60.二人の時間
「いい、ダーリング。あなたの魔力波形なのだけど――」
リディアの細い指、桜色の短く切った爪が、計測していたウィルの魔力変動の五分間の波形をなぞる。
(――小さい、指)
爪、伸ばしてねえんだな。そんな事に気がついて、妙に胸がうずく。
「爪に何もつけていないほうが好み」と、そんなことを昔ミユに言ったら泣かれた。「何で泣くのか意味不明」といったら、叩かれた。それを思い出した。
「あなたの火属性の魔力数値は、最初の十秒からいきなり上昇するの、そしてここ。四十秒で、五百になる。つまり――」
同じように紙片を覗き込むと、リディアの頬が近くなる。柔らかそう、いい匂いがする。近い距離にか、リディアが少し顔をあげて、無意識のようにウィルから距離を取る。
ゆらゆらと一つに結んだポニーテールが目の前で揺れる。
(ああ、髪、結べるほど伸びたんだな)
最初に会った時――彼女が自己紹介したときは、たしか毛先は肩までだった。オリエンテーションでは、どこかの学生もどきの助手が無理して一生懸命話しているとしか見えなかった。
頼りなくて、こんなのに教わるの? この領域どうなってんの? 外れかよ、と思った。でも顔は可愛いし、そのことしか救いはねーな、とかそんなことを考えていた初日。
(今ではすっかり印象、変わったもんな)
いつも一生懸命で、こっちのことを考えてくれる。丁寧に向き合ってくれる。たぶん、魔法師としては優秀なんだろう、でも危なかしくて、必死過ぎて目が離せない。
――自分だけを見つめさせたい。
揺れる毛先に視線を移す。と、いきなりリディアはバッと顔をあげて、睨んでくる。
「――聞いてる?」
(はいはい、聞いてますよ、と)
何か感づいたのか、彼女が口調を強くする。
「――つまりね。あなたが注ぐ魔力は、四十秒まで、いい? 四十五でもないの、それ以上は安全が保証できない――聞いてる?」
頷く。
「なんか集中力ないわね」
仕方ないとリディアがため息をつくのも、今では慣れっこ。むしろ何故か、今は困らせてやりたい。
「状態変化の魔法ならば、四十秒まで使っていいわ。でも、事象発現の魔法は今回使わないでね。事象発現は多大な魔力を使用するの、あなたの場合とんでもない威力の魔法を起こしてしまう可能性があるから」
「了解」
「不満?」
「いいや、むしろ目安がわかって、俺も安心。わかりやすいよ」
「火球とか派手なの飛ばしたいでしょ? でも今は我慢してね」
リディアが眉を寄せて申し訳なさそうに言う。俺は魔法を使っていいって言われただけで、けっこう満足してるのに。
なんかこいつ、ってほんと――、一生懸命で。
不思議な気持ちになる。今は、愛しいつーか。
そう考えて、らしくなさにどぎまぎする。
授業中は、マーレンと話しているのを見て、イライラもしたけれど。
今はこの時間が、ドキドキする。
リディアの色んな顔をみたくなる、感情を乱させたい。
(なんつーの? ちょい困らせてもやりたい)
怒った顔もむきになっているのも、みたい。
何かもっと、感情をむき出しにさせないと、つまらない。……意識させられない。
「ギルモアのこと、気になる?」
「…………は?」
不意にでてきた名称に、呆けてしまう。
(――なんで、その名前)
と言いかけて、そういえば
「――なあ、リディアは好きなやついる?」
「いない。そして、『先生』」
「誰もいないし、いいじゃん」
「今は何の時間?」
ウィルは、顔をあげて周囲を見渡す。誰もいないリディアの研究室。他の教員は授業だと聞いたから、この時限はふたりきりでいられるだろう。
「ふたりきりの時間?」
「面談の時間でしょ? 実習前にあなたの能力をどう使うか再確認をしているのだけど?」
「彼氏いたことある?」
リディアは思いきり眉を寄せて、目を尖らせてウィルを睨みつけてきた。
「真面目にやらないなら、終わりにします」
「他の先生たちだって、こんぐらい話してくれるけど?」
「私は話さないの」
それで終わりにするかと思ったら、リディアは紙片を脇によせてウィルと向き直る。
「ダーリング、身体の調子はどう?」
「は?」
ウィルは最初は適当にかわそうとしたが、あまりにもリディアの顔が真面目なものだったから、首をかしげて自分の身体を見下ろす。
「大怪我をして治癒魔法での回復、さらに魔力の急激な解放。負担が精神に影響を与えている可能性もあるの。――無理していない?」
