63.キーファの魔法
リディアは自分も用があったと立ち上がる。少しぎこちない歩き方で、自分の鞄を持ってきたリディアは、そこからサテンの布に包まれた細長いものを取り出す。
布地を外したリディアが示したのは、五十センチ弱の
鞘を抜いて刀身を見せる。膨らんだ柄の部分は、半透明の琥珀でできていて、筒状の内部は透明な流動体で満たされてキラキラとした金砂が踊っている。そして両刃には一面に魔法術式が描かれている。
「私が使っていた魔法剣よ。護身用だけど」
そう言って、彼女はキーファに柄の部分を持つように促す。
「先生?」
「魔法剣は、魔力を注いで、属性の付加効果をつけるの」
「それは聞いたことがありますが」
困惑の表情を浮かべるキーファに、リディアは握ってみて、と声をかける。よくわからないまま柄を握るキーファに、リディアは緊張の面差しで、口を開く。
「魔力を注いでみて。簡易魔力測定器と同じように」
キーファはリディアに一度視線を投げかけたが、問いかけることはなかった。そして静かに剣を見下ろす。
リディアに魔力の放出の気配は感じられなかったが、柄の金砂が踊りだし、そして刀身の両刃に刻まれたリュミナス古語の術式が青い光を帯びる。
「これは……」
「魔法剣に魔力が注がれたの。コリンズ、火炎魔法の術式を脳裏で展開させて」
キーファが火炎を呼び出す魔法術式を思い浮かべたのだろう、僅かな間のあと、刀身がボウっと淡く発光する。
「まさか、これ――」
リディアは微笑む。ようやく、だ。
「あなたの魔法よ。――おめでとう」
キーファはまだ緊張の面持ちで、その刀身を見つめたままだ。リディアは、彼に促す。
「打ち消しの術はいらないわ。次に、氷魔法の術式を展開させて」
途端に、炎は消え去り刀身は鈍い鋼色に変わる。けれど、リディアに空気の伝導で冷気が伝わってくる。これも成功だ。
「この魔法剣は、炎系魔法と氷系魔法しか対応していないの。応用で熱作用もつけられるけれど。だから複雑な魔法は発現できないけれど、実習で多少の身を護る術にはなるから」
リディアは、魔法が使えないキーファを実戦に赴かせることが不安だった。
短剣では、心もとないが、ないよりはましだろう。同時に、全く何もできないという自覚のままよりは、わずかでも対抗手段があるという自信を持たせたかった。
「どうして」
キーファが震える声で、リディアに問いかける。リディアは柄を持つキーファの手の上から重ねて、打ち消しの術式を展開させる。とたんに刀身の術式の光は消えて、ただの剣に戻る。
「あなたの魔力が大気に放出されていないのを感じたの。でも測定は出来たのだから、魔力の伝導はできる。ロッドでも魔力の伝導はできていたしね。だから体外にはだせるけれど、大気に出すとなぜがブロックされちゃうとわかったの。で、魔力の行先を、魔法剣みたいに効果が出せるものならばどうかと思ったのだけど」
キーファはリディアの魔法剣を凝視して、それから息を吐く。
「まさか、俺が……」
キーファは両手を見下ろしている。
その手が微かに震えているから、リディアは剣を机に置いて、キーファの手の上に重ねて握りしめる。
大きな手だ、きっとこれからはもっと強大な魔法を手にすることができるだろう。
こんな小手先のごまかしのような方法でしかないけれど、今は一歩目だと思ってほしい。
「原因は、まだわからないし、本当は魔法が使いたいでしょうけれど。でも魔法剣の使い手も大勢いるわ。彼らも立派な魔法師よ」
キーファはリディアが握った手を凝視している。どう思っているだろう、言葉を間違えないようにしないと。
まだ諦めないで。ごまかしたとは思わないでほしい。
「もう少し待ってね。必ず、魔法が使えるように方法を考えるから」
キーファは顔を上げる、驚いているいうよりも驚愕の眼差しだ。
「先生は――まさか」
「何?」
困惑の表情を浮かべてしまうのは、リディアの方だった。どうしてそんなに驚いているの。
けれどすぐに彼は表情を戻してしまう。
「いいえ。驚きました――こんなふうに出来たのは初めてなのに――更にそういうふうに言うから」
「だって約束したもの」
キーファが真っ直ぐに見つめてきて、リディアはいたたまれなくなる。まだ何も約束を果たしていないのに、こんな大言壮語を吐いていいのか。
「結果を出してから言うべきなんだけどね。方法、探すから」
キーファは口を引き結ぶ。そして、絞り出すように声を放つ。
「俺は、昔、魔法が使えたことが、あります。子供の頃です」
リディアが彼を見つめていると、眼鏡の奥で彼は苦渋を覗かせる。
「でも、今は使えないんです。どうやって使えていたのか、今はもうわかりません。あの頃は術式も請願詞も何も知らなくても、できていたのに」
「コリンズ。あなたは、魔法学校で基礎はやった?」
北部・中央国連盟では『魔力があるものは二十五歳までに三年における魔法教育を受けること』という規定がある。
