44.彼の一面
来賓用スリッパを持ってきてくれたキーファに気遣われながらリディアは彼と連れ立って歩き、研究室まで戻った。
「先生、家まで送りますよ」
そこまで申し出てくれたキーファに、リディアは苦笑を返す。
「歩けるから大丈夫。それにあなた、授業は?」
「歩けるとはいっても、かなりゆっくりですよね。一人で帰らせるのは心配です。授業は選択科目なので、必須ではありません。休んでも平気です」
「私の怪我で授業を休ませるわけにはいかないし、慣れているから大丈夫」
「慣れている……?」と、キーファは怪訝というよりも感心しないような顔で呟いた。
リディアは慌てて説明する。
これじゃ、怪我ばかりしているやばい人みたいだ。
「違うの、もっと大きな死にそうな怪我とかならともかく、こんなので迷惑かけるわけにはいかないから。心配するほどじゃないからね、本当に。湿布貼るし、痛み止め飲めば平気」
キーファは不満を表すかのように黙り込んでしまう。穏やかないつもの気配とは違い、リディアが喋れば喋るほど神経質になっていく気がする。どうして?
「じゃあ、保健室まで付き添います。薬が必要なほど痛みがあるんですよね」
「コリンズ……」
ああ、やっぱり話せば話すほど心配させている。彼は絶対引かないという気配までも漂わせ始めた。
「それに靴はどうするんですか?」
「靴は、あるから……」
まさか靴の調達まで頼むわけにはいかない。頼めば買ってきてくれそうだけど、彼女でもないし家族でもないし、友達でもないのに。
「それに先生。死にそうな怪我なんて絶対やめてください。今だってかなり心配です」
リディアは彼の真摯な眼差しに、自分が適当にかわそうとしていたことに気が付いた
「心配してくれてありがとう。その、心配されると恥ずかしいと言うか……。怪我も自分のせいなのに」
キーファの気配が和らぐ。彼は表情を緩めて、口調を変えて問いかけてくる。
「俺は、授業に出ます。先生、今日は何時に帰る予定ですか」
「会議があるから、そのあと議事録まとめたりして十九時かな」
キーファの眉が顰められるのを見て、リディアは慌てて続ける。
「でも足が痛くなるかもしれないから、十七時には終わらせる」
「では、十七時頃裏門で待っています。それよりひどくなったら、連絡ください」
リディアは、ひょえと思った。声には出さなかったけれど、驚いて少し混乱する。
そんなことは、大事な彼女にやってあげて! もし彼女がいないなら、それまでその行為はとっておいて、とまで言いそうになる。余計なお世話だろう。
「ケイのことも心配です。今日は一人で帰らない方がいいと思います」
「あ……うん」
確かに、少し怖い。生徒との問題は自分で対処しなければいけないけれど、ケイは何の目的でリディアにあんなことを言ってきたのか、キーファやリディアにあんなふうに絡んできたのは何を意図しているのか、まだわからない。
ケイに待ち伏せされていたら、この足では確かに逃げられないし心配。そういう思いが顔に出たのだろうか、キーファはどんどん話を進めていった。
「裏門のバス停からのマザーズ駅行は、本数が少ないから、みんなほとんど利用していません。一緒にいるところを誰かに見られることもありませんが、心配なら他人のふりをしているので安心してください」
「心配とか、そんな失礼なこと思ってないけど……」
「不用意に話しかけたりはしません。ただ、無事に帰るところまで見送らせて下さい」
(どうしよう。見守り方まで、すごく気遣いをされている)
「俺が安心したいだけです。先生はただ――頷いてくださればいいです」
リディアは、強固に反対をすることもできず、なんだか途方にくれたように頷いた。
「ありがとう。よろしく……お願いします」
頭を下げると、キーファはようやく安堵したように、穏やかに、けれど強気をにじませる瞳で笑った。
リディアは自分の研究室のドアを閉めて、息をつく。
キーファは、ケイのことは踏み込んで聞いてこなかったし、推測で触れ回ることもないだろう。
それにしても……。キーファは随分強硬的な態度を取っていたような気がする。リディアが何をいってもきかない、という雰囲気を漂わせていた。
――キーファは、怒らせたら怖そう。
思わず浮かんだ感想を、リディアは慌てて打ち消す。
(あんなに気を遣ってもらって、私は何を失礼なことを思っているの!?)
リディアは自分を戒めた。そのことを考えながら、リディアはありがたいなと自分の置かれた状況に感謝をする。苦手な生徒も、合わない上司もいるけれど、関係を築ける生徒もいる。
ただ、生徒に助けられてばかりの気がする状況は、是正しなければいけないけれど。
考えると、一人反省会を始めてしまいそうになる。
「あらリディア先生、どうしたの?」
「足をくじいてしまって」
「湿布いる? それとも魔法で治療する?」
奥の机で作業をしていたフィービーが、引き出しから湿布を取り出して見せてくる。どうやら救急箱を常備しているらしい。
フィービーは何でも持っていると感心してしまう、でも誰のために?
「先生は、治癒魔法も使えるんですか?」
「痛み緩和くらいだけど」
フィービーは水属性魔法師だ。水属性の魔法師は治癒魔法を使える者が多い。
けれど、すべての魔法は魔力を消耗するものだから、治癒魔法も安易に人に頼るべきではない。自己治癒力に頼るべきだろう。
「すみません、湿布を頂いていいですか? 魔法は申し訳ないので」
「リディアは、そういうところ、遠慮深いのよね」
そういうところって、どういうところだろう?
「ふつうは、『じゃあ魔法をお願い』って言うのよ」
「でも、魔法は消耗しますよね」
「だって、魔法で治してもらった方が便利で楽でしょう? でも他人にそういう気遣いができて、魔法を無駄遣いしないところは、とてもいい魔法師なのだと思うの」
「ええと……ありがとうございます」
褒められるのはすごく苦手で、どう返していいのかわからなくなる。リディアが顔を赤くして礼を告げるとフィービーは笑う。
(私、生徒をこうやって褒めてあげられているかな……)
たまに、人からしてもらった行為で、自分の足りない部分に気づかされる。
教師としての課題はたくさんだ。
「救急箱は、生徒用ですか? 私も常備しておいたほうがいいですよね」
「生徒用? ううん、自分用よ。生徒は保健室に行かせるもの」
「自分?」
「なんでもあると便利でしょう? もうここが私の部屋だもの」
確かにフィービーの席の周囲は、同一デザインのクッションやひざ掛けが置かれ、棚には硝子のオブジェや観葉植物があり、背後の棚にはコレクションのように紅茶缶が並べられている。
この空間は、彼女の趣味部屋みたい。
反対にサイーダはたくさんの書籍が並べられた本棚に囲まれて、椅子の後ろのワゴンも書類で埋め尽くされている。仕事ができる人、という感じだ。
(長く居ると、こうなるのかな……)
書類と教科書が雑然と積み上げられた自分の机を見て、リディアは苦笑した。
忙しすぎて、自分の空間を作る暇はまだない。
(でも、救急箱を常備しておくのはいいかもしれない)
治癒魔法はもう使えないし、この領域に居ると色々とトラブルが起きて騒がしい。
今後のために備えておこう、リディアはそう思った。
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