきて、ドアを閉めた。
「ベーカー。開けておいて」
「どうして?」
「どうしても」
「ふーん。先生怖いんだ、変な噂になるのが。だったら二人きりで面接なんてやめればいいのに」
ケイのほうが上手かもしれない。
「学内だし、先生も変なことしないでしょ。だったらいいんじゃないの?」
リディアは嘆息して、「そこに座って」と促した。ドアは閉められたままだが、これからの話は確かに閉じられた空間のほうがいいかもしれない。
ケイの反応がわからないから、少し迷う。
「ベーカー。魔法の展開の演習の時――魔法晶石投入したでしょう?」
だから、単刀直入に聞いてみる。
ケイの反応は、丸わかりだった。最初表情を消した、それからニコっと笑い、何? と聞いた。
目をランランと見開き、驚きでも意味がわからないという顔でもない、挑発的で絶対にごまかすという目をしていた。
「僕、していませんけど」
「あれほどの火炎になるのは、おかしいのよ」
「それって、僕の能力を疑ってるの?」
「それに、あの火炎には不純物が混じっていた。私以外の合成魔力よ」
リディアが作った炎だ。自分で作った魔法に合成素材を入れられると、その結果が歪む。まるで食べ物に卵の殻が入っていたときのような、違和感を覚える。
「僕じゃないよ。信じてくれないなんておかしくない?」
「ベーカー……」
理由を話して、とも繋げられない。本人が違うというのだ。
(これは……難しいかも)
ケイのランランと見つめてくる眼差しにリディアは顔をこわばらせた。
リディアの教員経験は浅いが、団員の新人教育はそれなりにこなしてきた。そして嘘をつく後輩もいくつかいた、彼らが嘘をつくのはミスを認めたくない時。
けれど、大抵は誤魔化すことに慣れていなくて辻褄が合わないことを言い、しどろもどろになるか、黙ってしまうか、または反論しようとこちらを攻撃するか。
ケイは独特だ。上手に言い訳もできていない、でも絶対に自分ではない、と言い続ける。視線を泳がしたり外すと疑われることを確信していて、おかしいぐらい真っ直ぐに見つめてきて瞬き一つせず、まるで戦いを挑むように違うと主張し続ける。
(……新しいタイプだ)
そして、嘘を付くのに慣れている、というよりも年季が入っている。
常によく見せたいのだ。間違いを指摘されると認めないで違う、と言い続ける、そうすると相手が諦める。
その経験を知っているから、永遠に嘘を付き続ける。
(これは、駄目だ)
諭してもだめ。彼にとっては誤魔化すことが全てなのだ。
良くなりたい、ではなく、よく見せることが全て。
――伸びないだろう。
「魔法は、すべて精密な術式で組まれているの。理解しないで他の魔法具を使ってはだめ、大惨事になるからね」
「もちろん知ってるよ」
「それから――課題だけど。直しは、誰に頼んだの?」
「なんのこと?」
リディアは頭をふる。
五行程度だったレポートが、いきなり前衛後衛に分けて、砂漠での特殊な環境を考慮した計画になんて、変えられるはずがない。
「口頭で、あなたの計画を説明してみて」
「見ないと言えないよ」
仕方がない、リディアは諭す理由を話してみる。
「ベーカー。魔法師になると魔獣討伐は必須なの。自分の命と、一般人の命に関わるのよ。恐ろしさを自覚して。相手は容赦なく私達を襲ってくるの、自分でどうやったら倒せるかを考えないと」
「なんで先生は疑うわけ? 信じてくれないの?」
リディアは首を振る。質問でかえして誤魔化す。彼に会話は通じない。
「ベーカー。あなたはなんで魔法師になりたいの?」
リディアが問うとケイは黙る。ケイが考えるような姿を初めて見せる。
「ねえ、先生? どうして先生はそういう事言うのかな」
ケイの声音が変わる。
「先生は僕の特別な魔法を知らないよね」
「特別?」
「そうだよ、先生はわかろうとしない。わからずやだよ」
彼は必死だ。自分が答えられなくなると相手を攻撃して、身を護る。リディアよりも
「どうすれば、あなたをわかることができるの? 今こうやって話を聞いているのだけど」
ケイは笑った。
彼はいつも作った笑いをする。けれど目だけが見開かれて、冷淡な眼差しで笑う時がある、今もそういう笑いだ。
「僕のこと知りたい?」
リディアは警戒を強める。うまく答えないと足をすくわれそう。
「……知りたいわ」
そうはいっても、知ることはできないだろう。
彼は表面を作りすぎている。作っていない自分なんて、わからなくなっているのかもしれない。
ケイが立ち上がり、リディアの前にかがみ込んでくる。身を乗り出してくると、やっぱり男の子だ。可愛らしい顔立ちだが、肩幅も、手の大きさもリディアとは違いすぎる。
「ベーカー?」
「『ケイ』だよ」
ケイがリディアの両肩を押さえつける。
「ちょっと」
ケイの瞳が金色を帯びる。確かに綺麗だ、天使と言われても信じてしまいそう。
「僕の魔法だけどね、
「
思わず、鸚鵡返しをしてしまう。
顔が近くなる、肩に食い込むのは爪。
予想以上に強い力にリディアが痛みをこらえて、顔をしかめてケイを見上げた時、グイッと後頭部が掴まれて唇が重なっていた。
「――んっ、うっ」
リディアは必死で引き剥がそうとした。
肩と頭に食い込む爪が痛い。まるでわざと痛みを与えているよう。予想外の行動に警戒していなかった、反応が遅れた。
微かに開いていた唇から入った舌が絡んでくる。未知の感覚にいやだ、と目をぎゅっとつぶる。
軟体動物みたい、何かが押し込まれる。
(……苦い、何?)
リディアは彼の胸を押し返すが、やっぱり男の人の力だ、敵わない。
(なんで、こんなこと……)
少し混乱している自分がいた。
甘い匂いが鼻をかすめる。花の匂いじゃない、甘い菓子のような匂い。
と、ガリッと唇を噛まれて「いたい」、と叫んだ途端に彼が離れた。
「……っ、はぁ」
リディアは、思わず唇を乱暴に指で拭う。人差し指に赤い血がついていた。
ケイは、得体のしれない光を瞳に上らせて、薄く笑っていた。そしていきなりにっこり笑ってリディアの顎に手をかける。
「可愛いね、リディア」
「……あ」
視界が揺れた。彼の声がよく聞こえない。
「ど、ういう……つもり。ベーカー」
「『ケイ』だよ、リディア」
「……ケイ」
リディアは頭をふる。霞がかったように考えがはっきりしない。嫌だ、何、考えられない。
口の中が苦い、甘い匂いが気持ち悪い。
(
息が苦しい、額に、手に浮かぶ冷や汗が不快だ。
「僕のこと好きだよね、リディア?」
「……好き……っ、て」
「僕の取り巻きにしてあげるよ。僕のことだけ考えて、僕だけを見て」
ケイの琥珀色の瞳に、金色が散る。ケイの腕に引き寄せられる。
リディアがそれを振り払おうと腕を伸ばすと、両腕が掴まれる。
「……離して」
「駄目だよ。僕の言うこときかなくちゃ」
リディアはもう一度頭をふるが、体は自然にケイ引き寄せられるままになる。
「なあ。――俺の女に何、手出しちゃってんの?」
ガン、っと何かがぶつかる激しい音が響いた。
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