61.シルビス人
研究室のドアをせわしなく叩く音。
リディアは首をかしげて返事をして、あっさりとウィルが伸ばそうとしていた手をかわしてドアに向かう。
そっと振り返ると、ウィルは、椅子の背もたれに背を預けてため息を付いていた。
(ちょっと微妙な雰囲気だったけど……)
最初の頃からの軽妙なやり取りだったはずなのに、今垣間見たウィルは気落ちしているよう。リディアへの悪ふざけにも、迷いがあったようで少し変。
ていうか、なんで怒るとわかっていて、悪ふざけをするのか。
「はい、誰?」
入り口の前は衝立で奥が覗けないようになっている。
同室の先生ならば、ノックはしないだろうから、生徒が訪ねてきたのだろうか。
しかしリディアがドアを開ける前に、外の人物が飛び込んできた。
「リディア先生! お願いがあるの」
「ギルモア!?」
何事か、と思いリディアは仰天して次のアクションを忘れてしまう。驚くリディアに構わず、ミユは興奮のままに喋り続ける。
「お願い、一生のお願い! シルビス人でしょ!? 同郷人として助けて! お兄さんを紹介して!!」
「…………え」
リディアの反応をみて、ミユが眦をあげる。再度開きかけた口に、慌ててリディアは先制する。
「ちょっとまって、兄? ……私の!?」
でもそんな返事しかできない。
「そうよ、それしかないでしょ。光輝なる騎士、白夜の君アレクシス・ハーネスト様のこと! 紹介して」
「無理」
即答だった、考える余地もない。
だがミユは心外だとでもいうように、目を剥いて更に声を張り上げようと大きく口を開きかける。
「ちょっと待って、ギルモア。ええと、外に出ましょう」
いまさらだが、奥にはウィルがいる。リディアはミユの発言を聞かせてしまったことに焦りを覚える。ミユの本気度はどこまでかはわからないけれど、ウィルには愉快な話ではないだろう。だけど、ミユは梃子でも動かない気迫だ。
「誤魔化さないで! ウンというまでは、私は動かない!」
「ギルモア。そう言っても無理なの」
「なんで!? 別に紹介してくれるだけでいいのに、後は私が何とかするもん」
彼女は正気だろうか。シルビスでの結婚を望むのであれば、かの国での娘の結婚は親が決める。当人がどうこうできるものではない。
「分かってる、リディア先生は意地悪してるんでしょ。お兄さんを取られたくないんでしょう」
「それはない」
即答したリディアに、ミユは気を削がれたようだが、また口を開く。
「じゃあなんで――」
「ギルモア。考えてもみて。私がどうしてここにいるのか。女が魔法師になるのを許さないシルビス出身の私が、なぜここで働いているのか」
「なんで?」
ここまで言ってもわからないのか。リディアは嘆息混じりに口を開く。
「私は、――勘当されているの。兄とは連絡をとっていないの」
リディアの台詞にミユはわずかに黙り、唇を尖らせて見上げてくる。
「確かに、先生、規格外だもんね。目の色は濃すぎ、髪の色も濃すぎ。遺伝子操作受けなかったの? ハーネスト大臣って保守派? ナチュラリスト? センセ、身長も百五十五センチ超えちゃってるよね。なんで成長抑制剤打たなかったの? それだと悲惨だよね」
「……ギルモア」
「わかってる。ミユは、ミックスなの。パパがシルビスなのよ、ママはグレイスランド人。離婚してパパの家に引き取られたけど、ミユの容姿だと散々。だから高校出てグレイスランドに来たけど、フィアンセに婚約破棄されたの。二十過ぎて未婚なんてシルビスでは、恥ずかしくて外歩けないもんね、パパが結婚させるため連れ戻そうとして必死なの」
「――あなたは、美人よ。シルビスを出ているんだから、その価値観に囚われないほうがいいわ」
ミユはリディアを憐れみの目で見て笑う。
「それ、先生本当にそう思ってないでしょ。先生もシルビス人だもん、逃れられない。勘当程度で親がほっといてくれる? 先生は貴族だもんね、親が絶対結婚決めてくる。でもね、二十歳過ぎの女なんて、五十過ぎのスケベ伯爵の後妻とかしか枠ないよ」
リディアはミユの悲嘆に、自分も引きずられて、言葉が出てこなくなる。
「ギルモア、そんなこと……」
「でもミユも諦めていないの。ハーネスト様なら親も絶対反対しない。だからお兄様紹介して」
リディアはミユから向けられる攻撃に息をつめていたが、ようやく彼女の目的に反応して首を振る。
「あなたも知ってのとおり、私はあの家では認められてない。だから兄とは仲が良くないの、視界の端にも入れて貰っていない。兄にとって私は――妹じゃない」
妹じゃない、妹どころか――自分は。リディアは自分の手足が冷たく、血の気が引いていくのを感じていた。心臓の鼓動だけが煩く騒いでいる。
ミユの瞳が、リディアの心中を見通すように下から覗きこむ。
「そう。でも、ミユは諦めないから。先生も急いだほうがいいよ。在留許可、いつまで? 父親か夫か、その監督下にいない婦女子はシルビスに強制連行されちゃうでしょ。早く相手を見つけないと一生シルビスに監禁だからね」
ミユが身を翻す、もっと粘られるかと思ったが意外にすぐに開放してくれた。
でも、諦めないって、どういうこと?