魔力の有無は、出生時、一才児、三歳児、七歳児の健診でチェックが義務付けされており、魔力があると診断されると、精密検査が施される。そこで高い魔力があると知られれば、早めに教育を受けたほうがいいと魔法省から両親に勧告される。
例えば、魔力が高いせいですでに何らかの問題を起こしていた場合や、魔法師の地位が高い国で早いうちに教育を受けさせたい場合は、魔法学校初等科に進ませる親が多い。
だが、キーファは首を振る。大学で学んだのが初めてだという。
「親は魔法師ですが、急ぐことはないという考えだったので。俺も生活上不自由もなかったから、あえて習得しようとも思いませんでした。けれど習えば、また使えるようになると思っていました。まさか使えないなんて思っていませんでした」
幼少時に高い魔力を有していても、大人になるにつれて失い、魔法が使えなくものも多い。
ただ、それは魔力を失った場合だ。キーファは魔力が高い。
「たぶん、俺の問題だと思います」
「コリンズ?」
「俺が――使う資格がないから」
キーファはそう言って黙る。リディアは彼を見つめていたが、彼はもう口を引き結んでしまって、口を開くことはない。
「コリンズ、魔法剣を使うのは嫌? 嫌なら無理強いはしない」
彼はリディアの手をためらうように握り返す、リディアが拒絶しないと、更に力を込める。
それが縋り付くようで、なのに微かに笑う笑みは弱々しいものだった。
「いいえ。嬉しかったです。使えなくても仕方がない、そう思っていたので」
リディアはその顔と、その声を信じる。彼が過去に自分に何の戒めをかけているにせよ、使いたいと思っているのは、事実だろう。
「コリンズ。過去に何があったにしろ、あなたのせいで使えないことなんてない。魔法が使えないのは――何かの制限がかかっているから。その障害はあなたじゃない場合が多い」
リディアは、迷いながらキーファの手を離す。その際にキーファの目が揺れていた。
傷ついたような眼差しに、違うのだと言いたくなる。
そうじゃない、これから見せるのは、あなたがむしろ離れたくなるようなもの。
リディアは袖をめくり、左上腕の肌をむき出しにする。そこには血管に沿って皮膚の内側に黒く沈む蛇行する痣が描かれていた。
「私が魔法師団を辞めたのは、呪いを受けて高度な魔法が使えなくなったから」
彼の目が今度こそ驚愕で見開かれて、リディアの肌を凝視する。とても醜い痣だ。その目に嫌悪の色が浮かぶのを恐れるように、リディアは袖を下ろして、隠す。
「これみたいにね、何かが邪魔する場合が多いの。だから自分を責めないで、その障害を取りのぞけば、きっと道は見つかるから」
そう言ってリディアはわざと明るく言う。
「嫌なもの見せて、ごめんね」
キーファは目を見張り無言だ。リディアは、わずかに後悔をする。
「ごめんなさい。私の話になってしまって」
彼の問題について話しているのに、自分の話にしてしまった。彼の話を傾聴できていない。
「いえ。その俺は――その」
リディアは再度キーファの手を取る。彼は呪われた手なんて嫌がるかもしれないと、一瞬躊躇したが、表向きには避ける素振りはなかった。
「俺は先生のこと、多分誤解していました」
リディアは、ああと頷く。
「口先だけの約束だろうって?」
「そうじゃなくて」
「まだ何も出来てないから、今も口先だけだけどね。その通りかも」
キーファは、何も答えない。
「あなたはすごい魔法師なのに、なんで俺にって――」
キーファの言葉をリディアは考える。すごい魔法師じゃない。今は何の力もない得意なものもない、平均的なレベルの魔法師だ。
「コリンズ、あなたは魔法を使いたい?」
キーファはリディアが握りしめた手を凝視していたが、ハッと顔を上げる。そして目を合わせて強い眼差しで頷く。
「使いたいです。誰よりも、強くなりたい。力が欲しい」
リディアは目を和ませて笑う。ホッとした。余計なお世話なじゃなかった。
「私はすごくない。教員なのに情けないけど、全然力がないの。でもすごい魔法師はたくさん見てきた、目は肥えているわよ」
そう言って笑いかける。
「だから。あなたは、きっと強い魔法師になる、信じてね」
キーファは、リディアから渡された魔法剣を凝視して、それから目をぎゅっと閉じる。
リディアは彼の肩を抱きしめたくなるが、それをこらえる。
彼は一人で、立てる。リディアのささやかな励ましなんて本当はいらない。
「これの扱い方、教えてくれますか?」
「え、ああそうね」
リディアは頷いて、けれど苦笑いを返す。
「
キーファは少し考え込んで、首を振る。
「実習まで時間もありませんし、手足のようにロングソードを使えるようになるには時間がかかります。短剣でいいので、先生に教わりたいです」
戸惑いながら頷くリディアに、キーファは続けた。
「ウィルも一緒で構いませんか?」
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