「別に?」
計測時の魔法の暴走の夜は流石に疲れていたが、一晩寝たら回復した。それ以降、特におかしい感じはない。
「むしろ、今日の授業とか魔法解放できて調子いいっていうか」
「そう」
リディアは、ウィルに手のひらを差し出してじっと見てくる。
(いつも思うんだけど、たまにこいつ、じっと見てくる時があるんだよな)
癖なのか。
綺麗な宝石のような目で覗き込んでくると、ああ翠玉っていうのはこういう色なのか、と感心して、いつの間にか魅入ってしまう。
「何?」
「手、載せて」
ウィルは若干ドギマギしながら、リディアの上から握手する形で手を置く。自分の手でリディアの手は見えなくなるが、彼女が握ってきたせいで、治まりかけた心臓の拍動がいきなり早くなる。
白い指、ウィルのものとはぜんぜん違う、細くて小さな指。
「な、なに?」
「スキャンしてもいい?」
「え、なにそれ? いいけど」
リディアが目を閉じる。ウィルはその瞼を閉じた顔をじっと見つめる。
産毛がすかし見える白桃のような肌に、柔らかそうな頬。指を伸ばして触れたくなる。きっと柔らかくて滑らかで気持ちいいだろう。
リディアの瞼がひくひく揺れて、今何をされているのかと思い出し、邪念を打ち消す。
スキャンって何だ? 何かをされている様子はない、握った手のひらが温かい、少し汗ばむ。そう思っただけだった。
リディアの目が開く、そのどこか遠くを見るような神秘的な眼差し、地底湖を思わせる深い透明感のある翠色の瞳に、どきりとまた心臓が跳ねた。
「魔力の滞りはないから、不調はないみたいね」
「……今の何?」
やばい、声が掠れてる。
リディアが目を瞬いて、ウィルを見やる。眼差しがこの現実に戻ってきてほっとした。
「一度、あなたを治療する時に魔力派を同調しているからできることなのだけど。同調させて魔力の滞りや異常放出とか、そういうのがないか確認したの」
「へえ」
他に返事のしようがない。なんか色々な技があるんだな、そうとしか思えない。返事が冴えないウィルに呆れたのか、リディアが手をあっさり離す。
「あ、ちょっと」
机の方に歩いて行ったリディアが引き出しから袋を取り出して、ウィルの前にまた座る。
「何?」
「いや」
もうちょっと握っててとか、そんな事が口から滑り出しそう。なのに言い淀んで、らしくなさに自分でぎょっとする。
「――これ、あなたに」
けれどリディアの行動は、予想外と言うか、予想以上だった。
彼女がウィルに示したのは、黒い細革のバンドだった。臙脂の紐が編み込まれて親指の爪先ほどの真紅の石を縁のように囲む凝った編み方がされていた。
「なにこれ?」
「この間の魔力測定で使った魔石の欠片。紅玉石と言って、火属性魔力を蓄積できるの。あなたのアミュレットにして」
「――これ、手作り?」
「聞くとこ、それ?」
リディアは、呆れたように肩をすくめ微妙な顔をしたが、頷いた。
「上手じゃん。カッコいい。売りモンみてー」
「魔法師は魔石を自分の護りにすることが多いの。あなたは暴走しやすいから、感情が高ぶった時は、この石に触れて吸収させて自分の魔力を下げて。魔力耐性をあげる編み方と処理を施しているから、蓄積魔力値は千までは耐えられるはず」
照れているのか、リディアはかなり早口で説明をする。が、ウィルはもらった贈り物に夢中だった。
(手作りって――彼女かよ)
彼女でもないのに、そういうことするってさ。でも、魔石が壊れた後にしてくれたってことは、ウィルのために作ったっていうことだ。
それって――。
(なんか……すっげー、可愛いかも)
ウィルの口が勝手に動く。
「リディア。俺に気があんの? ――って!」
パンチが飛んできた。寸止めだろうけど、右手で受け止めたら一瞬、本気で苛立たしげな顔が返ってきた。
(まじで、打ってきた?)
「まじかよ、生徒相手に本気になるなよ」
「そうね、私としたことが……でも――」
その手をぐいっと引き寄せて、抱きしめようとした。できるって思った。こんなに小さくて頼りない、女の子の手。
「ダーリング」
リディアの声音が低くなる、目が眇められる。
前と同じ、手を出そうとするウィルにお仕置きをしようとする顔。
何をしてくるか、そうウィルが構えたその時だった、ノックの音が響いた。
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