まさか、あの兄を諦めないということだろうか。
リディアは、大きく息をついて、ふらふらと頼りない足取りで衝立から部屋の奥へと足を進ませる。と、目の前に立っていたウィルの姿に、目を見張り、あっと息を呑んだ。
「ダーリング……」
ウィルの眼差しは、何かを言いたげだった。リディアは、強張っている自分の表情を意識して、不自然だとわかっていたが一度彼に背を向けて、ドアに戻る。
「リディア? 平気かよ」
後からウィルが追いかけてくる気配。
息をしっかり吐いて気持ちを平静にして振り向いた時には、普通に笑えていた。
「リディア?」
ウィルは訝しげな顔だ、リディアの表情に警戒の眼差しを浮かべている。リディアは、作った表情で、何でもないという軽い声音で喋る。
「ごめんね。あまり聞きたくない話だったと思うけれど、彼女もちょっと止むを得ない事情があるというか、難しいのかなと思うから」
「……それは、知ってるけど」
ウィルの硬い声が遮る。
「やたら結婚のこというし。容姿褒めて欲しがるし。――けどそれより、アンタのこと」
そこまで言ってウィルは、衝立の向こうを指し示して「座れば」と促す。
「顔色悪ぃよ、リディア」
リディアはまた呼び捨てにしたことを注意しようとして、頭を振ってやり過ごす。心配してくれているのだ、彼は。
「平気よ」
「――リディアは、容姿のこと――」
「あまり言われたくない」
即答過ぎて、不自然な間が落ちる。リディアは自分の演技の下手さにあきれ果てる。どうも微妙な雰囲気になってしまった。楽しくない話題だし、終わりにしよう。
「俺は、可愛いと思うよ」
「――」
リディアの強張った顔に、ウィルは何かを言いかける。
それを言われたくなくて、リディアは後ずさる。背中にドアが当たる。
「なあ、強制連行って何? 在留許可って――」
リディアは無意識に首をふる。聞かないで欲しい、踏み込まないで。
「――ああもう!――疲れた――もう信じらんない! ってあらやだっ」
大きな声と共に、リディアの頭にゴンっとドアがぶち当たる。背にしたドアが開いたのだ。
勿論、悪いのはリディアだ。
「あ、ごめんね、リディア!? まさかそんなところにいるなんて――ってウィル?」
「平気かよ、リディア?」
サイーダが両手にたくさんの資料を抱えながら、ドアの前で頭をさするリディアに悪びれない口調で謝罪する。それから心配して覗き込むウィルに不思議そうな顔をする。
「ども」
「久しぶりじゃない。何してんの?」
「んー面談?」
「って、またリディアを困らせてたんでしょ。ほどほどしにしなさいね。ところで、リディア平気?」
大丈夫です、とリディアは振り向いて、サイーダが通るようにスペースを空ける。
「またって、――俺、何か言われてるの? 先生たちの間で」
「そうねー。リディアからは聞かないけど、まあ色々やっちゃってるでしょ? ところでまだ面談中?」
ウィルが何かを言い終わる前に、リディアは口を開く。
「いえ、終わったところなので」
ウィルの顔が目に見えて強張って、目が雄弁に不満を語っていたが、リディアは話を終わりにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます